遠く寒山に上れば石径斜なり
白雲生ずる処人家有り
車を停めて坐に愛す楓林の晩
霜葉は二月の花よりも紅なり
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【語 釈】
山行=山あるき。
寒山=木の葉が落ち寒々しくなった秋の山。
石径=石の多い小道。径は小道。
坐(そぞろ・すずら)愛=なんとなく、思わず愛賞する。
霜葉=霜で紅葉した木の葉。
紅於二月花=春たけなわのころ(二月)咲く花よりも赤い。
二月花は桃の花と思ってよい。
「於」は、読まないが 〜よりも〜なりと比較を表す前置詞。
なお、紅葉・楓のことを「紅於(こうお)」と記す習慣は
この句より生じた。
【鑑 賞】
秋のものさびしい一日、山を歩いて美しい紅葉を詠った詩です。
俗世間を離れた高雅な境地をうたったものです。
そして「白雲」がこの詩の中で際立っている感じです。ただの白い
雲ではなく、隠者が棲むような雰囲気をあらわし、高尚なかおりが
ただよっている。山の峯のあたりに湧く白雲、そこに点在する人家。
又、二月の花よりも赤い、といった奇抜な表現もあざやかです。
白雲の「白」、紅葉の「紅」と、色彩の対比も素晴らしいです。
私の自宅は町外れの山村の中にあります。朝、山に上ると、
霧があちこちの山あいからのぼっています。
そして、谷あいに点在する人家がのが見えるのです。
この「山行」の情景をそのまま見ているようです。
「小車や そぞろに愛す 花の時」・風鈴幹
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【杜 牧】(803〜852)
晩唐の詩人。杜 牧は上級試験に及第し、
高級官僚のコースを踏み出した。4才違いの
弟が眼病にかかり退官していたのを見舞い、
休暇の期間を超えた為免職となる。再び官職
に迎えられ、このとき弟の一家も連れて宣州に
赴任した。役職を次々と変わり、任地も転々とし、
内外の政策について意見を上奏、大いに採択された。
中央で要職に就いたが、弟の一家をかかえて生活が
苦しく、収入の多い、豊かな州の刺史(しし)への転出
を願い出て地方へ出たが、851年長安にもどる。
この年、弟が死んだが翌852年50才で没した。
杜牧は死期に近くなって、旧作の詩文を、10の内
2,3を残して焼き捨て、又自分の墓誌銘を書き残した。
杜牧の生涯は、30代前半までの、華やかな時代と
後半の、弟の面倒を見ながらの苦しい時期との二つ
に分けることが出来る。
【通 釈】
遠くものさびしい山に登ってゆくと、石ころの多い小道が
斜めにどこまでも続いている。はるか高い処の白雲がわいて
いるところに人家が見える。
車を止めて、気の向くままに、あまりにも美しい夕暮れの
楓林の紅葉を愛(め)で眺めながら登って行った。
霜でいちだんと紅葉した葉は美しく、紅いことは、
春・二月の花よりもいっそうあざやかだ。
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