必殺、読書人!!

 

318:地方自治・地方行政



「平松・大分県政の検証」 地方分権研究会  緑風出版

 元大分県職員ならこの本に触れないわけには行かないでしょう。でも、あまり大それた事はかけないので、全体的な意見を書いてみます。

 まず、素直にこの本読んでで疑問に思ったのはのは、どうして今まで平松さんは圧倒的な強さで大分県の知事に当選できているのかということです。対抗馬がないとうのが直接の理由でしょうが、人気が陰れば必ず対抗馬が出てくるはずです。ここには県民の県政に対する無関心があるとしか思われません。平松知事の行った事業の星取り表をつけたなら、かなり黒星が並ぶでしょう。この本に指摘されるまでもなく、ハーモニーランドから農道空港、はたまたオートポリスなど県が絡んだ積極事業は採算からすれば不合格です。それでも公共事業ですから一概には言えませんが・・。ただ、ワールドカップが決まったときにはさすがに県民の間にも疑問の声があがりました。いずれにしても、県で仕事をしていた者として、県の仕事に県民の方が無関心だというのは悲しいことです。

 現に県で働いている人の立場からすれば、知事は一番文句の言いにくい人です。商売をしている人がお得意さんの悪口を言えない以上の関係がありますから。しかも、知事は選挙で選ばれており、政治的な決定権があるのですが、各職員はある程度、仕事の工夫はできても、基本的に何をすべきかの決定権はありません。県職員ももちろん県民ですから、選挙権はありますが、恐らく知事の支持率は他のグループよりも低いと思います。なんせ、県政に関心が深いですから。

 この本の編者である「地方分権研究会」に望みたいのは、哀れな娼婦に石を投げるべきだとした福音書のパリサイ人(ヨハネ.8.1-11)のような立場で県政を見ないで欲しいという事です。そして、いやしくも「研究会」の名を冠するのなら、不正と思われるものの背後にあるシステム上の無理にもメスを入れていただきたいと思います。この根本的問題に対する一般の無関心が哲学者として私が県職員を辞めざる終えなかった理由の一つでもあります。

 ところで、この本の具体的内容についてはなるほどと思うところも多いのですが、一カ所だけ批判をしておきたいと思います。それは立命館アジア太平洋大学のことです。自分が立命館の出身なので特に肩を持つわけではないのですが、大学の誘致に反対する理由の一つとして掲げられている県民の「教養のレベル」のには賛同できません(121P)。はっきり言って、これは学問に対する偏見から来ているように思えます。細かい技術的な議論をするならともかく、学問そのものは決して一部の専門家のものではありません。むしろ、良い学者ほど一般にも分かりやすい言葉で自分の考えを述べることができます。ものを考えることは決して難しいことではありませんし、一部の「教養人」の特権でもないのです。学問はより多くの人が討論に参加し、互いに刺激し合うことによって育っていくものです。ですから、立命が来ることは別府大学や日本文理大学にとっても良いことだと思うのですが、いかがなもんでしょう。
 
 
 

「日本合衆国への道」 平松守彦  東洋経済新報社

 長年、東京一極集中に異議を唱えてきた平松大分県知事の本です。かなり以前から地方自治の確立は行政の課題だと言われてきたにもかかわらず、東京とその他の地域、国と地方との格差は全く縮まらず、かえってバブル以降、問題が深刻化している感すらあります。経済成長の時代が終わり、新しい産業や行政のあり方が問われている昨今〈国→地方〉の行政の流れを〈地方→国〉へ変えることは緊急の課題だと言えるでしょう。

 平松知事はこの問題を分かりやすく今までの経過や統計、そして地方分権についてなされたさまざまの試案を示しながら解決策を探っています。実際、地方自治の確立は多くの人に望まれる一方で、多大な犠牲を伴うものであり、決して一筋縄ではいきません。例えば、地方に形の上で権限を移譲したとしても、それに見合うだけの税収がなければお話になりません。また、行政事務は多岐にわたりますから、いきなり事務を委託されても地方の小規模な市町村がそれに対応できるわけではありません。この上で権限の移譲には中央官庁からの抵抗があるのですから、今までうまくいかなかったのが当然のこととさえ言えます。この意味で、現役の知事である平松さんの主張には現実を意識したかなりプラグマティックな配慮が見られます。例えば、地方分権に不可欠な税制の問題について財源の地方移管に伴う地方格差の問題にも眼が向けられていますし、地方自治の確立についても一度に行うのではなく、段階を経て行うべきだと主張しています。特に、中央からの権限移譲については、霞ヶ関の権限をまず同じ国の機関に移行させることによってその分散を図る戦略は、かつて通産官僚だった平松知事ならではの考えだと思います。この地方への権限移譲をもとに平松知事は九州府の構想を展開するのですが、恐らく東京一極集中を是正し、地方自治を確立するにはこの方法しかないでしょう。しかし、今のところ行政事務を客観的に評価し、制御する行政工学の概念が法律学にない以上、事は困難です(法学のなぜ?参照)。九州の一知事の努力には限界があります。いずれにしても、この問題の解決は、いかにしてそれぞれの地方自治体の首長が一丸となって努力し、市民がそれをバックアップするかにかかってくると言えるでしょう。

 私は10年以上大分県の職員をしていましたが、このことを思うと正直この目的の実現にはほど遠いと感じざるを得ません。それは平松知事でさえこの本で地方への公共投資の傾斜配分(集中的配分)を主張しているところに見て取れます。現実に知事として県民のことを考えると公共事業を地方へ配分するように主張せざるを得ないのですが、実際にこれを行うと、どうしても中央のお世話にならなくてはならない現状があります。私はこの公共事業の傾斜配分には無理があると思うのですが、それというのもすでに経済成長の時代が終わり、日本の人口構成も少子化・高齢化が進行している以上、今までのようなモノへの投資による問題の解決は望むべくもないからです。

 このことは平松知事に限らず国民の意識の問題にもかかわってきます。今まで、日本人は平等(悪く言えば「横並び」)を良しとしてきましたが、財政が逼迫している昨今、ハード面での公共サービスの格差は是認されざるを得ないでしょう。知事は公共事業による負担は長期的に見れば大きくないと主張していますが、経済そのもののパイが量的に縮小し、成長の重点が情報分野などの質的方面にシフトしていることを思えば、巨大な建造物に税金をかけることは時代を見誤っているのではないかと思います。私はむしろ将来、高齢者の生活保障のための予算確保を名目に地方が切り捨てられるのではないかと危惧しています。というのも、高齢化の進行が早い地方の小規模市町村ほど公共事業に依存する割合が高いのですが、これらの地域では高齢者のための予算と公共事業のための予算のどちらを選ぶかと迫られたとき、後者を断念せざるを得なくなると思うからです。その時に備えて、ハード事業よりも情報や教育などのソフト分野での地方の自立が急がれるのではないかと私は考えます。

 行政の目的は本来、人々の平等ではありません。このようなことを言うと驚かれるかも知れませんが、政府や行政の本来の役割はまず第一に人々の生活の保障です。確かに平等にも2種類あって、機会の平等は結果の平等と違って公の機関がある程度責任を持つべきものではありますが、最も優先されるべきは我々の生活の目に見えないレベルでの安定です。昔「貧乏人は麦を食え」と言って顰蹙を買った政治家がいましたが、政治の本来の使命は「貧乏人は麦を食わねばならないにしても、決して人々を飢え死にさせてはならない」ということです。私も公務員をやっていて感じたのですが、公務員の仕事は決して派手なものではありません。けれども、人々の生活に直接関わる大切な仕事です。私たちは日頃意識して心臓や内臓の筋肉を動かすことはありませんが、これらの動きが止まったら人は死んでしまいます。このような目立たないけれども不可欠な仕事が公務員、特に地方公務員の本来の仕事です。このように考えれば、将来の人々の生活を危うくさせかねない大規模な公共事業には慎重になるべきではないかと思います。特に、現在平松知事が推進している豊予海峡大橋の建設はリスクが大きすぎます。

※このことについては本州四国連絡橋公団の経営状態が参考になると思います。黒井尚志さんの「ビンボーも三年すれば慣れる(ダイヤモンド社)によると本州四国連絡橋公団の借金は利息も職員の給料も払わず、収益をすべて借金返済に充てたとしても完済までに60年以上かかかるそうです(152-153p)。

 ところで、平松知事の公共事業について多くの大分県民は2002年のワールドカップのことが気になるのではないでしょうか。何せそのためにドーム付きのサッカー場を備えたスポーツ公園が出来るのですから。けれども、私はこのことについてはすでに決定事項であるので、とやかく言うつもりはありません。ただ、気になることが一つあるので指摘しておきましょう。

 それは地元大分に住んでいると「大分にワールドカップが来る」という形の宣伝しか聞こえてこないことです。このスポーツ公園が大分県の枠内で考えればもとが取れないのは目に見えています。けれども、九州全体で考えれば話は少し変わってきます。「九州にワールドカップが来る」、故に「九州にそれなりのスポーツ公園が出来る」というのであれば分からぬ話ではありません。しかし、寡聞にして私はこのようなキャッチフレーズを聞いておりません。このことは鳥栖のサッカーチームである鳥栖フューチャーズのことを思い出すとどうしても気になってしまうのです。私は以前、福岡県との県境の町である日田市に勤務していたのですが、その時、福岡のテレビを通じて鳥栖フューチャーズが成績不振のためスポンサーの援助を得られず、存続を危ぶまれているとの話を聞きました。今はサガン鳥栖として頑張っているようですが、当時すでに大分県へのワールドカップ招致の話が出ていたのでとても複雑な心境でした。鳥栖は九州の交通の要所でもあり、某大手電機メーカーもここに流通基地をおいていると聞いております。もし九州レベルでワールドカップ招致を考えるのであれば、鳥栖の方が大分よりも有利であるとも言えるでしょう。しかも、鳥栖は九州ではあまり目立たない佐賀県(佐賀県の方には失礼かも知れませんが)にあるので、むしろ新たな一極集中が懸念される福岡よりも望ましい位置にあります。このことを考える時、大分で開催されるワールドカップやそのために建設されているスポーツ公園の九州全体での位置づけはどうなるのでしょう。また、目を反対方向に向ければ大分はサンフレッチェ広島を持つ瀬戸内地域にも属するわけで、その中での位置づけも考える必要があるでしょう。

 話はだいぶんそれましたが、この本では九州議会の構想や大分をハブ(複数の異なった地域を結ぶ中継地)にする構想も述べられていますから、ワールドカップについてもそれなりの考えがあるのではないかと思います。けれども、実際に私が大分県の職員としてやってきた中で他県との交流は極めて限られたものでした。とくに、日田に勤務していた時は、もっと他県との交流が出来ないものかと思ったものです。日田の人は大分県人と言うよりは、むしろ筑紫の人という意識が強く、言葉にしても文化的には福岡の方に属しているからです。

 実は、この平松知事の「日本合衆国への道」という本は県の意見発表会に応募した際の記念品として頂いたものです。ですから、「(もちろん印刷ですが)謹呈 大分県知事 平松守彦」と書かれた紙が本の中に入っておりました。残念ながら、この時は意見発表には選ばれませんでしたが、私はその中で行政実務のマニュアルラィティングの提言をいたしました。マニュアルラィティングとは一般には聞き慣れない言葉ですが、行政事務の手続きを職員にも一般の方にも分かりやすくマニュアル化して書く技術のことを言います。この中で、行政の一般性を高めるために他県の職員の協力も必要であると書いたのですが、その背景にはこのような日田での経験もあったのです。

 平松県政もすでに5期20年にわたり、平松知事もそろそろ次の世代のことを考えるべき時が来ていると思います。そのためには今何が出来るかではなく、今何が残せるかを考える必要があるでしょう。

「木が良ければ実も良く、木が悪ければ実も悪いと判断しなさい。木はその実によって分かるのである。(マタイの福音書 12:33 フランシスコ会訳)

これは聖書からのイエズスの言葉からの引用ですが、ここで問われているのは「花」ではなく「実」です。平松県政もいずれその実によって評価される時が来るでしょう。大分県内では一般に目立ちたがり屋の知事と見られている平松知事ですが、この本を読む限り、むしろ堅実に物事を見ている気がします。理想と現実とはいつも裏腹のものですが、理想を見失うことがなければ、現実を踏み外すこともないかと思います。
 
 

[読書人・目次]