庭上の一寒梅
笑って風雪を侵して開く
争ず又力めず
自ら百花の魁を占む
【語 釈】
寒梅=寒中に咲く、早咲きの梅。
(梅は学名ではなく
新島襄が呼んだ名)
庭上=庭前、庭さき
風雪=厳しい情景を象徴した言葉。
“蛍雪の功”の言葉もある。
風のも負けず、雪にも負けず。
侵=忍びがたいのを耐え忍ぶ。
力=つとむ。力を尽くして行う。
占百花魁=あらゆる花の
先頭に立つ。
「魁」は、まっさき。第一番。
「占」はしめる。自分のもの
とする。独占する。 自=“おのず”
からと読み自然とそうなったの
意の方が良い。
“みずから”では「自分から」
の意になり力がこもって、
謙虚な趣がなくなる。
自然体の方がよいと思う。
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【通 釈】
庭先の一本の梅の木、寒梅とでも呼ぼうか
風に耐え、雪を忍び
笑っているかの様に、平然と咲いている。
別に、争って、無理に一番咲きを競って
努力したのでもなく、
自然にあらゆる花のさきがけとなったのである。
まことに謙虚な姿で、人間もこうありたいものだ。
【新島襄】(1143-1890)
明治時代の宗教家、教育者。京都にキリスト教主義の
同志社を創立、西欧文化の普及に貢献した。
天保十四年正月、上州安中藩板倉家の江戸
一つ橋邸で生まれる。幼時から漢学を修め、
藩主の命で、杉田玄白について、蘭学を学んだ。
十六才の時海軍伝習所にはいる。二十二才
の時、上海に密航、後アメリカに渡った。後、
ボストンのアマースト大学に入学、その後
アンドヴァー神学校に学んだ。
明治四年、訪米大使、岩倉具視
案内役として欧州に同行。
門下に徳富蘆花・浮田和民。
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