趣味の漢詩

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九月十日くがつとおか        菅原 道真すがわらみちざね
去年  和歌

去年の今夜清涼せいりょうす
秋思の詩編独しへんひとり断腸
恩賜おんし御衣今此ぎょいいまここ捧持ほうじして毎日余香よこうはい
 通 釈 ちょうど一年前の去年の今夜、清涼殿で菊の 宴がもようされ、「愁思」の勅題で詩を作った。 そのおり、心に墳り悲しむことがあり、詩は 腸もちぎれんばかりの悲しい思いに満ちた 詩になったのである。  その詩が天皇のお心にとまり、恩賞として 御衣を賜った。思い出の深いその御衣は今 ここにありて、毎日捧げたてまつり、天皇をし のび余り香を拝し、厚いご恩に感じ入っている。 道真の感極まった心情を詠っている。 又この詩は道真の詩で最もよく知られた詩で、 道真の誠実な人柄がにじみでた名詩である。 和 歌 こちふかばにおいおこせようめのはな    あるじなしとてはるなわすれそ
語 釈
●清涼=宮中の殿名。天皇の常の御殿。 ●愁思=秋の悲しみ。詩宴の勅題。
中国文学の伝統的詩題の一つ。●恩賜御衣=天皇から頂いた御衣。
戦時中、戦地の兵士に「恩賜のタバコ」が配られたと聞いたことがある。
●断腸=はらわたがちぎれるほど悲しいこと。「断腸の思い」などとよく聞く。
●余香=移り香。物に移り残った香。(衣に感じる天皇の尊い香)。

鑑 賞
詩題に「重陽後一日」となっているものもあります。
この詩は道真が大宰府に流されて迎えた九月九日菊花の候に
昨年の清涼澱での菊見の宴を思い出し詠んだ詩です。
尚、道真が京から大宰府へ流された時、道真がこよなく愛していた梅が
道真を慕って一夜にして大宰府へ飛んで来たと言う伝説があります。
これを“飛梅”と言いこれにちなんで以前、福岡で国体があった時、この
国体を“飛び梅国体”といいました。
この詩は道真の代表的な詩の一つで
最もよく知られていて、私も非常に好きな詩です。
華美にながれず質素な内にも深い情感のこもった詩だと思います。
作 者 ● 菅原 道真 ●(845〜903)
平安初期の政治家・学者・詩人。管公・管丞相とも呼ばれている。
「菅原道真」 は学問の神様(天神様)としてよく親しまれている。
平安朝時代の政治家であり又儒学者でもある。
醍醐天皇十三才の時五十五才で右大臣となった。その後道真は太政大臣に
任じられ藤原時平と共に天皇を補佐する役となったが、道真が天皇の
信任が厚いのを時平の恨みをかい、時平の無実の讒言により、九州の
大宰府へ左遷された。没後道真の冤罪は明らかとなり、本官に追復して
正二位を贈られ、一条天皇の正暦四年左大臣正一位を贈られ、太政大臣
に任じられた。これよりさき、村上天皇のとき、京都の北野に道真の霊をまつる
祠が建てられ「北野天神」として、文学、学問の神様として崇敬を集めている。


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菅原道真について ゆうこさんのビックリホームページ

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