趣味の漢詩

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 ここでは心の和む
 良寛さんの詩を鑑賞してみます。


こころなり    良 寛りょうかん

欲無よくなければ一切足いっさいたり
求むる有れば万事きゅう淡采餓たんさいうえいや衲衣聊のういいささまとうう
独りいて糜鹿びろくともとし
高歌こうかして村童そんどうす
耳を洗う巌下がんかの水
こころなり嶺上れいじょうの松

【良 寛】(1758〜1831)
江戸時代末期の僧侶。幼名は栄蔵。越後(新潟県)出雲崎の人。家は名主と神職を兼ね、
父は以南と号して、越後の俳壇の第一人者であった。22才で備中玉島で国仙和尚について
学び、後諸国を行脚し、帰国して西蒲原郡国上山の五合庵に住んだ。その五合庵で泥棒に
入られたときの句に、「ぬす人に取り残されし窓の月」がある。
59才で山麓の乙子神社の庵に移った。「焚くほどは風の持て来る落葉かな」。
70才で29才の貞心尼と恋歌を交わし、74才で貞心尼に看取られつつ没した。
貞心尼と交わした恋歌は「蓮の露」と題して貞心尼が書き残している。
絶句に「うらを見せ表をみせて散るもみじ」。
【通 釈】
欲がなければ,全てが足りて何の不足を感じることもないが
反対に,求めようとすればする程,次々と欲がわいて,結局万事窮してしまうのである。
あっさりとした野菜でも餓えをしのぐことが出来るし, ころもをまとっただけでも
生きてゆける。
鹿を伴連れにしながら 独りで暮らし 時には村の子供達と
一緒になって声高らかに里歌を歌う。
岩の下には清らかな清水が流れ,そのせせらぎの音を聞いていると
俗事に、けがれた耳を洗われているような心地よさである
嶺の上の松はいい眺めだし,さわやかな風に揺れる音も我が心を なごませてくれる。
これぞ正に“我が意(こころ)にかなった生き方である”。
【鑑 賞】
私見であるが、この詩の中で特に心を引くのは5句の「獨」の一字である。
何気なく使われているように見えるがこの詩 全体を象徴しているかのようである。
そしてひときわ強く,一段と高くそびえて見えるのである。それは 良寛の全てを凝縮した一字のようにさえ感じる。
私がこの詩に出会った時 先ず思い出したのは子供の頃母に読んでもらった絵本で見た,
手まりつきをして,子供たちと遊んでいる優しそうな良寛さんの絵である。
のどかな山里で,村の子供達と輪になって楽しそうに戯れている和尚さんの姿である。
それだけに特に印象深い詩である。
又良寛のその人となりを忍ばせる歌に 右の一首がある。    
   

目 次

良寛さんについては良寛&貞心尼 のホームページで詳しく紹介されております
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