大島のご紹介 新居浜市大島の毘沙門天・吉祥寺のホームページ/新居浜市大島の紹介      【'98.4/27より】

村上水軍発祥の地・大島 H18.12.16更新!

大島八幡神社

流転の阿弥陀如来と幽霊の片袖伝説・浄土宗願行寺 H11.4.12更新

無類の力持ち・大力士石槌島之助の伝説

秋祭り(大島八幡神社大祭) H23.10.1更新

とうど祭り 平成16年11月2日更新

特産品:白イモ 平成18年10月1日更新

その他の特産品:ミカン 平成18年9月29日更新

NEW!!新造船「おおしま7」就航。新運賃&新時刻表 平成23年11月2日更新 


村上水軍発祥の地・大島 H18.12.16更新 大島地図

 愛媛県第2の都市・新居浜市の東端荷内地区、その沖約1.5`に浮かぶ全集約8`の島。人口約400人、総戸数約200戸。陸続きになった黒島から約1時間に1本、渡海船が出ている。所要時間15分。
 大島は全島が海城といわれ、南端には新居大島城址があり、村上水軍の祖・村上義弘による南北朝期の築城とされる。
 1364年、河野氏当主通堯が讃岐細川氏に攻められ、南朝方に寝返り、九州へ逃れ再起を図った。その時「ここに僧有りて能島城に来たりてこの子細を語りければ、今岡通任、村上三郎左衛門義弘相談し、同22日の夜浅海浦に押し渡る。中村十郎左衛門尉久枝、北方の所縁たる故に能美島へ送り奉る。(中略)時に義弘新居大島に居住す。(中略)国を離れ拠り所を失う」(「予章記」)とある。また、「大島八幡神社記」にも「藤原純友の乱の時(939)、
村上左衛門佐友清なる航海が巧みで武術に優れた者が伊予大島に住み、帝の命により出征した」旨の記述があり、「黒島明正寺文書」にも「もとは吉祥寺に
あった帝に忠義の志厚き大島の村上義弘の太刀・長物等、後に当山に移ったが、西条の殿様が持ち帰った」旨の記述がある。
 現在も大島には、軍船を隠した「船かくし」や信号を送った「のぼり立て」、狼煙を上げた「明火」、河野通有が奉納したと言われる「神田」など、当時を偲ぶ多くの地名が残っている。
 【南朝と吉祥寺】参照



大島八幡神社

 渡海船(フェリー)を降り、正面左手の小高い山の上、急な石段を登る。
 大島に八幡神が迎えられたのは貞観元年(859)、大和大安寺の僧・行教が九州宇佐より都に八幡神を迎えるとき、天候悪く大島に寄航した際と言われる。現在の本殿は元禄5年(1692)の建築、3間4間、総ケヤキの春日造りで、正面に唐破風をのせている。
 本殿右横の大元神社は、元は八幡神勧請以前からの地主神を祀っていたと思われるが、現在の祭神は大元大神・帆立大明神・厳島大明神となっている。なお、現在の拝殿は旧八幡神社の本殿だったもの。室町期の神社様式を残した古建築で、昭和52年市指定文化財となっている。


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流転の阿弥陀如来と幽霊の片袖伝説・浄土宗願行寺 H11.4.12更新

 願行寺のご本尊・阿弥陀如来は、戦国時代に京の戦乱を避け、とある僧侶の背に負われて、宇摩郡まで逃げ延びて来たそうです。そこで堂宇を建て安置し念仏奉仕していたところ、教典の極楽浄土とは目の前の大島なりと感得し、この地に願行寺を建て、再度安置したと伝わります。
 この阿弥陀如来は立派なもので、西暦1250年頃の慶派の作といわれます。特に裳裾の彩色の細かさ(切り金細工)は目を見張るものがあります。
 また、この寺には「幽霊の残した片袖」が残されています(現在、改築中につき非公開)。「由来」によると、元禄の頃大島に喜ヱ門という漁師がおり、女房の名を菊、5才の娘がいたそうです。しかし、喜ヱ門は外に女を作り、菊を離縁しその女を後妻にめとりました。この継母は夫と共に娘に辛く当たり、叩き罵り、食事も与えず、娘はやせ衰え、たびたび泣いて里に戻っていた母の菊を訪ねたそうです。菊は娘不憫さのあまり、病に倒れ、恨みながら死んでいきました。
 その後も娘は母の墓をしばしば訪ね泣き明かしますが、有る夜母は幽霊となって娘の前に現れ、二人抱き合いうれし泣きに泣き濡れたそうです。母は言いました。「家に帰っても虐められるばかり、寺に頼んで尼になり、母の菩提を弔っておくれ。この片袖をあげるから、母と思って大事になさい。もうお墓に来ても私はいない、これが本当の別れだよ。」
 しばらく二人泣いた後、母の姿は消えました。娘はそれからこのお寺で尼になり、その片袖を寄進して終生母の菩提を祈りました。その功徳によって菊はお浄土に浮かび、娘も73才で往生を遂げた、といいます。
 願行寺(通称上寺・うえでら)は、新居浜市内唯一の浄土宗寺院。吉祥寺(通称下寺・したでら)から二十bも離れていない高台の上にあります。この小さな島で2軒ものお寺を護持してきたことに、昔の大島の繁栄ぶりが伺えます。
 ご住職は長崎信亨(しんきょう)さん、昭和28年生まれ、北九州出身。私より一学年先輩の「大島の(少ない)若い衆」の1人です。


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無類の力持ち・大力士石槌島之助の伝説 写真はここをクリック

 伝説の力持ち石槌島之助の百回忌供養碑が、吉祥寺境内の薬師堂横、墓地への石段の左手にあります。
 石槌島之助(別名白山新三郎)は新居群大島の生まれ、身長6尺4寸(194cm)体重49貫(184kg)と江戸時代(天保13年)の書「西条誌」に書かれています。
 船乗りを業とし、水夫として中国関西などを行き来していましたが、無類の力自慢ゆえ相撲取りに転じ、元禄(1688〜1703)紀州光貞候のお抱え力士となり48石8人扶持をたまわりました。暇を得て郷里大島に戻り村の子らに読み書きなどを教えたと伝わります。
 若い頃、重さ百貫(375kg)の碇に綱がついたものを一人で海底より軽々と引き上げたり、5百石船の帆柱を一人で易々と押し立てたなどの話が残り、力士となって後も「張り手」にて相手の肩腰胸腹などを打ち破り骨折させることも何度かあり禁じ手とされ、果ては浪花にて関取を投げ殺すに至るとあります。
 「相撲大全」には「強くして巧術なく、餓えたる夫の焼餅を食するが如し」とたとえられ、強剛無比であったが甚だ妙味のない相撲を取った力士である、と日本相撲協会相撲博物館事務長の話(昭和43年藤井荘蔵氏調査)です。「西条誌」にも「和歌山にても不作法の事重なり御暇出て帰り」と島之助は乱暴者のように書かれていますが、没後百年忌に当たりこのような供養碑が建立された事を見ると、島の人たちには非常に親しまれていたことがわかります。
 碑面には「延享二巳丑九月廿九日 泰往道白大力士塔 俗名石槌島之助」と書かれています。また、当山の過去帳には「延享2年(1745)9月29日 泰往道白信士 石槌島之助事」とあります。
 墓地は上之町地蔵堂・東の山上にあり、位牌は島内近藤某家に祀られています。


大島の秋祭り(大島八幡神社大祭)H23.10.1更新

〈平成23年度・大島八幡神社秋季大祭日程〉
*今年は東浜太鼓台が午後2時半の渡海船で上陸し、午後7時まで町内を運行します。
10月8日(土)「宵祭り」
  午後5時     夜宮:上之町を出発
  午後5時30分 祭典開始
  午後6時    夜宮と東浜夜太鼓合流・競演
  午後7時    太鼓台見送り(大島出発)
           夜宮町内巡行
10月9日(日)「本祭り」
  午前 9時     宮出し
  午前10時    船御幸
  午後11時30分 御旅所祭典
  午後 1時    御神輿町内巡行
  午後 3時30分 宮入り

*雨天の場合は、連合自治会で協議の上決定します。
 


 平成18年から大島の秋祭りは、10月第2土曜と翌日曜の2日間となりました。17年までは、新居浜市のお祭りと同じ10月16〜18日でしたが、過疎高齢化によって3日間の運営ができなくなったためです。土曜日は(以前は16・17日)、午後6時から夜宮(だんじり)の運行。日曜(以前は18日)は午前中の満潮時を見計らっての船御幸、午後は御旅所祭典と御輿の巡行です。大島町の新居浜市への合併以前は13〜15日だったそうで、お祭りも社会の変化から逃れることはできません。
 大島の祭りは歴史が古く、昭和50年代初めまで鎌倉期または室町期と伝えられる御輿が残り、しかもかっては大元社・八幡社・住吉社、それぞれ1体づつ計3体あったそうです。夜宮がいつ頃からかは定かではありませんが、西条型だんじりの原形といわれ、現在でも上の町・中の町・西の町の3台が伊勢音頭の声も高らかに、練り歩きます。
 また最終日の船御幸は、八幡神社神主を乗せた「お船」と御輿を載せた「御輿船」を各町の“明神さん(小型夜宮)”をそれぞれ積んだ船が挟み、「ねこぎ船」を先導に「沖の島」が見えるまで進み、2回半廻って帰島します。
 年毎の参加者の高齢化・減少によって、夜宮や御輿の運行もだんだん難しくなっています。ただ、郷土の歴史をきざむお祭り、なんとか後世に残したいものです。

 国土交通省選定「島の宝百景」
 新居大島「夜宮」(国土交通省「島の宝百景」内PDF文書)



勇壮な火祭り・とうど祭り平成16年11月2日更新

 本来「とうど祭り」は、平安時代に宮中でおこなわれた新年の吉凶を占う儀式が、民間に定着したもので、別名「左義長(さぎちょう)」とも言われ、元は中国から伝えられたもの。
 大島の小正月行事“とうど”は、他地区の“とうど”より更に勇壮大規模なものとして知られている。一辺3b前後、高さ6〜7bの四角錐を孟宗竹で組み、中心に10bほどの心棒を入れ、これに大幟(のぼり)を立てる。周りには年末に使ったすす竹を注連縄で巻き付け、上から3分の1位の所に2本の竹のこうがいを通し、小幟をくくりつける。大幟には『福徳 平成○年1月吉日 蓬莱山左義長 ○○町』と書き、小幟にはそれぞれの家の子供や孫の名前を書く。最後に、持ち寄った古いお札や注連縄で飾り立て準備は終わる。
 完成した“とうど”の姿も立派で美しいものだが、朝6時上の町から順次火をつけられ、冷気と朝闇の中一斉に燃え上がる姿は神々しくさえある。その間わずか数分、しかし島民たちはその神々しさに打たれ、それぞれの新年の誓いを新たにする。


 今年(平成12年)からよく分からない「サンデーマンデー法案」なるものが通り、「成人の日」が1月第2日曜の翌日となった。今年は幸い15日が土曜だったが、来年からは平日になる。今年も小学校が休みでなかったため人では例年より少なかったが、来年からはもっと減るだろう。
 「伝統の小正月行事」ということなので日にちの変更は難しいと思うが(小正月は毎年1月15日)、参加者・見学者の減少と島の過疎高齢化が相まってこのままでは行事の維持も難しくなるだろう。
 本来こういう行事は、行事に参加者が都合を合わせていたもの。何でも参加者の都合に合わせてしまう風潮は決して正しくはないと思うのだが・・・難しい。


 現在「とうど祭り」は、1月第2月曜日の「成人の日」となっている。休日に固定されたため島外観光客の参加も増え、大島公民館を中心に「ミニとうど作り」や「小幡作り」など島外児童との共同製作も行っている。詳しくは大島公民館(0897-45-1006)まで。
 なお、とうど祭り当日、市営渡海船は朝5時半黒島発の臨時便が出て、島外観光客の便を図っている。とうどの点火は朝6時から。
 


特産品:白イモ平成18年10月1日更新

 大島の白イモは、祭り明けの今(10月下旬から11月初め)が収穫期です。といっても、新居浜の方しかご存じ無いかと思いますが、白イモはミカンが値崩れして以降、今や大島唯一の換金作物です。
 その美味しさは「なると金時」も足元に及ばない、と島民は自負しています。食べ方は主に焼くか天麩羅にすることが多く、蒸かしても食べます。特徴は、甘さと粘り気の強さ。数日間天日干ししてから焼いたものは、お正月の“栗きんとん”のようです。
 この白イモは大島以外で作っているのは聞いたことがなく、また大島以外で作っても同じ味は出ないようです。大島の水はけの良い土質が、白イモに適しているようです。よく似たものが、鹿児島あたりのイモ焼酎の原料で使われていると聞きますが、その白イモは食用にするには適さないとのこと。1ヶ所だけ京都の芋ようかん用に九州で作っているところがあると聞きました。

 大島の白イモのファンは多く、採れたものはほとんどが生産者から直接お得意さんに渡りますが、たまに新居浜のお店に出ると20aほどのものが一個100円前後で売られているそうです。生産者から買うと10`三千〜三千五百円ほどでしたが、近年作付け面積と生産者の減少により価格が高騰しているそうです。

 平成17年から、市内のNPO法人グッドウィルが“構造改革特区「白いも特区」オーナー制度”を発足させ、「白芋焼酎 あんぶん」の製造販売や「大島白いも特区オーナー会員」を募集しています。
 なお、大島郵便局の郵パックの扱いは、平成18年度から中止となりました。


その他の特産品:ミカン平成18年9月29日更新

 ぐるり四方を温暖な瀬戸内の海に囲まれた大島、その風土から生まれた“昔懐かしい味のミカン”です。
 潮風に育まれ、甘味と酸味がミックスした味わい豊かな温州みかんですが、近年生産者の減少によって流通ルートには乗らなくなりました。



新造船「おおしま7」と「くろしま」市営渡海船 新運賃&新時刻表  所要時間15分 平成23年11月2日更新

 老朽化した市営渡海船「おおしま」に代わり、新造船の「おおしま7」が平成23年11月3日に就航します。なお平成15年に就航した「くろしま」は、本船「おおしま7」より小さいため予備船となります。
 また、旧船「おおしま」は、先の東日本大震災において、壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市で、有人離島「大島」と気仙沼を結ぶ唯一の定期航路を運航する大島汽船(株)に無償譲渡し、震災復興支援に役立てられます。

 *「おおしま7(セブン)」船名の由来
  市の公募で件数の多かった「おおしま」に、大島の特産品である七福芋(白いも)の「七」を合わせて「おおしま7(セブン)」と命名したそうです。

〈新造船「おおしま7」仕様比較表〉
新造船(本船)「おおしま7」予備船「くろしま」
総トン数188t19t
長さ全長32.66m車両甲板20m
全幅9.6m8.2m
旅客定員146人(客室椅子席48人バリアフリー席6人)
立席92人
1階99人(客室20人座席38人)
2階71人
車両搭載台数乗用車8台
(1車最大重量8t)
乗用車8台
(1車最大重量8t)
設備客室エアコン
トイレ?箇所
客室エアコン
トイレ1箇所

〈運賃表〉
種別運賃
大人60円
小人30円
手荷物40円
小荷物80円
自転車等軽車両60円
原動機付自転車120円
自動二輪車総排気量0.750L未満 150円
以上 200円
自動車車長3〜4m 500円
   4〜5m 750円
   5〜6m 1000円
*人間・自転車・原付・自動車には、回数券による割引あり

〈新時刻表〉H23.11/3改定
便123456789101112131415
黒島発6:457:408:409:4010:4011:4013:3014:3015:4516:4017:3018:3019:4020:4021:30
大島発6:207:108:159:1510:1511:1513:0514:0515:1516:1517:0518:0519:1520:1521:05

 問い合わせは、新居浜市 経済部 運輸観光課まで 0897-65-1261。


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