趣味の漢詩

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吉野

「ピョウ=風+火火火」   七言絶句(下平二蕭韻)


吉野懐古よしのかいこ     藤井竹外ふじいちくがい
【語 釈】
★古陵=後醍醐天皇の延元崚。塔ノ尾山崚。
吉野の如意輪寺内にある。★松柏=中国では
古来、松と柏を暮崚に植えるので、中国風に
いった。★天ピョウ=天空に吹荒れる風。
★山寺=ここでは如意輪寺のこと。
★尋春=春景色を尋ね歩く。★眉雪=眉が
雪のように白いこと。高齢の老人。
★南朝=後醍醐天皇から後亀山天皇までの
五十七年の吉野朝廷、1336〜1392の間をさす。

【通 釈】
芳野山の如意輪寺に桜の花見に来たのであるが、
寺内の後醍醐天皇の崚のほとりには松と柏が高々と
そびえ、空吹く風に唸りごえを立てている。
花見る人の影もなく、ひっそりとしてものさびしい。
ただ眉毛まで雪のように白い老僧が庭を掃いていた
が、私の姿をみて、帚の手を休め、落花が深く散り
つもっているところで私に、昔の南朝の話をいろい
ろ物語ってくれた。
吉野桜
【藤井竹外】(1807〜1866)
江戸末期の詩人。攝津・高槻藩の名門に生まれ、頼 山陽に
教えを受けた。梁川星巌・広瀬淡窓とも親交を結んだ。詩は
七言絶句を最も得意とし、“絶句の竹外”ともいわれ、ひときわ
目だつ存在だった。性格は疎放で酒を好み、晩年は官を辞し
て京都におり、詩酒の間に悠々自適の生活を送った。
享年六十才。詩集に『竹外詩金鈔』『竹外亭百絶』
『竹外二十八字詩』がある。(二十八字詩とは七言絶句をいう)

【解 説・鑑 賞】
花見をするつもりで吉野に来たが、花はすでに散っており、
眉まで真っ白い老僧が、掃除の手を止め、南朝の昔話をして
くれた。花見は出来なかったけれど、感慨深い話しを聞くことが
できてよい一日だったと、思ったままを述べている。詩題につい
ては、「芳野」「遊芳野」となっているのもある。
 この詩は、竹外の詩の中でも特に有名な叙景詩である。又、
結句にしみじみとした情感が感じられる。この詩は芳野を詠んだ
傑作として、河野鉄兜、梁川星巌の詩と合わせて芳野三絶といわ
れる。又、頼杏平を加える人もある。

私も時々お墓参りの時などお寺に寄ることがある。巨樹の下で、
竹ぼうきで掃除をしている和尚さんや小僧さんに出会うことがある。
そのような光景が目に浮ぶような詩である。そしてお寺は心の
なごむところでもある。

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