東人の新居浜生活新居浜の暮らしPart 0


運動会

97年10月5日、娘の通っている泉幼稚園の運動会が開かれた。 運動会などは、高校を卒業後は暫く縁の無いものであった。 これからは自分の娘の運動会に出ることになるのか・・・。 運動会といっても、幼稚園の小さな園庭でのお遊戯が主であり、朝10時から昼の休憩を入れても、1時半には終了した。 今回は、父としてはビデオカメラマンに徹したが、いずれ競技に出なければならなくなるだろう。
運動会で自分の子供のビデオを撮りまくるという世間一般の父親の一人になってしまった。
幼稚園の教室の中に、約15cm四方のボックスがあり、それぞれのボックスに園児の名前がついていた。こんな小さな箱に何を入れるのかと思ったら、着替えを入れるものらしい。

写真は泉幼稚園のジャングルジムの脇にある、斜めに生えた木。 泉幼稚園を昔卒園したという人からのメールで、この木に登って何度も落ちたことがあるとのメッセージをもらった。 卒園生にとっては思い出の木であるようだ。

98年の運動会は、10月3日に開催されました。
 9月の下旬から雨の日が続き、運動会の日の天気が心配されたが、快晴の天候に恵まれた。 
 外での練習もなかなかできなかったようだが、特に支障もなく、無事進行した。
 



幼稚園の夏休み

幼稚園が夏休みになり、娘は一日中家にいる。それまでは、娘が幼稚園に行っている間に妻は色々なことができたそうであるが、夏休みはそれができない。 一つに部屋を片づけている間に他の部屋を散らかす。妻は娘のことを座敷童子(ざしきわらし)と呼ぶ。 幼稚園にはこのような座敷童子達が集まるので幼稚園の先生は大変だろうと思う。幼稚園の夏休みとは、先生達にとっての夏休みなのではないだろうか?。 夏休みでも、幼稚園の月謝は銀行の口座から引き去られていた。


娘の言葉

娘も幼稚園に行くようになって、喋る言葉が変わった。新居浜弁を喋り出したのだ。
「私、折り紙、ヨオケエ(たくさん)持ってルンヨ」とか、「ここにイテテ」など、新居浜の独特の言葉である。
予想はしていたが、子供の言葉を覚える能力はすごいものである。
幼稚園では友達も先生も新居浜弁で喋っているようだ。
娘が新居浜弁を話すと関東弁に直させるが、効果は無いだろう。
もし、アメリカ駐在になり家族も一緒にアメリカで長期生活して、子供が英語を覚えてきたからといって子供を叱れるだろうか?。
新居浜弁を覚えることはかまわないが、両親の話す言葉も理解してほしいと思っている。


プールの金魚

娘が2才の時の夏に子供用のプールを買った。そのころは庭で水遊びをしていた。
3才の時の夏にはそのプールは使わなかった。会社の厚生設備のプールに専ら通っていた。
買ったプールは、もう使うことは無いだろう。ゴミとして捨てるしかない。捨てるよりは、と思って、庭に置いて金魚を飼いだした。金魚のために河原から石を採ってきて入れたりした。
最近、近所の子供達が当家に遊びに来るようになったが、その中には男の子もいる。男の子達は、当家の金魚を見て、自分の家からわざわざ網を持ってきて金魚をすくっているらしい。金魚をすくっては放すことを繰り返しているとのこと。
ある日、金魚のプールを見たら、買ってあった金魚の餌が全てプールに投げ込んであった。子供達の仕業である。浮いてる餌を取り除くのに苦労した。


幼稚園

娘が幼稚園に行き出して、当家の生活が変わった。
妻は娘のために弁当を作らねばなならい。
娘は幼稚園から昼ごろに帰ってくる。帰ってから大変なことが起こっているらしい。
近所の幼稚園の友達やその母親が当家に遊びに来るようだ。ある時には10人ぐらいの子供が当家で遊び、その母親も4〜5人当家に集まっていたらしい。


入園準備

幼稚園の入園のために、色々と必要な物を揃えなければならない。カバン、弁当箱、リュックサック等、新居浜には妻の好みの物が無いので松山まで買いに行った。
また、衣類などの名前を書かなければならないらしい。 これについては、偶然にも、妻の出身地の松戸の情報をインターネットで見ている内に名前シートなるものを販売している業者を見つけた。 注文すると名前シートを作ってくれ、それをアイロンで転写するものである。 インターネットで注文して入手した。

松山まで、入園準備のために買い物に行った時のこと。 「伊予鉄そごう」には、さすがに色々な物が並んでいた。 幼稚園の入園用具にはサンリオのキャラクター商品が多かった。
ここで見つけた変な商品。「キティちゃん」の絵の入った高級漆器や徳利とグイ呑みセット。 この徳利はどんな購買層を考えて作られたのだろうか?。 小学生以下で徳利を使うことは無いだろう。 後で聞いた話では、最近の大人の若い女性の間で「キティちゃん」が流行っているらしい。 しかし、大人がキティちゃん徳利で酒を飲んでいる姿を想像するだけでも奇怪なものである。
  へ−∞へ  
 ミ・ 。・ ミ 
  ------  


幼稚園選び

娘を幼稚園に行かせることを考えなければならなくなった。3年保育は必要無いと考え、4才になってからの2年保育を考えていた。
社宅の近くには、市立の王子幼稚園と私立の泉幼稚園がある。また、人気の高い幼稚園にマリア幼稚園があり、ここは市役所の近くで社宅からは遠い。
王子幼稚園は送迎バスが無いらしく、母親が送り迎えしなければならない。これには妻が渋っていた。
マリア幼稚園は送迎バスはあるが遠いことが気になる。
家族と共に、これらの幼稚園を見に行った。泉幼稚園は、見るからに古い幼稚園という感じだった。父や母の幼稚園のイメージそのものの幼稚園である。マリア幼稚園は建物も新しく、大きな幼稚園という感じであった。娘はマリア幼稚園が気に入ったようであった。
泉幼稚園については、ある噂を聞いていた。小学校の先生は泉幼稚園の卒園生はすぐわかるらしい。整列などの集団行動ができない子供が泉幼稚園の卒園生の特徴とのこと。幼稚園の方針で自由奔放に保育されているためとのことである。当家の娘は一人っ子であるため、自由奔放に育っている。これ以上自由奔放になったらどうしようかと危惧される。
泉幼稚園について妻が聞いた話では、週に1度給食の日があり、それを母親が作らなければならないということで、妻は抵抗を感じていた(横着者め!)。その後の情報では、病原性大腸菌O−157の関係で給食設備が保健所で不適合となり給食が中止となったらしいと妻が嬉しそうに話していた。
これらの情報を総合的に考えて泉幼稚園に行かせることになった。
人気の高いマリア幼稚園は、10月に願書を出さないとならないが、妻が泉幼稚園に話を聞きに行くと、願書の手続きはいつでも良いように言われた。当家でも12月頃に願書を出したように思う。
また、泉幼稚園の卒園生が集団行動ができないという噂は、現在では教育方針も変わったらしく、問題はなさそうであった。


ブランコと滑り台

新居浜の家は大きいと知り、妻の実家のおばあちゃんから娘にプレゼントが送られてきた。ブランコであった。向かい合って座って乗るブランコであるが、これを家の中に置いた。
家の中に置けないことはないが、父の机の置いてある4畳半の部屋しか置く場所がない。娘は喜んで乗っていたが、父としては邪魔であった。
次に、滑り台を送ってきた。ブランコと滑り台は一緒には置けない。ブランコを外に出して、同じ場所に滑り台を置くことになった。
色々と送ってくれるのは有り難いが、広いとは言え家の中。迷惑にも感じた。


東人一家の休日の行動パターン

休日は、昼頃に車で家族3人で出かける。
近郊の観光地(行き先はその日の父の気分で決まる)に娘を遊ばせに行く。滝の宮公園に行くことが多い。
次は買い物。休日に1週間分の買い物をする。行き先は主に新居浜の「フジグラン」。
「フジグラン」に着くと、娘の足は先ずファーストフード店のある方向に向かう。そこで何か飲物を飲む。
その後、買い物を始めるが、親が買い物している間は、娘は親の手を振りほどいて勝手に好きなところを歩き回る。それを父が追いかける。
魚売場の水槽で泳いでいる鯛や平目を見ることが多い。魚が見たいのではなく、魚を見に来る他の子供と友達になろうとする。
魚に飽きるとお菓子売場の方に勝手に歩いていく。やがて、娘がほしい物を見つけて、「買って、買って」と騒ぎ出す。
レジでも自分の選んだ物は手から離そうとしない。係りの人にテープを張ってもらって、しっかりと握っている。
買い物が終わって、母が袋詰めしている間、娘は新居浜テレビネットワークの多画面テレビを見る。
袋詰めが終わると、車に戻り帰宅。
帰宅後は、娘はテレビのマンガにかじりつき、父はやっと自由になれる。


新居浜での生活について

新居浜への転勤の話を妻にしたら相当驚いていた。妻はそれまで、日本の中で四国だけは(旅行を含めて)一生行くことは無い土地だろうと思っていた。
そんな妻も、新居浜についてきた。当初は地方の暮らしの不便さを嫌っていたが、今では新居浜の生活に慣れ、以前の市川の生活に戻りたくは無いと思ってい る。
確かに、東京付近は便利であるが、目的地まで移動するのに電車を乗り継いでいかなければならず時間が掛かる。新居浜では、東京ほどの便利さは無いが、車 を使えば目的の用事を済ませるのに時間が掛からないように思える。
当家の娘も、人生(といっても4歳だが)の中で新居浜での生活の方が長くなっている。 この春から娘も幼稚園に行くようになり、毎日幼稚園に行くのを楽しみにしている。
いくらかの不便さはあるとしても、広い住居、周囲の豊かな自然など、子供を育てる場所としては新居浜は良い土地のように感じている。