趣味の漢詩

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富士山ふじさん        石川丈山いしかわじょうざん
富士山

七言絶句 (下平一先韻)巓・淵・天


仙客せんかく来り遊ぶ雲外のいただき

神竜しんりゅう棲み老ゆ洞中のふち

雪はガン素の如く煙は柄の如し

白扇さかしまにかかる東海の天


「ガン」の字は「糸+丸」です。
【語 釈】
★仙客=仙人。鶴の異名。役小角(えんのおづぬ),
(えんのしょうかく)が仙術を得て伊豆の大島から毎夜富士に
来て遊んだという伝説がある。小角は大和の人で、わが国修験道
の祖。一時伊豆に流された。
★神竜=神がかった竜。★ガン素=白いねり絹。白い扇面をいう。
★柄=扇の柄。開いた扇の三角形になっている骨の部分。
★白扇=おうぎ。

【通 釈】
仙人が来て舞い遊んだという、神聖な富士山の頂きは雲を抜いて空高く
そびえている。また山頂にある洞窟の中の淵には、神竜が棲みついて
いると伝えられる。霊峰富士を下界から望めば、山頂から山すそまで
純白の雪におおわれ、扇に見たてるならば、白絹を張ったさかさまの
扇面にあたり、その上に立ち上る噴煙は、扇の柄にあたる。
まるで東海の空に白扇がさかさまにかかっているようで、その雄大な
眺めは、実に天下第一の山の名にふさわしい。
【石川 丈山】(1583〜1672)
江戸初期の代表的な漢詩人。三河(愛知県)碧海郡の出身。祖父正信は
長篠の合戦で戦死した。丈山は若くして家康に仕え、豪勇をもって知られ
たが、大坂夏の陣に一人ひそかに軍営を抜け出し、敵の首二級を奪ったが、
軍令を犯したとして退けられて浪人の身となった。30才で京都に閉居し、
後藤原惺窩(せいか)の門に学んだ。又一時安芸の広島藩に学者として
仕えた。
比叡山のふもとの一乗寺村に詩仙堂を作って住み、狩野探幽をして漢・魏
から唐・宋に至るまでの詩家三十六人の像を写さしめ、これに詩を賛して
長押(なげし)に掛け並べた。
丈山は書をよくし、特に隷書にすぐれていた。また築庭にも非凡な才能
をもっていた。

【解 説】
丈山の詩は、隠遁中の詩が多く、この詩もその一つである。
霊峰富士の神秘をのべ、東海の天に白扇を逆さまに懸ける
雄大な表現で美しい山の容姿を賛嘆している。

【鑑 賞】
これほど、素晴らしく富士山を歌い上げた漢詩は他にないのでは
なかろうか。富士は、絵に、歌に日本の象徴として、日本人の心の
よりどころとなっているのは、昔も今も同じである。富士山を扇にた
とえて、扇を逆さまに置いて眺め、かなめの部分を山頂に見たて、
そこから煙がたなびいている。まるで、絵を描いているようである。
非常に奇抜な歌い方で、その面白い着想には目をみはるものがある。
詩吟をはじめた頃はよくこの詩を吟じたものであるが、今でも初心者
のあいだでは、詩吟大会などでよく吟じられている。
心の中で、また瞼に富士山を思い描きながら鑑賞できる詩である。
富士山を見事に歌い上げた名詩である。

“田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける”
                       山部赤人
“晴れてよし 曇りてもよし富士の山 もとの姿は変わらざりけり”
                       山岡鉄舟

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