趣味の漢詩

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九月十三夜陣中作           上杉謙信うえすぎけんしん(1530−1578)

霜は軍営に満ちて秋気しゅうき清し

数行の過雁かがん三更さんこう

越山併えつざんあわせ得たり能州のうしゅうの景

遮莫さもあらばあれ家郷遠征かきょうえんせいおも
七言絶句・下平八庚韻

左は栃尾城趾を背景にした謙信公像。
秋葉公園南側。 左手に数珠、右手に軍配団扇、
腰には刀を差している。 また、謙信公はかなりの大男で
あったあと言い伝えられ、 「越後の虎」と呼ばれるにふさわしい
風貌だったよだ。

【上杉謙信】(本名、景虎)は戦国時代の名将。長尾為影の二男で、上杉憲政の
家督を受け、関東管領となった。後出家して謙信、不識庵と号した。
幼少から学芸を好み菩提寺の僧に文字を習い、長じて四書五経・老荘を学び国学にも
造詣が深かった。上洛して後奈良天皇に拝謁、公家達と歌道を論じ、将軍足利義輝とも
和歌の応酬をなした。
この頃武田信玄が信濃(長野県)に侵入したので、帰国して信濃へ出兵し、
前後五回にわたって川中島で戦ったが、その内でも永禄四年九月十日の第四回の
戦いが最も有名である。
謙信は生涯妻を持たず、養子の景勝が後を継いだ。行年四十九歳。
謙信は戦国時代を代表する勇猛無比な武将であるが、学芸に深く人格は高潔で政治家としても
民政を重要視し、租税を軽くし産業を興し、交通を整え、経済の安定を図った。
謙信は深く仏教を信じ、禅宗と真言宗に帰依し、「謙信」はその法名である。
四十五才で剃髪し、自ら「不識庵」と号した。
  通 釈
見渡す限り真っ白な霜が、我が陣営いっぱいに満ちて、秋の気配がすがすがしい。
幾列もの雁の群れが空を飛んで行き、真夜中の月が白々と照り映えている。
越後、越中の山々に、手中にした能州を併せたこの光景はまことに素晴らしい。
故郷では遠征のことを案じていることだろうが、ままよ、今夜はこの美しい十三夜の月を
静かに賞でよう。
 語 釈
数行=二・三列、幾列かに並んだ様。 三更=更は時刻を示す。今の深夜十二時以後。
一夜を五更に分け今の八時を初更、二更は十時、四校は午前二時、五更は四時。
越山=越後・越中の山々。 併得=併せることが出来た。(制覇することが出来た)
能州=能登の国。 遮莫=どうなってもよい。ままよしかたがない。
 鑑 賞
この詩は謙信が天正五年九月十三日七尾城を落とし、二日間兵を休ませた時に
詠まれた詩である。
謙信は、武将であると同時に、詩人としても優れている。
「この詩は、格韻清爽、情趣深く、傑作と称すべきであろう。(石川忠久教授)」
又、謙信の詩はひときわすぐれている、とも書いておられる。
前半二句は、陣営より眺めた情景を、抑制しながらも雄大に詠っているが、
その裏には、武人らしい颯爽(さっそう)たる姿が感じられる。謙信は、七尾城を
陥れ、意気揚々たる心情を歌い上げたかったであろう。
転句のスケールの大きい能州を目にしながら、故郷の者への心遣いを思わせ
謙信の人柄が偲ばれる。
この詩を鑑賞するとき、謙信は戦国の武将であると同時に優れた詩人だった
ように思われる。只、この詩は謙信の作ではないだろうという説もある。

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