スペイン追想


 2.グラナダにて(10.14)

グラナダ、スペイン語で「ざくろ」の意味を持つこの町は私がスペインの中で 最も好感を持っている町である。というのも、ここはスペイン語の勉強を通じて 知ったガニベ−という哲学者の故郷だからである。この日本ではあまり知られて いない哲学者はこのグラナダを愛しつつ35歳で世を去った。自殺である。彼は その短い生涯にもかかわらず近代が何であるかを正確に見てとっていた。文明に 酔った人々が一方で国家主義を掲げ、他方で社会主義を標榜する以前に、彼は近 代社会が個人のためのシステムではなく、むしろその社会が個人を利用し消費す るものであることを理解していた。ヨ−ロッパの果てにあるグラナダはある意味 でヨ−ロッパの近代を客観的に見れる位置にあったのかも知れない。今ではスペ インでも近代化がかなり進んでおり、それと共にこの国の3大都市であるマドリ −・バルセロ−ナ・セヴィ−ジャではかなり治安が悪化しているのであるが、グ ラナダはそうでもない。聞くところによると、スペインでは最も犯罪の少ない町 とのことである。とはいっても、日本ではないからさほど安心はできないのであ るが、犯罪がどこでもあることを考えれば住みやすい町であることには間違いな い。ここにはグラナダ大学もあり、また5月にはスキ−と海水浴とが同時に楽し める自然に恵まれた土地でもあり、更に物価も安い。単に観光地というだけでな く住みやすいところである。

 ところで、グラナダは歴史的に見ればイスラム教徒が最後までイベリア半島に 残っていた地であり、そのため最も中世的な時代を長く過ごしてきた町である。 観光といえばアルハンブラ宮殿が特に有名であるが、これもイベリアの中世が残 した最大の遺産である。不幸にもこの人類の貴重な遺産は1492年のレコンキ スタ完成後、スペイン人によって長く見捨てられてきた。そのためにこの宮殿は まさに荒城となってしまったわけであるが、今日でも復元されたのはその一部に 過ぎない。中国の歴史でもそうであるが、文明化した国々は周辺の野蛮人に侵入 され征服されることがある。イベリア半島ではイスラム教徒がこの文明人であ り、スペイン人が野蛮人である。不幸にも、この野蛮人にはこの宮殿を維持する 能力がなかったが、今でも当時のイスラム教徒の高度な世界観をこの宮殿でかい ま見ることができる。

 ここに来てまず驚くのが、偶像から解放された記号世界の凄さである。それは 全体としての対称性とその細かいパタ−ンの多様な繰り返しによっているのであ るが、その中にはアラビア文字のクルア−ン(コ−ラン)の聖句がちりばめられ ている。この聖句はそれ自身、図像化され漢字の書のように独自の美を持ってい る。もし日本でこれに近いものがあるとすれば、梵字による曼陀羅がそれにあた るであろうが、ただその規模が違うのだ。豊後の哲学者であった三浦梅園は条理 が自然に遍在することを説いたが、その条理が最大限に表現された感がある。そ のことを最もよく示していたのが、宮殿の天井を飾る寄せ木細工であった。そこ では天空の星々を象徴する白い模様がそれぞれの点を中心に、互いに特定のパタ ーンを描きながら周囲へ広がっている。最近になって梅園の玄語図が曼陀羅の影 響を受けたのではないかとも言われているが、そこには普遍的なものを抽象的な ままで追求していった精神的態度がある。もっとも梅園の場合は実証主義者の面 も兼ね備えていたが、これは当時のイスラム世界でも同様で、後で触れるマイニ モデスなどの哲学者は神学者であると同時に、医者でもあった。アルハンブラ宮 殿はイスラムにおける天国のイメ−ジを最大限にこの普遍的抽象を通じて具現化 しているのだ。それは現実世界そのものではなく、あくまで聖なる天上界のもの である。また、この宮殿そのものも外界から閉ざされたものであり、一般の庶民 はその中をうかがい知ることができなかった。しかし、それは理想として常に人 と魂の中にあるべきものであり、そのことを通じて現実には中世における精神と 物質とのバランスを維持していた。中世は現実的には決して安定した社会ではな かったが、それ故に精神的な内面性が最も高められた時代でもある。

 ところで、私は世界宗教には歴史的に見て3つの段階があったのではないかと 考えている。最初の段階は神と個人との人格的自覚の段階で啓示宗教(ユダヤ 教・キリスト教・イスラム教)ではユダヤの預言者たちの時代、仏教では部派仏 教(「小乗仏教」とも呼ばれるがこれは蔑称なので用いない)の時代がそれにあ たり、第2の段階はこの上に普遍的な社会的自覚と広がりが見られる段階で啓示 宗教ではキリスト教が生まれた時代、仏教では大乗仏教の時代がそれにあたる。 最後の第3段階はその普遍意識が自然や宇宙にまで押し広げられる段階で、啓示 宗教ではイスラム教の生まれた時代、仏教では密教が現れた時代がそれにあたる のではないかと考えている。アルハンブラ宮殿の中の世界はまさにこの第3段階 の宗教意識を典型的に示しているが、日本では空海の「声字実相義」の「五大に みな響あり 十界に言語を具す 六塵ことごとく文字なり 法相はこれ実相な り」の宇宙観に通づるものがあるだろう。それは一種の自然に対する生命意識の 現れであり、特に砂漠の民であったアラブ人の宗教であるイスラム教においては 水と緑に対する意識として具体化されている。この宮殿の中では水の音が絶える ことがない。また、その外に至るまで多様な緑の世界が続いている。現代の宮殿 の植物は現代になって植えられたものであり、当時の姿は窺うよしもないが、恐 らくさまざまな植物がこのアルハンブラを満たしていたであろう。歴史的には私 の旅の出発点はこのアルハンブラのあるグラナダの地である。
 

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