スペイン追想


 0.はじめに

 36歳になって生まれて初めて海外旅行をすることになった。何故そこがスペ インなのか? よくあるように、私はこの国にことさら憧れを持っているわけで はない。ましてや、スペインを手本にして何かを得ようとを考えているわけでは ない。確かにこの国には日本にない多くのものを持っている。日本に比べれば、 スペインにはまだ希望がある。しかし、それはこの国の長所でもあり短所でもあ るのだ。日本と比べて言えることは、スペインには近代という時代にうまく適応 しなかった分だけ未来への可能性を残しているというところであろうか。

 いずれにしても未来を語るためには歴史を知らなくてはならない。幸運にもス ペインには歴史が地面に露出したまま残っている。それは単に遺跡が多いという ことのみならず、人々の心の中に幾層にも重ねられた歴史の精神が残っていると いうことである。私がこの国を初めての海外旅行の地にしたのはその歴史と向き 合うためと言えるだろう。

 ユ−ラシア大陸の西の果てに位置するこの国には地理的にも、またそのために 歴史的にも幾つかの座標軸が交錯している。まず、この国は地中海に面する地中 海世界の一部をなすと同時に、ヨ−ロッパの西の端に位置し、南のアフリカ世界 に通じている。古代といわれた時代、ここは地中海世界の辺境に位置していた が、まだその頃ヨ−ロッパ世界は形成されていなかった。西ロ−マ帝国の崩壊 後、ヨ−ロッパ世界が誕生するが、スペインはその地理的特殊性のために中世の 間、その多くの部分がアラブ人の支配に服することになる。それ故、この国には 純粋な意味でのヨ−ロッパ的な中世という時代はなく、南のイスラム世界と北の ヨ−ロッパ世界の間でその歴史を積み重ねてきた。スペインは、この意味で、現 在問題となっているイスラム世界とキリスト教世界との交錯する場である。

 次に、ユ−ラシアの先端に位置するこの国は、隣国のポルトガルと共に大西洋 への出口に位置し、新大陸と呼ばれたアメリカ大陸への出発点ともなっている。 近代はヨ−ロッパから始まったが、この新大陸発見なしには近代は生じなかった ろう。一般に、近代はイギリスで起こった産業革命を以て始まったと見られてい るが、この新大陸の発見なしにはこれもあり得なかったであろう。この点で、ス ペインは近代とそれ以前との時代のはざまに位置している。歴史は単に科学技術 の進展によって展開されるものではない。たとえ、画期的な技術が見いだされて も、それを発展させる社会・経済的背景、そしてそれを押し進める文化がなくて は文明的な革命は起こらない。産業革命は初め水力から始まったとされるが、こ のレベルであればすでに中国の宋代においても見ることができる。一部には石炭 を使用していたようでもあるので、技術的にはすでにその頃の中国は相当のレベ ルにあったといえるだろう。そもそも、世界の三大発見といわれる火薬、羅針盤 そして活字が中国で生まれたことを思えば、ヨ−ロッパにおいてこれらが歴史を 変えたことはそれなりの理由があるとしなくてはならない。そこにはそれらの持 つ可能性を最大限に引き出す歴史的背景が必要なのであり、その一つがスペイン による新大陸の発見なのである。

 そもそも、いかにして文明は起こり歴史は展開するのか? これについて私は インパクト仮説というひとつの仮説を持っている。文明は農耕の開始によって始 まったとされるが、それだけでは文明社会やその後の歴史は起こらない。それに 伴う集団的な社会システム、そしてその社会において生み出されたものや情報を 処理する文字がなくては歴史は生じない。このことは大河の近くで文明が興った こと、それらの文明が文字を持ち、同時に人々を束ねる社会制度や共通の神話 (宗教)を持っていることを考えれば理解されるであろう。これらの条件が重な ったところに文明というインパクトが生じ、そこに周辺とは異なった高いポテン シャル(生産力、軍事力などの力の違い)が生まれ、歴史が進展する。文明の歴 史にはこのインパクトによるポテンシャル、いわば文明の温度差が必要であり、 この温度差がそれまでの社会の枠組みを変化させる運動エネルギ−となるのであ る。

 スペインは産業革命には遅れたものの、新大陸の発見によってヨ−ロッパとア メリカ原住民との間のこの文明の温度差を歴史の運動エネルギ−に変えるきっか けを作ってしまった。また、その一方、レコンキスタの完成によって、それまで ヨ−ロッパの歴史になかったnacion(国家)の理念を形成する。それまで に国の概念はあっても国家の理念は存在しなかった。「国家」がそれまでの国と 著しく異なるのは、それが他に対して排他性を持つ一つの社会的なまとまりであ ることである。スペインにおいては、レコンキスタ以後、異端審問に典型的に見 られるような他宗教に対する排他性にそれを見ることができる。スペインは生ま れた時からスペインであり、それは中世以後にできたものである。イベリア半島 に中世はあってもスペインには厳密にはそれがないのだ。一方、この国はキリス ト教国としての中世に憧れ続けたために近世には至っても産業革命を契機とする 近代にはなかなか到達しなかった。おそらく今もそうではないのだろうか? あ のドン・キホ−テ同様、この国はいまだ中世を夢見ながら近代を前に立ち止まっ ている。

 前置きが長くなってしまったが、以上が私がスペインを最初の海外旅行の目的 に選んだ理由である。結果としてこの旅行の成果は十分満足するものであった。 先にも述べたように、この国には歴史がそれぞれの土地に露出している。それは あたかも地層の積み重ねに従って歴史を見るようなものであり、旅行における地 理的移動は、そのまま歴史的な世界の移動を示してくれる。それ故、今回は旅行 における各滞在地に分けてそれぞれの印象を追想していくことにしたい。あらか じめ断っておきたいのだが、私は今回の旅行においてスペインを象徴する闘牛と フラメンコを見ていない。闘牛が見れなかったのは時期はずれのためであるが、 フラメンコの場合はそれが夜遅くに行われるので体力的に見れなかったことによ る。それ故、今回の旅行は建築物の見学が主なものとなった。

 ( 旅 行 の 行 程 :98.10.12−19)

 イベリア航空で東京出発 途中モスクワ国際第二空港を経由  バルセロ−ナ→グラナダ→セヴィ−ジャ→コルドバ→コンスグエラ→トレド→ マドリ− イベリア航空で東京着 途中モスクワ国際第二空港を経由

※上の行程を見ても分かるように、私にとって初めて踏んだ外国の地はスペイン ではなくロシアである。実は、私はスペイン以上にロシアに惹かれているところ があるので、これは良い偶然であった。正式には入国はしていないが、免税店で ロシアの聖画のレプリカを買うことができた。ここにはまだ本物の中世が残って いる。
 


[次へ→]

[スペインのこと]