ホンコン・シティ・キャット
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01/05/2003 作:星野ケイ
 
「各単位、注意!」
 無線に、鋭い声が鳴り響いた。
「目標は現在、上海道を進んでいる。各人は現在の位置で待機。次の指示を待て」
 ジェリィはホウッと息を吐き、もう一度屋台に目を走らせた。
 赤、青、黄色。色とりどりの駄菓子が並んでいる。店の主人は、水飴を小麦粉でまぶし、龍髭飴を作るのに忙しい。だが、そうしながらもチラチラとジェリィの様子をうかがっている。子供も彼女も連れていない男が、飴など買うはずもないといいたそうな、苦々しい表情だ。
「それで、あんちゃン。冷やかしかい? それとも、買う気があるのかい?」
「え、俺?」
 ジェリィは慌てて財布を取り出した。
「もちろん買うよ。買いますとも」
 二十ドルを渡されて、今度は主人のほうが驚いた。
「えっ? そんなにたくさん買うのかい?」
「うん。おいしそうなとこ、適当にみつくろって袋に入れてね」
 主人は、密かにジェリィを盗み見て、首をひねった。小意気なジーンズ姿の、今どきの若者である。確かに顔だちはやや幼いが、かといって、駄菓子を喜ぶ年齢でもあるまいに。
 けれどもジェリィは、まったくの本気。紙袋を受け取って、鼻を突っ込み、胸いっぱいに甘い匂いを嗅いだ。
 たちまち、幸せいっぱいの笑みが顔中に広がる。
「これで、今晩のぶんは十分」
 ジェリィは大事そうにゼリービーンズをひとつ取り出し、ぱくりと口に入れた。甘味を存分に味わいながら、ふらりと歩きだす。
 一九九七年六月三十日。香港。
 中国返還の当日。日暮れと共に、街には、普段の二倍の観光客があふれていた。
 世界中から集まった野次馬たち。地元市民も、事ここに至ってはなかばヤケクソ気味。店という店が返還祝賀セールの垂れ幕をかけ、イルミネーションで身を飾り、ひと儲けに余念がない。それが、いかにも香港らしいというべきか。
 目抜き通りの彌敦道は、すでに歩行者天国と化している。あちこちで巨大な龍のネオンがのたくっていた。頭の部分は香港島サイドへ向かい、足で中国大陸の方向を蹴っているあたりが、香港人のキツいジョーク精神の表れ。
 お祭り気分の人込みの中を、ジェリィは歩く。
 こんなとき、一か所にじっとしていたら、かえって目立ってしまう。人並みにもまれながら漂っているのがセオリーだ。
「今のがストロベリイの色だったから……」
 紙袋をときどきのぞいて、思案したりなんかして。
「次はオレンジにしようかなあ。でも、それよりも色の多いやつから順に食べようか。ええっと、どの色が多いのかなあ」
路地裏では、いつもと変わらぬ雑踏と喧騒が渦巻いていた。彼らにとって返還など、なんの意味もない。今日稼げなければ、明日の食い扶持はないのだ。
 廟街と呼ばれるここは、衣類、食料品、玩具、生活雑貨などが山積みされた、庶民の一大ショッピング・エリアである。半キロほどの狭い道路の両端に、ところ狭しと露店が並ぶ。路上にテーブルやら椅子やらを引き並べ、油を散らしながら怪しげな料理を創っている屋台もある。ここでは、粥から酒のつまみ、蛇まで、金さえ持っていればなんでも食べることができる。
 翡翠市場から油麻地停車場へ折れる道なりには、広東オペラと占いの屋台が軒を連ねている。
「ふうーむ……」
 皺だらけの老婆が、虫メガネで手相を確かめながら、もっともらしく客に告げた。
「お主の前世は、明朝の剣豪じゃな。朝廷に仇なす悪人ばらを次々と切り伏せていった、天下の大英雄に違いあるまい」
「へへえ、ホントにそうかい?」
 小春はわざとらしい大声をあげて老婆に反論した。
「見立て違いじゃねえのかい、ばあさん。もっかい手相を確かめてみなよ」
「なにをいわっしゃる、若造が! はばかりながら、手相を見て五十年。このわしが、見立て違いなどするものか」
「でもさあ」
 小春は、ニヤニヤ笑いを隠そうともしない。
「つい三日前に、黄大仙の占い師に見てもらったところでは、俺は清朝の宦官だったって話だったんだけどなあ。剣豪と宦官では、えれえ違いじゃねえの?」
 うっ、と老婆は詰まった。
「そ、それは……人間には色々な前世があるものじゃから、占い師によって、見える過去は違って当たり前なのじゃ」
「うまい言い訳だよなあ」
 小春は腹を抱えてげらげら笑った。
 そして、人込みの向こう側へ手を振り、大声で呼ぶ。
「おおーい! ジェリィ、来てみろよ」
 ちょうど玩具の露店に見入っていたジェリィは、友人の姿を見かけて、あからさまに嫌な顔をした。そのまま逃げだそうとしたのだが、小春は強引だった。ジェリィの腕をつかみ、占いの屋台へ引きずり込む。
「そんじゃさあ、ばあさん。こいつの前世を占ってくれよ」
「やめろよ、小春!」
 ジェリィは本気で憤然としてみせたが、生来の呑気者ゆえ、たいした迫力にはならない。  ばあさんは最初、何か言いかけて、それから眼鏡をかけ直した。しげしげとジェリィを見つめて、明快に一言。
「おや。この子の前世は人間じゃなくて、猫だね」
「あああああー……」
 ジェリィは頭を抱えて座り込んだ。
 対する小春は、感心して腕組みをする。
「へええ。ばあさんもやっぱり、そう言うんだな」
「そりゃそうさね。これほどはっきりと前世が面相に表れてるのも珍しい。さしずめ、どんな占い師が見立てたところで、同じことを言うじゃろう」
「そのとおり、おっしゃるとおり!」
「……わかってんなら、いい加減にやめてくれりゃいいのに」
 頭を抱えたまま、ジェリィは恨みがましく小春を睨みあげる。
「どうせ俺は、誰に占ってもらっても“前世は猫”って言われるよ。猫みてえな顔に生まれついただけのことで、いっぺんだって前世は英雄だったとか皇帝だったとか言われたことないんだぜ。可哀相だとは思わないのか」
 恨み言をいうその顔つきもまた、すねた猫らしい。
「まあまあ、そう怒るなって」
 言いながらも、小春は笑いを隠そうともしない。
「どこの流儀の誰が占っても同じ結果が出るなんて、考えようによっちゃ、すげえことじゃんか。確固とした自分の過去をもってるってのは、意義があるよ」
「前世に猫だったってことに、なんの意義があるんだよ」
 ジェリィはとうとう、ぷうっと頬を膨らませてしまった。
 両目がきゅっとつり上がり、全体的に肉食獣らしい面構えだ。にも関わらず、全身からかもしだす雰囲気は、楽天家の呑気者。ゆえに、日なたで丸くなっている猫を思わせる。
 彼の前世が猫だと言われれば、知り合いだろと、そうでなかろうと、つい納得してしまうことだろう。  しかし、老婆は真剣に首を振った。
「そうじゃない。前世っていうのは、顔が似ているとかどうとかいう問題ではないのじゃ。たとえば、お主」
 小春を指さす。
「お主の顔は猿に似ておるがの」
「にゃ、にゃにおうっ!?」
 小春は、坊主頭に思わず手をやって、それからいきりたった。ジェリィも、思わずプッと吹き出した。なるほど、そう言われてみれば、とぼけた顔だちといい、坊主頭の両脇にはみだした大きめの耳たぶといい、似ているといわれれば、そう言えなくもない。
「だからといって、お主の前世が猿だったということにはならんのじゃ。顔だちは、魂の色や形とは無関係じゃからな。たとえ、この坊やがお主のような猿顔に生まれてこようが、見る者が見れば、前世が猫だったということは一目瞭然」
「だってさ。おい、聞いたかよ」
 猿談義ですっかり機嫌を直したジェリィは、小春の肩をぽんと叩いて屋台から離れた。ジェリィをからかう気で藪蛇を食らった小春は、面白くなさそうに後に続いた。
 見渡せば、周囲は熱気でいっぱいだ。
「ちょいと、安いよ。寄ってきな!」
 時計屋のばあさんが声を張り上げる。
「今日はいい蛇が入ったんだ。精がつくぜえ、すすってみなよ」
 客引きもそこそこに、蛇をさばいている親爺もいる。
「六月三十日だってのになあ。このぶんじゃ、返還されたって、変わりゃしねえよなあ」
 小春は、肩をすくめてジェリィを振り返った。そして、キッと眉をつり上げた。
「おい。そのクセやめろって言っただろ!」
「え? なに?」
 ジェリィは、手を紙袋に突っ込んだままで答えた。その袋を小春に奪われそうになって、慌てて取り返す。
「欲しいならそう言えばいいだろ」
 色とりどりのゼリービーンズを手にいっぱい盛り上げて突き出すと、小春は心から嫌そうな顔をした。
「いらねえよ! そんな、いかにも身体に悪そうな食べ物!」
「そっかー? 残念だなあ。おいしいのに」
 ジェリィは半ば本気で首をかしげ、幸せそうに匂いを嗅いだ。
「甘くていい匂い」
 三つばかりを口に放り込んで、至福の表情で噛み砕く。袋をのぞきこんで、宝物のように抱きしめた。
「駄菓子屋のおじさんが、半ポンドもおまけしてくれたんだ。ゼリービンズだけじゃなくて、干しアンズもあるぜ」
「かあっ!」
 小春は三メートルほども飛びずさった。
「いい歳した男一匹が、袋いっぱいの飴で喜ぶなっ! だからジェリィだなんて不名誉なあだ名をつけられるんだよっ。このお気楽者の精神的乳幼児!」 「しょーがないだろ。好きなもんは好きなんだからっ」
 そこで、二人の言い争いは唐突に終わった。
 ジェリィがぴくりと肩を震わせて、耳にはめたイヤホンを押さえる。小春も目ざとくそれを見つけて、きゅっと表情を引き締めた。
「事件なのか?」
「ああ」
 頷くなり、ジェリィが駆けだした。紙袋を懐に押し込み、片足で向きを変える。しなやかな動きで人込みをすり抜け、一直線。まさに、猫の疾走だ。 「おいこら、待てよっ」
「待てないよ。おいっ、ついてくんなよ!」
「そんなこと言うなよう。つれないなあ」
 刑事志望だった小春は指をくわえて残念がるが、いくらなんでも現場に連れていくわけにはいかない。小春の仕事は鑑識。全てが終わってからが、彼の出番なのである。
 それでも未練がましくジェリィのほうを見ている小春のほうへ、ジェリィはしっしっと手を振った。小春は恨みがましい目でジェリィを睨みながら雑踏に消えていった。
 それを確認してから、ジェリィも踵を返す。
「さあ。お仕事、お仕事」
 ジェリィは人込みを避けて走りながら、ゼリービーンズの袋をポケットにねじこんだ。
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