ここでは 詩“九月十日”の「秋 思」を鑑賞してみよう。
秋 思 菅原 道真 丞相年を渡りて幾たびか楽思す 今宵物に触れて自然に悲しむ 声は寒し絡緯風吹くの処 葉は落つ梧桐雨打つの時 君は春秋に富ませたまい臣漸く老ゆ 恩は涯岸無く報ゆること尚お遅し 知らず此の意何の安慰ぞ 酒を酌み琴を聴き又詩を詠ず |
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【通 釈】 右大臣となって以来幾度か楽しい思いをさせて頂いた。 だが今宵はなぜか目に触れ耳に触れる物すべて,自然に寂しさがこみ上げてくる。 こおろぎが風の吹く処で寒々と鳴き,青桐が雨に打たれて 落ちてゆく葉も たまらなくさびしく見える。天皇はまだお若い。 それにひきかえ,自分もう老いを感じ始めた。 ご恩のほどは限りなく深いのに,未だに何も報ゆることが出来ないでいる。 このいたたまれない気持ちをどうすればよいのだろうか。せめて酒を飲み, 琴を聞き,又詩を詠んで気を晴らそう。 【語 釈】 ●秋 思=秋に思う ●丞相=自分のこと。中国の執政の大臣のことだが道真は右大臣となり 管丞相と呼ばれていた。 ●年を渡りて=年月の経過(永い間) ●楽思す=楽しい思いをして来た ●絡緯=こうろぎ。絡糸娘ともいう。糸をつむぐような声で鳴くところからこう呼ぶ。 ●梧桐=あおぎり ●臣漸く老ゆ=自分はめっきりと老いた(漸=めっきりと,しだいに) ●恩は涯岸無く=限りないたくさんの恩を受けた。(涯岸=限度) ●春秋に富み=お若い。 ●此の意=自分のはれやらぬ心 【鑑 賞】 これは清涼殿で菊見の宴が催された時,晴れの醍醐天皇の御前で,道真の寂しい気持ちを 歌った詩である。その寂しさの裏には,当時権勢を誇った藤原氏の横暴に対する 義憤がある。事実,道真はその藤原氏の讒言によって,太宰府へ左遷された。 詩の中で「君は春秋に富ませたまい」は、幼帝を思い 正に断腸の思いから出たものであろう。この詩題の「愁思」が一年後に大宰府に流され、詠んだ「九月十日」の“愁思の詩篇独り断腸” の「愁思」のことである。