金州城下の作 乃木 希典(1849-1912) |
山川草木転た荒涼 十里風腥し新戦場 征馬前まず人語らず 金州城外斜陽に立つ |
【乃木希典】は明治の陸軍大将。嘉永二年江戸の長州藩邸に、毛利家家臣乃木希次の 三男として生まれた。慶応三年長州征伐のおり、高杉晋作の報国隊に加わり、幕軍と戦った。 西南戦争では連隊長として熊本で西郷軍と戦ったが、連隊旗手が戦死して、連隊旗を奪われ、 引責自刃を決意したが果たさなかった。(このことを終生の恨みとしたことを遺書に書いている) 明治三十四年休職し、農耕生活を送った。三十七年日露戦争で旅順総攻撃を指揮し、長男、 次男を最前線に送り、戦死した。この時の戦死傷者は五万五千人。この時のことを、詩に 「愧(はず)我何の顔(かんばせ)あって父老に看えん」と心中を詠っている。 希典は大正元年九月十三日、明治天皇御大葬の日午後八時霊輿ご出発の号砲を合図に、 静子夫人と共に殉死。六十四才。希典は昭和天皇を厳しく教育されたことでも知られ、エピソードに、 登下校時、雨が降っていても、傘をささせなかったという。 又日露戦争で敵、敗将ステッセルに最高の敬意を表して迎えたことも、語り継がれている。 厳しい中にも、思いやりのある、正に詩人らしい希典の人柄が偲ばれる。 辞世の句 “うつし世を 神さりましゝ大君の みあと慕ひて我は行くなり” “神あがり あがりましぬる大君の みあとはるかに をろがみまつる” 通 釈 美しかりし自然の山や川、草や木も、今は荒れはててすさまじく、見るかげもない。 十里四方血なま臭い風が吹き、戦場の跡は痛ましい。戦馬も疲れて進もうとせず 将兵もおしだまって、語ろうともしない。自分は今、沈みゆく夕日に照らされた、金州城の 町外れに複雑な感慨に思いをはせながら、馬を止め立ちつくしている。 語 釈 転=いよいよ、ますます。 荒涼=すさまじく荒れた様。 征馬=軍馬。 不前=「前」は“進”と同意。 立斜陽=夕日を受け馬をとどめ立てること。 金州城=満州、遼東半島の南端、旅順港の背後の要地。城壁をめぐらしている町。 鑑 賞 この詩は、乃木希典の最も有名で、よく知られた詩である。 南山(長男、勝典が戦死した地)の戦跡をを弔い、山上の戦死者の墓標に ビールを供え、英霊を慰めた時の詩である。 希典は軍人としてのイメージが強いが、それ以前に詩人だと思う。戦地にありながらも 自然を眺め、花鳥風月に心を傾け、心情を詠い、それがこの詩にも表れている 寂しさの内にも、やさしく美しい、叙景詩である。漢詩の大家・伊藤竹外先生とこの 件で大いに話し意見が合った。 血生臭い戦場にあって、この様な心象を情景と合わせて表現出来るのは、素晴らしい 詩人といえるのではなかろうか。この詩の「山川草木」は特に有名な句となっている。 |