ノルマ。こなさなければいけない仕事。セールスやってる人にはもちろん、どんな仕事にも関係あるキーワードである。先日、聞いて驚いたのだが、サラ金会社にもノルマはあるらしい「今月の貸し付け目標:5000万」とかいって。しかも、純貸し付けだから、返済で入金されるとノルマが増えるらしい。だから、借金をまとめて返済なんかすると「ありがとうございました」と笑顔のお姉さんは言うだろうが、心の中では「今月ノルマ厳しいのに持ってくんなよ、ボケがぁ」とか思っているはずである。さて、売り込み活動とは言っても他の業種と違い商品を売るわけではないから制限されている。思い付くのは駅や街でのティッシュ配りくらいだろうか?そして、セールスマンがいない。生命保険や火災保険なら、家に押しかけて押し切れば契約が取れる事もあるだろう。しかし「金借りてくれ」と各家庭に訪問するわけにはいかない。しかし、売り上げ(?)を伸ばすにはそれしかないわけで、結局「お客様の最高限度額まで、あと○○万円ありますが、ご入用ではないですか?」などといった電話を掛けるのである。勿論、新規の客ではなく完済した客などに絞られるが。しかし、普通「金借りませんか?」と言われて借りに行くか?とか思うんだが、これが結構来るらしい。一度借りたら泥沼なんかのぅ。そして、店に返しに来る客を捕まえて「今月のノルマまであと少しなんですよ。来月入ったらすぐ返していただいて結構ですから。私たちを助けると思って...」とか、泣き落としで貸したり、ちょっと審査を甘くしたりする事もあるらしい。まぁ、ノルマは腐敗の元だからしょうがないとは言え、何か間違っているような気がする今日このごろである。
他の動物には使えなくて、人間だけが使えるものに言葉がある。物事を伝達するのに無くてはならないものであり、モノ、現象、感情など、ほぼ総てのものを網羅している。人は生長していく上でそれらを会得して、他人との意志の疎通を行い、よりよく生きていく...はずである。そう、言葉は圧縮データと同じである。各個人の頭の中で圧縮して発信されて、受信した受け手の頭の中で展開されて解釈される。しかし、映像は展開しなくても、そのままダイレクトに頭の中に入ってくる。つまり、圧縮率の高いのが文字であり、低いのが映像である。文字は伝えるのが簡単だが、展開が難しい。映像は伝えるのが難しいが、展開する作業が不必要である。例えば、1冊の小説を全部マンガ化すれば数冊になってしまい、それをアニメにすれば何十話にもなってしまうという風に。この中では、アニメを見るのが一番楽である。頭の中で想像などによる展開を行わないからである。もちろん、映像でしか伝わらない事も多々ある。「百聞は一見にしかず」ということわざがあるように。しかし、最近の通信やマルチメディアの技術の進化を見ていると、メディアは確実に文字から映像に移行している。この先、人間は見るだけで読解しなくてよく(つまり、楽に)なる方向に進んでいくとすると、人間の展開能力は確実に退化していくはずである。つまり「アニメばっかり見てると絶対バカになる」である。PTAのお母さん方は正しいのだ。
日本はコドモ文化の国である。大人になりたくないコドモをピーターパン症候群と言うらしいが、現在の日本で大人になりたい理由を探す方が難しい。なぜなら、文化のすべてがコドモ中心だからである。TVをつけてみる。ゴールデンタイムと呼ばれている時間帯、そこに溢れている番組、バカを絵に描いたようなくだらないドラマ。原作、コドモ向けマンガ。ヒットチャートを見る。ファンの9割が10代女性と思われるコドモが毎回ランキング。本のセールスランキングを見る。トップがコドモ向けマンガなのは言わずもがな。文庫はガキ向けファンタジー、ノンフィクションは「マンガ○×の謎」今は減ったかもしれないが。
昔は大人の方が優遇されていたはずだ。服一つにしても、和服なんて物は若い間は似合わないものである。齢を重ね人生に厚味が出れば出るほど似合うものである。もちろん、洋服がコドモ向けと言っているわけではない。大人向けの洋服が日本にあまり入ってきていないだけである。だから、人は努力して大人になろうとしてたし、コドモを卒業したがっていた。コドモは基本的に馬鹿で無教養で礼儀知らずで本能に忠実である。つまり、動物に近い。そんなコドモの言う事を真に受けて、コドモの言う事を満たしてやって、コドモに支配された日本はどうなるのか?満たされたコドモは欲求もなく野望もなく歳をとり、がて勤勉さを失った日本はアジアの国々に追い抜かれ、誇れる文化もない事に気づくのであろう。
日本で売れているものは世界で認められない...音楽にしても映画にしても小説にしても。なぜなら、コドモ向けだからである。コドモに追従していない世界の大人達に認められるわけがないのである。
今朝、AC(公共広告機構)の広告を新聞で見た。骨髄バンクの登録呼びかけである。「かけがえのない命の重さが、最近軽くなっていないか?」
という内容の文章に「ゲームと現実の境界線上でどんどん曖昧になっていく、いのち」というフレーズがあった。最近このテの「仮想と現実の区別が付かない」というのは良く使われる言葉である。ここで、昔はちゃんと境界線があったのか?ではなぜ、最近になって現実と仮想が混同されるのか?という問題にブチ当たる。答えは仮想を表現する技術が格段に進歩したから、であろうか?もちろん、それもあるだろう。スーパーマリオよりも、バーチャファイターの方が真似しやすい。猟奇殺人の小説を読むより、スプラッタビデオを見た方が惨殺方法を理解しやすい。しかし、それ以前の問題がある。「バカが増えたから」である。「子供は愚かで馬鹿である」と前回も書いたが、子供は基本的にバカであるから、危険や非道を考えずに、マンガを読めばその真似を、テレビを見ればその真似をする。誰しも幼い頃は教室で昨夜見たテレビの真似をしていたはずである。
いわゆる「ごっこ遊び」の延長である。しかし、それも幼いから許されるわけであって、いい年してゲーセンでゲームのキャラにシンクロして踊ったりすると、有名人に仕立て上げられて全国各地から観光客が訪れたりする。では、それが許されなくなる年齢というのはいくつからなのか?どうやら、その辺りがこの問題の根源ではないだろうか?そう、ゲームと現実が近くなっているのではなく、中身が幼児のままの青少年が増えているのである。なぜか?誰にも叱られないからである。つまり、子供を叱れる大人が減ったからなのでは、と私は考える。子供はシバいときゃ間違いないのである。
「表現の自由」とかいう言葉があるらしい。訴えられたマスコミが絶対使う単語である。先日のアイドル追っかけ本訴訟の記事の中にも見かけられたが、アイドルの自宅の住所を調べ上げて公開することが自由なんか?それを見て、家に押しかける輩やストークする人以外には使えない情報やないんか?
そう、表現の自由とは、見る側を選ぶ自由なのである。18禁などというモノがある。18才未満は見てはいけない、つまり満18才になった瞬間から見てもよい、ということになる。その一瞬で何が変わる?そう、何も変わらない。なぜ、駄目なのか?劣情をもよおすから?それは18過ぎても変わらないハズ。つまりは「正しい判断をできない未成熟な人格に悪影響を及ぼすから」とか、そんなトコロであろう。でも、ちょっと待って欲しい。18才になったらみんな成熟するのか?個人差はないのか?世の中にはちゃんと判断の付く15才もいるだろうし、20過ぎても未成熟でヤバげな人なんてゲーセンやコミケに行けば沢山いる。そういう判別は誰がする?つーわけで、国は「大人になっているか」適性検査をすべきである。18才になった時点で。それを差別や人権侵害だというのなら、これから益々増えるであろう、物事の判断ができない未成熟者達を基準にすべきである。真似すると困るから犯罪をあつかったドラマ・ドキュメントはすべて放映禁止。人を殴ったり刺したり撃ったりするゲームもダメ。勿論エロゲーも禁止である。ロリなんかもってのほか!そう、表現の自由なんてものは分別のある大人にだけ許された自由であって、未成熟なガキには過ぎたオモチャでしかないのである。...で、あなたの周りに適性検査で落第しそうな人はいませんか?
あれはもう3年前になるのだろうか、大手宝石店「ココ山岡」が倒産したのは。巨額の赤字を抱えて倒産。不動産に手を出してバブル崩壊と共に会社ごと潰れたという、よくある倒産だったのだが。何故かその後、悪徳商法会社の如くワイドショーで取り上げられていた。私の知人にそこでバイトをしてた人がいるので、少し内情を聞いた事がある。末期、ココ山岡が力を入れていた商品とその販売方である。さて、その手口であるが...ターゲットは二十代(学生除く)男性。売るものは150万円のダイヤモンド。まず、バイトの女の子が店の前を歩いている男性に声をかける。そして、他愛のない雑談から恋人の話になり、婚約(結婚)指輪の話になる。もし、その客に恋人がいなくても、年齢的にも結婚という言葉はシカトできる話題ではないので「もし、そういう人が出来たら」という仮定で話は進んでいく。そして、プロの販売員に交替して150万円のダイヤモンドを売るのである。クルマは10年も乗れないがダイヤモンドは一生の物、今から買っておいても困らない、月々いくらか払えばいいのだからそんなに高い買い物ではない、ダイヤさえ買っておけば指輪のサイズ直しやネックレスに加工するのも、少ないお金ですぐ出来る...etc、言葉巧みに攻めるのである。その上、美人の販売員さんが「女性はこういう物を貰うとすっごく嬉しい」という女心(?)を切々と語ってくれるのであるから、それで結構な割合が落ちるのである。「どうせ一つは要る物だし」「年が経っても価値は変わらないし」とか思わせた時点で、販売員さんの勝ちなのである。で、この駆け引きは1、2時間続いたりするわけだが、それでも悩む客には最終的に「5年後に同じ価格(つまり150万)で買い取る」という保証書を付ける、という荒業をかますのである。買って5年で、そういう相手が見つからなかったりした場合は、お金が返ってくる。つまり、タダでダイヤを5年借りれるのである。丸儲けやんとほくそ笑みながら、契約する客も多くいたようだ。 ...しかし、ココ山岡の方が上手。あっさり倒産してしまう(笑)。そして150万円の買い取り保証があったからこそ買った客は「被害者の会」なんぞを作って被害者ヅラ。しかし、そのダイヤをちゃんと婚約指輪として使った客はもちろん満足しているわけで、欲の皮がつっぱった人間が「騙された」と叫んでいたのである。会社が保障したものなんて、その会社が潰れればそれまでである。そんな事も分からんのか。株と一緒だってば。しかも、マスコミもアホみたいに「あそこのダイヤは他の店で買うより高かった」とか「質屋に鑑定してもらっても1/10にしかならない。」とか言い立てる。物の価値をわかっていない奴らである。プラダの人気が落ちて潰れたら、あのナイロンリュック(6万円)を1万円以上で買い取ってくれる所があるのか?あるハズがない。ブランドが無くなれば、あんなのタダの黒いナイロンリュックである。ダイヤもそうである。ダイヤで資産価値があるのなんて、最低でも1カラット以上である。それ以下なんて単なるブランド貴金属。小金で得をしようと浅知恵を働かすから騙されるのである。なんちゅーか見苦しい小市民の浅ましさが目立つ事件であった。