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楓橋ふうきょう夜泊やはく       張  継ちょうけい
月落ち烏いて霜天に満つ  
江楓こうふう漁火ぎょか愁眠に対す
姑蘇こそ城外の寒山寺かんざんじ
夜半の鐘声しょうせい客船かくせんに到る
楓橋

七言絶句(下平一先韻)天・眠・船


【語 釈】
★楓橋=橋の名前。江蘇省蘇州にあり、
元は“封橋”だったが、この詩が
有名になったので、「楓橋」となった。
★夜泊=夜、船に泊ること。
★月落=月が西に落ちてゆくこと。
★烏啼=烏が鳴くこと。
「烏啼山(うていざん)」はこの詩
が有名になったので
付けた山の名前。
★霜満天=霜の気が空に満ちあふれて
いること。地上に霜がおりる前に、天地
いっぱいに満ちること。「霜気秋に横たわる」
「霜天に満ちて長望す」「霜は軍営に満ちて」
などの句もある。
★江楓=川岸のかえで。謡曲「三井寺」「道成寺」
では「江楓」を「江村」としている。
「全唐詩」「三体詩」「唐詩選」では「江楓」と
なっており、詩としての味わいは「江楓」のほうが   
よい。★漁火=いさり火。★愁眠=仮眠。旅愁で
熟睡できずうつらうつらしている浅い眠り。
★姑蘇城=今の蘇州にある。春秋時代・呉越時代
(前770〜前403)の呉の都。★寒山寺=蘇州の西
にある寺。
【通 釈】
月は西の方に沈み、烏が鳴いて霜の気が空一面に
満ちている。川岸のかえでや点々としたいさり火(漁
火)が、旅のうれいのために熟睡できず、うつらうつ
らした目に映っている。すると、姑蘇城の外の寒山寺
から、夜半を知らせる鐘の音が、この船にまで聞えて
きた。

【張 継】(756年頃)
中国唐時代の詩人。湖北省、襄陽県の人。政治にも明るく
かつて郡を治めたとき、その政治手腕は素晴らしかったといわれている。
また、張継の詩文は彫琢を施さなくても、自然に修辞の美が
そなわったという。
【解 説】
船旅の途中楓橋のあたりで、夜となり船中に泊まったときの
旅愁を詠った詩である。「江楓」を「江村」となっている本も
あるが、これは兪越ゆえつ(1821〜1906)の説からきている。
しかし、この詩には「江楓」の方が良いとの説が多く、こちらをとる。
中国では船で旅をすることが多くそのときの、旅情、
感慨を詠った詩が多い。
【鑑 賞】
この詩は、これまでいろいろ議論されたことでも有名
である。詩としても、ゆったりとした旅愁を感じさせ、絶唱
として、吟詠家の間でもよく吟じられている。私も何度も
吟じたことがあるが、第三句は“姑蘇城外の寒山寺”と
助詞の「の」を入れて読むと吟じやすく、それが慣例と
なっているようだ。
起句、月が沈んで寒々とした秋の夜空に烏が鳴いている。
晩秋の旅愁をかもし出している雰囲気だ。
承句、旅愁の眠れぬ目に映るのは、岸の楓の葉と、赤く
燃えるいさり火とである。
この詩のポイントは、ここにある。「江楓」と「魚火」の組み
合わせであり、薄暗い川面に浮ぶあかりと、その明かりに
映し出される楓の葉の情景である。従ってここを「江村」と
すると、趣が変わってしまう。この明るさは、はっきり見える
明るさではなく、チラチラする魚火に照らされるので、なん
とも言えないほのかな旅愁をそそる。
 前半、起・承句は、月、霜、楓、火と視覚を詠じ、後半の、
転・結句は鐘の声、聴覚を詠じている。張継はこの詩一つ
で有名を馳せ、この詩が「楓橋」の橋を有名にしその後多くの
詩人が、この地を訪れるようになったのである。

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