スペイン追想


 1.バルセロ−ナにて(10.13)

 この町に着いたのは真夜中だった。時差の関係であまり寝る時間もなく、翌 朝、次の日になった感覚もないままにバルセロ−ナの観光に出た。初めて見るヨ −ロッパの町並みは私にとってとても広いように思われた。歴史的な大きな建物 が広い空間に整然に並んであるようであった。この感覚はオリンピックのあった モンテジュイックの丘から町を見下ろした時にピ−クに達する。この町は近代ヨ −ロッパの町なのだ。遠くには海が開け、建物はそれぞれかなり大きく、一定の 広さの道路をはさんで秩序だって並んでいる。また、近くに三本の巨大な煙突が 立っている。後から気づいたのだが、これは自分の泊まっていたホテルのすぐ前 にあり、そこには「FECSA」の文字が確認できた。建物の高さがだいたい同 じこともあって、そこには幾何学がそのまま露出した感がある。遠くの海を見な がら何故あのドン・キホ−テが最期にこの町で正気に戻ったかを理解することが できた。この町には現在のヨ−ロッパの姿がある。そこには巨大な物と情報とが 行き来する今の社会の現実がある。私は今回アンダルシアの旅を本命にしていた こともあり、明らかに自分のイメ−ジするスペインとは異なったものを感じ取っ た。

 この感覚を更に強めたのがガウディの建築である。これはバルセロ−ナの町と は対照的に曲線によってなる建物である。それは幾何学的直線を避けるようにデ ザインがなされ、地中海の産物や人の顔などの具象があちこちを飾っている。ま た、計算されたものなのであろうが、タイルの破片が壁などに一見無秩序に張り つけられている。これはあたかも近代の整然とした秩序に立ち向かっているかの ようであるが、この曲線の具象はあのサグラダファミリアの建築において頂点に 達する。いまだ建築の続けられているこの教会はコンピュ−タ−の登場によって かなりその完成が早まったとのことであるが、依然として未完成の前衛建築とし て成長を続けている。私はここに近代の精神と物質との二元論に思いを寄せざる を得なかった。この二つを分離して哲学を提示したのはデカルトであるが、それ 以来、デカルト自身の意志を無視して物質は幾何学的な数学の助けを借りて社会 を大きく変え、一方、精神はそれが何であるかを問われることなく置き去りにさ れた。この近代の矛盾がこの町とガウディの建築との不思議な調和をかもしだし ている。そこにはスペイン的な前近代的な精神の片鱗が見えるが、それは近代の 彼岸に立つものであり、いまだそれに至らないスペイン的な精神をそのまま象徴 するものではない。

 次に、ピカソ美術館に立ち寄ったが、これはなかなか多様な絵の理解しがたい 集積場であった。というのも、この美術館は彼の初期の作品を集めているのだ が、そこでは若くして写実主義の絵画を極めた彼の作品と、後に記号化されたと もいえる彼の作品とが同居していたからである。よくピカソは訳の分からない絵 を描くといわれるが、もともとは写実の天才なのである。彼の最初期の作品で は、人物の表情がものの見事に写実的に映し出されている。しかし、その後、彼 は自らの最も感じるものに焦点を当てそれを象徴化、記号化し、写実的な全体の 調和を意図的に崩していく。その過程は私にはよく理解できないが、ここにもバ ルセロ−ナの町とガウディとの間に見られた緊張が見てとれる。彼らは幾何学を 越えて人間の精神をその肉体と共に救い出そうとしているようにも見えるが、こ の美術館においてはこの緊張のために全体が雑然としてしまっているのである。 実はこの美術館の絵を見ながら私はその数日前に見た東京都現代美術館での「マ ンガの時代〜手塚治虫からエヴァンゲリオンまで〜」の展示の中の怪奇漫画の部 分を思い起こしていた。そこでは精神の秩序を失った肉体が露出していた。ピカ ソ美術館で見た一種の混乱は今の日本にもつながるヨ−ロッパの現代の状況なの かもしれない。
 

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