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海 南 行 細川 頼之
人生五十 功無きを愧ず 花木春過ぎて夏已に中ばなり 満室の蒼蝿掃えども去り難し 起って禅榻を尋ねて清風に臥せん |
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七言絶句(上平一東韻)功・中・風
【語 釈】 ★海南行=海南は讃岐。行は詩の意。 海南の地へ赴く意。 ★花木=花や木。 ★夏已中=初夏・五 月。 ★蒼蝿=青ばえ。ここでは、うる さい 小人のこと。★禅榻=禅家の長椅 子で、座禅に 用いる。 【通 釈】 「人生五十年」という。自分はもうその 年を過ぎたのに、これといった功績も無 く、恥ずかしいばかりである。花や木も 春の季節を過ぎて、夏の半ばにさしかか っている。うるさい蝿がやって来て、い くら追っ払っても又やって来る。仕方が ないから、起ちあがって、部屋を出て座 禅椅子でもさがし、清らかな風に吹かれ て横になるとしようか。 【鑑 賞】 政権を離れ讃岐へ帰るにあたり、頼之が感慨を詠った ものである。自分の努力は報われず、ただ恥じいって いる心境がよく表れている。 「愧ず」は謙遜してではなく、本当に慙愧に絶えない 思いを述べている。花木は自分の人生の喩えもあり、 活躍していた頃の追憶を差し、その盛りの過ぎたのを 「夏すでに中ば」といって、旅立ちの季節と重なりいっ そう実感がわいてくる。 転句では、うるさくつきまとう小者を蝿に喩えている。 結句では、禅道にはいったことを、禅榻に喩えるなど、 この詩は、比喩をうまく活用しているところに素晴らし さがある。 頼之は武人でありながらも、杜甫を学び、詩に対する 造詣も深かった。「野史」(飯田忠彦)にも「頼之嘗て禅 を好み、暇あれば則ち杜少陵読み、能く記憶す」とある。 |