必殺、読書人!!


H:聖典・教典

ここでは各世界宗教の聖典・経典の類についてのコメントをしています
 

 (凡例:〈岩波〉〈PHP〉etc.はそれぞれ「岩波文庫」「PHP文庫」etc.、〈中公・世界の名著〉etc.は「中央公論社/世界の名著」etc.)







  [中国の聖典]



 
 

「論語」 〈岩波〉〈中公〉〈角川〉

 一般に、儒家の教えは礼を尊ぶと言われています。また、日本人は礼儀正しいとよく外国の人からも言われているようです。けれども、「論語」の趣旨に沿って私が見る限り、日本人は礼儀知らずではないかと思います。といっても、日本人が悪意で「礼儀知らず」なのではなく、字義どりの意味で「礼儀が何なのか」そして「そもそも何のために礼儀が必要なのか」を知らないということです。

 よく日本人は形からはいると言われますが、挨拶だとかしきたりだとか形としての礼については、日本人はよく心得ていると思います。けれども、それがどのような意味を持っているのかについてどれだけの日本人が考えをめぐらしているでしょうか?「論語」を語ったとされる孔子は世の乱れから切実に礼の必要性を説いた人だと思います。礼というのは、いわば、人と人とを結ぶコミュニケーションのルールです。親しい間柄であれ、初対面であれ、人と人とがコミュニケーションをするには互いに信頼が必要ですし、その信頼を得るためには一定のルールに従うことが必要です。ここにおいて「誠実さ」が必要なのは言うまでもありませんが、それは必要条件にしか過ぎません。誤解や不安なく自分の考えを相手に伝えるためには、文字どおり、礼儀が必要なのです。

 思うに、孔子の時代はこの礼儀が最も求められていたようです。旧来の秩序は崩壊し、また、今まで文明化されていなかった多くの人々が中国の文明に巻き込まれていきます。このような混乱の時代にあって信頼に基づくコミュニケーションは最も貴重だったでしょう。孔子は人の誠実さを何よりも大切にする人だったようです。それは彼の「仁」や「恕」の思想に見て取れます。前者は他者との信頼関係、後者はその元になる人の内面的良心を示しているように思えます。しかし、それらは一定のルールが無くては現実のものとなりません。これらの思いが現実とならなければ、人々は互いへの不信感から争い合うことになるでしょう。孔子とはそのような現実への処方として「礼」を提示したのです。

 日本人の場合、この意味での礼の大切さはあまり自覚されてこなかったと言っていいでしょう。そのために、日本人はいまだに外国人とつきあうことが苦手ですし、更には自分の子供達ともうまくコミュニケーションが取れずにいます。キリスト教やイスラム教などの一神教が、人々の混乱の中で、多様なコミュニケーションの基盤を提供したことは「文化と文明とについて (2)」などですでに語ったところですが、孔子の時代にも同じ課題が課せられていたように思います。

 ところで、論語には他にも興味深い記述が幾つか見られます。例えば、「直きを挙げて諸れを曲がれるに錯けば、則ち民服す。曲がれるを挙げて諸れを直きに錯けば、則ち民服せず(為政第二)」のフレーズは市場社会における行政機関の役割の要点をついているように思えますし、「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿ながし。(擁也第六)」などは、忙しすぎた日本人への良きアドバイスのようにも思えます。

 実は、私は「論語」を「素読・論語入門(ゴマ書房)」のテープを通じてよくお風呂の中で聞いておりました。結構ためになります。ちなみに、「歎異抄」については新潮社から朗読テープが出ています。
 
 

「老子」 〈中公〉〈講談社〉〈PHP〉

 「老子」は普通、深遠な哲学書のように思われています。実際、三浦梅園の主著である「玄語」の「玄」の概念はこの「老子」に由来するようですし、そのほかの東アジアの自然思想にも多大な影響を与えています。しかし、これは中国思想の特徴でもあるのですが、哲学であることは実践的な戦略を説く学問でもあることを意味します。「論語」を源とする儒家の思想が天下国家の表の戦略を論じるものとするならば、「老子」による道家は個人レベルでの裏の戦略を論じるものかも知れません。とは言っても、漢代初期の政治は「老子」の思想によっていたという話もありますから、一概にそうとも言えません。

 私は「老子」を東アジアの自然観を代表する書物であると考える一方、これを穏やかなアナーキニズムを説く書物だとも考えています。具体的には「小邦寡民」や「鼓腹撃譲」の思想にそれは見て取れますが、老子の時代には天下国家が出来ることの限界とその副作用とがはっきりしてきた時代だと思います。人は最初、大きな建物や整然とした軍隊などの人のなせる業に魅了されます。けれども、それらが結局、幸せには結びつかず、むしろ人の災いの原因であることが次の時代には理解されるようになります。

 今の日本でも、この国家・社会の限界は意識されつつあり、規制緩和などはこの流れに沿ったものと言えるかも知れません。しかし、現代人がどれだけ深く国家・社会の限界を理解しているかは疑問です。老子の提示する政治的方策は一見消極的なようにも思えます。しかし、それは現代人がまだ国家・社会の夢にまだ酔っているからではないでしょうか? 規制緩和を論じる人の多くは、新しい産業経済の発展のためにそれを主張します。しかし、もはやこの「発展」の概念こそが修正を迫られているのです。

 最近、コンピューターネットワークの進展にはめざましいものがありますが、この進展の理想は割とアナーキーな、けれども穏やかな老子の考えていたコミュニティかも知れません。 
 
 

「易経」 〈岩波〉

 この本をはじめて手にしたのは高校生の時でした。ともかくも、多様な世の中の仕組みを一見、静的とも思える〈陰−陽〉の二つの対概念でまとめ上げ、しかも世界が生々流転するものであると説くところに非常に魅力を感じました。〈陰−陽〉の概念そのものは非常にシンプルなんですけれど、その分そこから多様な展開が可能になります。高校時代から、〈陰−陽〉の階層構造は可能ではないかとも考えていましたし、最近は三浦梅園の哲学の影響もあって、ある〈陰−陽〉ペアの片方が〈陰−陽〉ペアの片方に、いわば〈重なり合って〉リンクしているのではないかと考えたりもしています。ともかく、知的創造力をかき立ててくれる本だと言えるでしょう。

 それだけにこの「易経」は、本家中国はもとより、東アジアのあらゆる国々の思想から医学などの実践の場での哲学的思考の源となってきました。今日、「易」といえば占いで通っていますが、占いも含めた幅広い射程を持っていたのです。けれども、三浦梅園との関わりで見ると、この〈陰−陽〉概念も中国的な限界を持っていた気がします。それは具象のレベルで客観を捉えることは出来ても、完全な抽象のレベルでそれを捉え切らないという点でしょうか。西洋の哲学を見れば分かるのですが、そこでは〈陰−陽〉のような自然のあり方を示す概念が具体的実在から完全に分離されて語られます。このことはピタコラスの「世界は数である」の主張とかプラトンのイデア論を見ればそれは理解されるでしょう。また、医学においても、現代西洋医学が有効成分だけを抽出した素材を主にするのに対し、伝統的中国医学、東洋医学が生の素材の組み合わせによるところからもそれは見て取れると思います。いずれにしても、中国では理論的に抽象された概念に具体的なもののイメージが残っているのです。

 これはひょっとしたら漢字の影響かも知れません。その表意性が概念を具象のレベルにとどめているわけです。後に、三浦梅園はこの〈陰−陽〉概念の抽象化を徹底し、これらから「こざとへん」を取ってしまいますが、抽象はおろか具象的思考も苦手と思われる日本人がこれを遂行したのは驚きに値するでしょう。
 
 

「墨子」 〈講談社学術〉〈平凡社・東洋〉

 墨子という人は中国思想史の中では決してメジャーではありません。はっきり言って、異端です。けれども、私は高校時代にこの墨子にかなり凝っていました。それは「兼愛」「非攻」などの合理的で実質本意ともいえる理想主義に魅力を感じたからです。「兼愛」キリスト教の博愛精神にも似た人を差別せずに等しく愛すること、「非攻」とは侵略戦争の否定です。墨子の思想には他にも、「尚賢」「非命」「節用」などの思想がありますが、いずれにしてもフェアーを重んじる簡潔な論理にその特徴があります。また、「天志」のように一神教の神を想起させるような記述もあります。これらの思想は古代としてはユニークですが、戦国時代を過ぎると墨子の思想は完全に過去のものになります。

 このような墨子の思想は儒家よりもかえって近代人には受けがいいかも知れません。けれども、高校時代から一点だけ墨子の思想について気になるところがありました。それは「非楽」の思想です。これは贅沢な音楽を否定し、人民の福利を考えよという主張なのですが、ビートルズファンの私にはどうも違和感のある思想だったのです。墨子自身は音楽の楽しみそのものを否定しているわけではなく、単にそれに費やす贅沢を否定しているだけなのですが、音楽をもっと肯定的にその思想の中に取り得れてもよいと感じたからです。

 このことについて、最近、浅野裕一さんは講談社学術文庫「墨子」の解説の中で中国人が音楽を通じて宇宙の秩序を表現するものであり、また呪術的な行為でもあるということを指摘さています。これは墨子もしくは墨家の思想が人間社会に関心があっても、自然にはあまり関心がなかったことを意味します。更に、浅野さんはこれが墨子の人間の内面性に対する問題意識の欠如を表すものともしています。

 確かに、墨子以降のその思想展開をたどるとある程度このことは言えると思います。それ以後、墨子の思想を奉ずる人々は矩子というリーダのもとに結束の硬い組織を作り上げますが、その思想を内面的に発展させる人物を輩出することはありませんでした。けれども、浅野さんの言うように、全く墨子の思想に内面性が欠けてしまっていると見るのも極端だと思います。というのも、浅野さん自身の解説にもあったように、墨子は不幸にも良き弟子を得られず、その後、彼の思想は儒家に対する対抗意識の中で展開されていったからです。古代において、多くの思想は政治や宗教の運動の一環として語られてきました。それ故に、それらはいつもプラトンの哲学のように思想としての体系性や完結性を持ったものではなく、人間の内面を追求する哲学や自然哲学はむしろ後の思想家によってその運動を基礎づけるものとして展開されることが多かったからです。私は「兼愛」「非攻」「天志」のような理想主義的思想が全く人間の内面性に対する無関心から生じるとは考えません。

 墨子のことを思うと、私はマルクスとマルクス主義者との関係を思い起こさずにはおれません。マルクスはその人生の多くを社会主義運動に費やしたために学問的には多くの課題を残しました。しかし、マルクス主義者達はマルクスの思想を完全なものと見なし、それを教条化しました。もしマルクスが「論理学」を書いていたら、もし墨子が孔子のように社会運動をあきらめて弟子の育成に専念したら、いずれも状況はかなり変わったものとなったでしょう。自然哲学について言えば、中国においてそれが本格的に現れるのは老子の時代になってからです。また、個人の内面性の追求も荘子になってようやく眼が向けられることになります。

 いずれにしても、その後の中国思想が儒家と道家との棲み分けに沿って展開したことは確かです。その中で、中国人のコミュニケーションの意識は儒家の家族意識の範囲に制約され、またその自然哲学や人間の内面性の追求は道家の思想とともに社会的な広がりを制限されました。墨子の思想における「天」の観念、そしてその論理学の精緻さを見るとき、中国思想にはもう一つの可能性があったのかも知れないとも思います。 
 
 



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