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舌打ちしたところへバイクの重低音が接近してくる。
「ダンナ!」
深雪だった。ここに修野愛用のバイクを持ってくるところがいい。気がきいているとはこのことだ。
「よっしゃ」
修野がバイクにまたがると、当然のように深雪が後ろに乗る。そして修野も当たり前のように発進させたのだった。
バイクと車。普通は車が勝つ勝負だ。
だが、バイクを操っているのは修野だった。この男は何のおそれも気もなく寄せてくる。深雪とふたり乗りだということが車体を重くしており、接触しても簡単に弾けない。強気をふりしぼって車を接近させても、ぎりぎりのところで回避してしまうのは豪田の方だった。
小柄な男の意外な強腕に翻弄されていた。
修野に押され、豪田の車は反対斜線にはみ出していた。対向車のヘッドライトが遠くに滲んで見える。このままでは衝突する。だが修野こわさに戻れない。ますて、おどすようにぶつけてくるとあっては。
ライトが大きくなった。
豪田はとっさにブレーキを踏み、路肩に乗り上げた。
松の枝がフロントガラスにつきささる。土砂が降ってきた。
対向車はさほど親切なドライバーではないらしい。ばかやろーと捨てセリフだけ吐いて行ってしまった。
道は再び苦楽なり、豪田が松と土砂にまみれた身をようやく起こした時にはただひとつのライトだけが、裁くように彼を照らし出していた。
「ちく…しょう」
最後の亜餓鬼と武器を探す豪田に、
「あわてなさんなよ」
呑気な声が投げつけられた。鋭さよりも惚けが勝った口調だ。ライトが明るすぎて、修野の表情は読めない。
「殺るつもりもなーんもない。ひとつだけ伝言がある。あんた聞かねーで行っちまうんだもんな」
「伝言?」
「そう」
次の瞬間、声が鋭くなった。「書類は浅川の組長に渡す」
背中が冷えた。一気に何かが突き出たような気がした。
バイクのライトがゆっくりと向きを変える。映り行く明かりの無効から最後のコメントが聞こえた。
「行きな。あんたの路を」
ライトは去った。
闇が訪れる。豪田は虚ろな目をこらした。が、前にも後にもまっくらな黄泉路がひろがっっているばかりだった。
戻る道の途中で、美雪が尋ねた。
「なかなか、素早い反応だったじゃない」
修野の背中に顔を押し付けているせいかくぐもってきこえる。耳でなく、背中で聞いている。
「俺あ、いつも素早いぜ」
「何いってんだか。合図もしないのにきっちり伏せてくれて。助かったけど」
「だってそりゃ、おめえ」
修野の答えは淡々としていた。「書類、ニセもんだろ。なら確認する時がやばいと思っていたからな」
「なんでニセもんだってわかるのよ? 本物かもしれなかったじゃない?」
意外にも深雪は憤慨しているらしい。 「あんた、考えなかったの? 私しゃくさっても工藤深雪よ。あんたのお宝の場所、こそこそと探り出してたかもしれないじゃない。仲間だって弱味は握っとかなきゃってさ」
「へっ」
修野は鼻で笑い捨てた。 「おまえがこそこそやる柄かよ。俺の胸ぐらつかんでさあ教えろと来る方がよほどらしいぜ」
「へえ? でどう? 聞いたら教えてくれた?」
「教えるわけねえだろ。あんな汚ねえネタ、触っただけで手が汚れる。やめとけ」
一瞬、深雪の瞳がこいつばか? てな具合に見開かれた。が、次に吹き出して、
「この。このこのこの」
頭突きをかましていた。
「どつくなっ」
ちなみに疾走速度一二〇キロのバイクの上であります。
「このこのこのこの」
「だーから、どつくなってば!」
「それでおまえなんでおれが」
修野は険しい顔で、煙草をくわえた。
場所は居酒屋の前である。修野救出に焼くに立ったのも立たないのも集合している。
「だって協力してくれたら、あんたがおごるってことで話をつけたんだもの」
深雪は平然と言い、自分もハイライトに手を伸ばした。
「たっぷりおごってもらっちゃお」
「があっ」
噛み付いても吠えてももう遅いのである。
その夜、深雪はいつものようにずかずかと中に入り、隅の席へと向かった。背中と側方を壁に囲まれた、ほんとうの隅の席だ。そこでいつものようにテーブルをがんがん叩き、奥の席を指さす。
「あんた、ここ」
そして自分はさっさと手前の席に座ったのだ。
「なんだとお?」
面喰らったのは修野である。
いつもなら奥の席は深雪が占領し、修野は手前に座らされる。席にこだわりはないが、いつもと違うのは納得できない。ここひとついくか、手前の指図は受けねえよっと。
さあ、一喝と逸る修野のそでをちょいちょいとひっぱる者がいた。
「なんだよ?」
飛鷹が、隣の奥席に席を閉めにやにやしながら見上げてくる。
「まあ、ちょいと座って眺めてみなよ」
座る気はなかったが、 とりあえず気を落ち着けて眺めてみればいつも深雪が見ていた光景が目に入ってくる。
そこは店全体を見通せる席だった。側方と後ろは壁。前方に見えるレジと入り口は、座ると対面
の深雪が邪魔になって見えない。それは向こうからも修野が見えなくなるということだ。
「俺は商売だからな」
飛鷹がとぼけた口調で明かす。 「常に狙撃されない場所を選ぶ。もう無意識蜷。ここはいい席だぜ。店内の動向がつかめるし、飛び込んできたやつに撃たれても前のやつが弾避けになってくれる」
ちなみに飛鷹の弾避けはあわれなり洪明であった。
すると修野の弾避けはそれを自ら志願したのは。
深雪が面白くなさそうに、煙草をふかしていた。いつもは修野を弾避けに使っていた女は今、自らもっとも危険な席についていた。
馬鹿。とののしるべきだろう。女なんかに護られてたまるか、と修野は主張すべきだろう。
だが、津軽海峡冬景色。
どうにもこうにも幸せになれそうにない女の歌だった。
そして修野はそういう女に弱い。
多々異論はあろうが、女の幸せとやらが好きな男と末永くというなら、深雪は幸せになれそうにないタイプだった。
だってそうだろう。こんな回りくどい心遣いに気づく男なぞ普通いない。深雪はばかだと思う。逃げろと庇えば、蹴りつけてくるし、バイクの上で頭突きをかます。煙草はハイライトだし、酒は底なしだし、競馬がしゅみだし、焼き鳥とモツ煮が好みで元大泥棒で荒事が得意で気性はさっぱりあっさり。
そして黙って体を張る。
修野の身の内をあの熱唱がみたしていった。なんか暖かいものが。
全くの話、心根は形ではないのだ。
「座るの? 座らないの?」
深雪がふてくされた顔で見上げる。
その顔にひとこと優しく、
「ばか」
言ってやり、修野は座った。
「俺はカルピス」
不思議にこだわりはなかった。この男もへその緒切って以来始めて、まけてもいい女に出会ったというわけだ。
「俺はビール、な」
どうも全てわかっているらしい飛鷹は相変わらずにやにや、消せなくなってしまったらしい。
「あ、じゃ僕もビールを」
洪明が手を上げ、となりでは珠里がにっこりご相伴の構え。
美雪はといえば、こわばった顔をようやくほぐし、笑った。そしていつものようにふんぞりかえって、
「じゃ、私も。とりあえずビール」
そこへ遅れた真打ち城之内が、
「なんだもう始めているのか」
しゃあしゃあと現れ、修野を激怒させるのだった。
「待て、なんでお前まで来る?」
城之内ゼミナールのいつもの夜はこうして更けて行くのだった。
『……だが、ガードは技術ではない。技術で守れるものには限界がある。それらを越えるものが家庭であり有人である。彼ら親しいものの第六感、気遣い、咄嗟の行動がどれほどクライアントを救ってきただろうか。人を護るとはその人を想うことである。
その人を想うこと。それこそが究極のボディーガード術である。永年の経験が私に教えたのはかくも単純な心理であった』
(J・タッカー著 ボディガードの基本術。あとがき)
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