趣味の漢詩

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七言律詩平起(下平声八庚韻)荊・情・聲・迎・行

不 出 門もんをいでず    菅原道真すがわらみちざね



「秋 思」と並び、道真の万感のこもった詩です。
一たび謫落たくらくせられて柴荊さいけいりてより  
万死兢々ばんしきょうきょうたり跼蹐きょくせきの情
都府楼とふろうわずかに瓦色ぐぁしょく
観音寺かんのんじ只鐘声ただしょうせい中懐好ちゅうかいよ孤雲こうんうて去り
外物相逢がいぶつあいおうて満月迎まんげつむこう
此の地身に検繋無けんげきなしといえど何為なんすれぞ寸歩も門を出でて行かん

【語 釈】
謫落=罪をこうむり、
官位をはくだつされて配流されること。
柴荊=しば、いばらでで作った門の
ある陋屋。門を閉じて他と交際せぬ意。
跼蹐=恐れおのにくさま。
都府楼=太宰府の役所の高殿
中懐=中情、懐中、胸中に抱き持つ
感慨。 外物=外界の事象。
「中懐好し孤雲を逐うて去り」
「外物相逢うて満月迎こう」
頚聯のこの対句は
非常に深い意味を感じさせる句で
私の最も好きな句です。
次の尾聯の二句で、謹慎の決意
で結んでいるが、謹慎しながらも
僅かに得ることの出来る心の自由
で、自分を慰めている。
【通 釈】
私は天子の怒りに触れ、太宰府に流され
柴の戸の内で毎日を過ごしています。
その罪は重く、万死に当たる思いがして、
この広い天地の中にいても、身の置きどころも無く、
戦々恐々と、謹慎しております。
太宰府の高殿も、木戸の間から僅かに、
屋根の瓦を仰ぎ見るだけ、又 近くの観音寺も、
朝夕 聞こえてくる鐘の音を聴くばかりで、一切
訪れることはしないで、屋内に閉じこもっています。
しかし、自分の胸中に抱いている感情は、
空に浮かぶ一片の雲を追うて、どこまでも
飛んで行くことが出来るし、又、訪れて来る者は
無くても、満月の光だけは、何物にも遮られる事無く
迎え入れて、相逢ことができます。
私は、この土地で、拘束されているわけではないが
なんで、寸歩たりとも門を出てよいものでしょうか。
門を出でず、ただひたすら謹慎しております。
【鑑 賞】
この詩は、道真が太宰府に流さていた時の作であるが、
「秋思」と並び、七言律詩の双璧を成していると言える。
道真は、延喜元年(九0一)正月二十五日
藤原時平の讒言(ざんげん)により左遷され、
同三年二月二十五日、五十九歳をもって没した。
謹慎生活に入って、その心情を詠じたものであるが、
七言絶句の「九月十日」、と共に、道真の「人柄」
そのものが偲ばれる。
尚 蛇足であるが、白 居易の「香炉峰下の山居」
と共に鑑賞してしてみると、白居易と道真の人生観が対照的で面白い。

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