趣味の漢詩

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偶 成ぐうせい   朱 熹しゅき(朱子)(1130-1200)

少年老い易く学成り難し

一寸の光陰こういん軽んずべからず

未だ覚めず池塘ちとう春草の夢

階前かいぜん梧葉已ごようすでに秋声

七言絶句下平八庚韻


 【朱 熹】 南宋の哲学者。又朱子とも称された。
仏教や老荘の教えを排し儒学に専念した。故郷に帰り母に仕え学問に
力を注ぎ、ていこう程頤ていいの学を集大成し、朱子学を築いた。
朱子(朱熹)の詩は気品があり、時には豪放でもある。特に五言古詩に長じ、
唐詩を凌駕しているとの評があるほどである。
  【通 釈】
若者といえども年はとり易いものだ。それに反して学問はなかなか成就しない。
だからわずかな時間でもおろそかにしてはならないのだ。
池の堤にもえる春の草が夢を見ているうちに、庭先の青桐の葉に、いつのまにか秋風がしのび寄っている。
 【語 釈】
少年=若者 日本語の「少年」よりやや年が上。 池塘=池のつつみ
春草夢=春の草のような若い時代の将来の夢と希望に満ちた心持。春草は若者をあらわしている。
階前=階段の前--庭先。 梧葉=青桐の葉。 秋声=秋風の音。
 【鑑 賞】
この詩は勧学の詩として有名であるが、詩として面白い構成になっている。
前半の二句は正にお説教である。年はすぐとるけれど、勉強はなかなか進まないよ!!
少しの時間も無駄にしては駄目だ!!っと訓辞している。
又、この二句だけで教訓の言葉として、よく引用されている。
「一寸の光陰」などもよく聞く句で、又“光陰箭の如し”“光陰は百代の過客”(奥の細道)
などがある。その前半の固苦しさに対し後半の巧みな比喩が面白い。
池の塘の草が夢を見ている、とは若者が若さに浮かれてフラフラした感じをうまくいっている。
そして、気が付いてみると秋になっていて、桐の葉がバサッと落ちて目を覚まされる!あわて
ふためいた様子を感じさせる。ぼやぼやしてたらしてたらいかんよ!!と言っているのだが、
単なる無味乾燥な勧学の詩ではない。豊かな詩情がただよっている。
この詩を読んでいると、広瀬淡窓の「諸生に示す」“道を休めよ...”
と通じるものがある。
*中国では、桐の葉の落ちるのを時の移る比喩に用いられることがある。
“一葉落ちて天下の秋を知る”


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