独り坐す幽篁の裏
彈琴復長嘯
深林人知らず
名月来って相照らす
【王 維】(699〜759)
盛唐の詩人。九才で詩文を作る
ことを知った。詩人でもあった
名宰相張九齢によって抜擢された。
750年母に死なれ、悲しみの
あまりやせ衰え官職をも辞した。
三年の喪が明け復職したが、
安禄山の乱で捕えられ仕官を
強要された。反乱平定後、反逆者
とされたが、反乱軍に軟禁されてい
たときに詠んだ詩により許された。
王維は陶淵明の詩風を継承した
田園詩人の第一人者で、
孟浩然・韋応物・柳宗元とあ
わせて「王孟韋柳」と呼ばれる。
絵にも得意で、南宗画の祖と
仰がれている。
その詩画については「詩中に
画あり、画中に詩あり」といわ
れている。
【語 釈】
竹里館=竹林の中にある離れ座敷の名。王維の別荘。
幽篁裏=奥深く静かな竹やぶの中。裏は中の意味。
彈琴=彈は琴をひく。琴は淫邪(いんじゃ)を禁じ、
人の心を正すというので、君子は、これをひいて
心を澄ますことをした。復=琴をひき終わり、また。
長嘯=長く静かに小声で吟ずる。
深林人不知=琴を弾いたり、詩をうたったりする
深林の中の楽しさをだれも知らない。名月だけが、
この楽しさを知っている。
相照=この場合の「相」はお互いにの意味はなく、
「相送る」「相迎える」「相すまぬ」などのように
軽い意味の接頭語。
|
【通 釈】
奥深くものしずかな竹やぶの中に、私は
ただひとり坐して、琴を彈いたり、また声を
長く引いて詩をうたったりしている。
深い林の中なのでだれも知らない。名月
だけはこの林の奥まで月の光をさしこんで、
私を照らしてくれる。
【鑑 賞】
自然の幽趣にひたりきった清純な気品の
高い詩である。夏目漱石は「草枕」の中で、
『うれしいことに、東洋の詩歌は、そこを解脱
したのがある。菊を採る東籬のもと、悠然と
して南山を見る(陶淵名)。ただそれぎりの
裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が
出てくる。垣の向こうに隣の娘がのぞいて
いるわけでもなければ、南山に親友が奉職
している次第でもない。超然と出世間的に
利害損得の汗を流し去った心持になれる。
(竹里館の詩・・略す)ただ二十字のうちに、
優に別乾坤を建立している。』と述べている。
確かに、ここに描かれているのは、東洋的な
精神の世界であろう。
忙しい二十世紀の我々にとって、これまた、
なんと羨ましい境地だろうか。
竹の林で超俗の遊びをしたのは、三世紀
中ほどの竹林の七賢に、その先例を見る。
彼らは渦巻く世間を離れて、郊外の竹林で、
酒を飲み、琴を奏で清遊した。それゆえに、
後世その境地を慕う者が絶えないのである。
|