東人の新居浜生活新居浜の暮らし新居浜の暮らし(4)


スライム作り

 娘が学校から、四国電力作成の「エレキッズブック」というシステム手帳タイプの手帳をもらってきた。
 その中に、「おもしろ実験」というコーナーがあり、「のびのび、ねばねばスライムを作ろう」というものがあった。
 娘は、この実験をやりたいという。
 PVA(ポリビニルアルコール)の洗濯糊に食用色素で色を着け、そこにホウ砂の飽和溶液を加えると、洗濯糊の直線状の分子にホウ砂が架橋して固まるというもの。
 買い物に出かけた時に、スーパーマーケットで洗濯糊と食用色素を娘は買い物かごに入れた。
 まだホウ砂が足りないというので、薬局まで買いに行かされた。
 材料が揃い、実験を開始した。娘は興味深く実験を行った。洗濯糊に食用色素で色をつけ、ホウ砂の溶液を加えた。
 確かに架橋が始まり、糊の溶液は寒天状のゲルとなった。
 
 ゲル化したので実験は終わったとして、ゲルを掻き出して捨てた。
 その後、暫くすると、ボソボソに分断されていたゲルは流動して一つの塊となっていた。確かに不思議な物体である。
 
 この実験での娘の熱中ぶり。自分の少年時代を思い出した。
 そう、東人も子供の頃は、色々な実験をしたり、物を作ったりするのが好きだった。娘がこんなとこまで父に似てしまったようだ。
 
 これから娘がどのような道に進むかは判らないが、白衣を着て実験をしている娘の姿を想像する父である。
 


あのね帳


 娘の通う惣開小学校には「あのね帳」という、日記帳がある。
 生徒が「あのね帳」に身の回りで起こったことを書いて提出し、先生が一言書き添えるものである。
 小学生の日記であり、つたない文章ではあるが、身の回りで起こったことを記述している。
 
 しかし、このホームページもお父さんの「あのね帳」かもしれない。
 
 娘の「あのね帳」より。
5がつ5にち
 火ようびからいいことが、ありました。それは火よう日にりょこうへいきました。
 ありまぐらんどホテルがいきさきの、ホテルでした。ホテルには、ようしつとわしつが、ありました。ホテルにはおんせんもありました。おんせんは、ちゃいろいおふろもありました。しょくじはごうかでした。
つぎの日
 たからずかゆうえいんちへいきました。ゆうえんちはたのしいところでした。
つぎの日
 さいじょうの、かんのんどうの、ふじの花を見ました。とってもいいにおいで、くまんばちも、いました。
 そして、ふじのスーパーマーケットのくじをまわしたとき、@かいめはしろではずれで、AかいめはあかでAとうになってこうべぎゅうをくれました。

   スーパーマーケットの抽選で、娘が2等賞をあてて、1万円相当の神戸牛をもらいました。娘は籤運が強いのかも知れない。当日の当家の献立は、急遽、焼き肉になりました。
 普段は口にすることの無い神戸牛は口の中でとろけるような、柔らかくて美味しい肉でした。


ミドリ亀


 娘を連れて買い物に出かけたとき、玩具売場にミドリ亀が売られていた。
 娘が欲しいという。
 娘は動物を飼いたいと以前から言っていた。
 オウムを飼いたいとも言っていたが、オウムはダメだと断った。
 オウムは高価である上、当家で飼っても良い言葉は覚えないだろう。 妻が娘をしかっている言葉を覚えたら冷や汗ものである。
 
 その点、亀なら安くて、言葉も覚えないので購入した。
 図書館に行った時、亀の飼い方についての本も借りてきた。
 
  昔は、お菓子の景品でアマゾンのミドリガメが貰えるというのが宣伝されていた。
 ミドリガメと言うのは、アマゾン産かと思っていたが、殆どがアメリカ産のミシシッピーアカミミガメらしい。また、ミドリガメと言われるものにはキバラガメやコロンビアクジャクガメもあるらしい。
 キバラガメは、おなかの甲羅の部分が黄色の無地、コロンビアクジャクガメ 甲羅の背中側の模様が半円状であることが特徴とのこと。
 購入したミドリガメは、ミシシッピーアカミミガメのようだ。
 ミシシッピーアカミミガは草食の亀で、メスは25cm、 オスは15cmまで大きくなり、大人になるとミドリ色でなくなる亀とのこと。
 
 亀のために飼育箱を購入した。
 
 ミドリガメに、娘は亀の「かっちゃん」と名づけて可愛がった。
 
 学校で「動物を飼おう」という授業があり、娘は「かっちゃん」を学校に持っていった。
 亀の「かっちゃん」は、クラスの中でも人気者になったそうだ。
 その後、「かっちゃん」の友だちとして、もう一匹のミドリガメを買ったが、売れ残りの亀で余り元気が無く、暫くして死んでしまった。
 「かっちゃん」の方は、至って元気で、よく餌も食べていた。
 
 11月になり、亀の「かっちゃん」の動きが遅くなってきた。寒くなり冬眠が必要な時期に来たようだ。
 亀を冬眠させるには、落ち葉を入れてやると良いということで、石で作った陸の上に落ち葉を積んであげた。
 冬眠のさせ方についてよくわからなかったので、亀の飼い方の本を購入した。
 落ち葉は水中に沈める物らしい。亀は水底で冬眠するようだ。しかし、3歳以下の子ガメは、冬眠させない方が良いとも書いてあった。
 冬眠させないためには、水槽を暖めてやらねばならない。
 そのためにヒーターを購入した。今までの小さい飼育箱では、このヒーターは入らない。飼育箱も大きいものに更新した。
 亀の「かっちゃん」は、広くなった暖かい水の中で元気に泳いでいた。
 
 妻は、「亀の「かっちゃん」は、私より幸せだ」と僻んでいた。
 
 
 年末年始の間留守にしていたが、ミドリガメは生きていた。
 しかし、寒い日が続いた2001年の1月15日にカメは死んでいた。
 やはり亀の越冬は難しいのだろう。
 


読書


 娘も小学校に入り、字を読むことにも慣れて自分から本を読むようになった。
 娘は本を読むのが好きなようだ。
 学校で本読みで誰が一番上手いか決めたとき、娘がチャンピオンになったそうだ。
 
 図書館で本を借りてきても、その日のうちに読んでしまう。
 本を読みだすと熱中して親が何を言っても耳に入らないようだ。
 
 以前、東人の母から娘に絵本が送られてきたとき、「お父さんのように本の好きな子になることを願っています。」のメッセージがついていた。
 東人も本を読むのが好きだった。
 そう言えば、子どもの頃にこのような事があった。
 当時の即席ラーメンは、どんぶりにラーメンとお湯を入れて蓋をして、しばらく置いておくものであった。
 留守番をしている時、ラーメンを作ろうとしてどんぶりにお湯を入れて蓋をした。
 ラーメンができるまでの待ち時間に本を読み始めた。
 一冊の本を読み終えてからラーメンのことを思い出した。
 冷えて伸びきったラーメンを食べた記憶がある。
 
 娘もこんな父に似てしまったのだろうか?。


電波時計


 時計の誤差修正には、今まではテレビなどの時報で調整していた。
 また、日本標準時を確認するサイトもあるが、通信速度による多少の遅れがあるようだ。
 
 最近、標準電波の送信所ができて、長波の標準電波を定期的に受信して時間を修正できる電波時計が売り出された。
 新しもの好きの東人も購入した。
 時間情報の発信源は福島県田村郡おおたかどや山標準電波送信所で、新居浜からは 800kmほどあり、届く電波は少し弱く、時計の置き場所によっては受信できないこともある。
 置き場所の調査には手間がかかったが、良好に受信できる場所を見つけた。
 これで時報を待たずに時間調整ができそうだ。


永久歯


 娘の乳歯の下の前歯が2本抜けて新しい永久歯が生えてきている。
 娘が奥歯に歯が生えてきて痛いと言う。
 大人になると、永久歯がどのように生えてきたか覚えていないものである。
 子どもから大人になるにつれて、口の大きさも大きくなるので歯も多くなるのでは無いかとも思うが、確かな記憶は無い。
 家庭医学の本を見ると、乳歯は20本、永久歯は32本と書いてあった。
 永久歯の4本は親不知であるので、生え替わるときには28本ということになる。
 乳歯から永久歯への生え替わりには、奥歯にそれぞれ2本の新しい歯が生えてくることになる。
 このようなことは常識であろうが、子ども育てることにより改めて永久歯の数を知った。


 
 2000年7月には、上の歯の二本もグラグラしてきた。
 その内の一本が抜けた。
 歯抜けの状態になった。
 
 
 その後も、娘の歯は抜けていき、一部永久歯が生えてきている。
 「これから生えてくる歯が変なところから生えている。」と娘が言った。
 確かに、生えかけの下の歯が、奥の方に向かって生えているように見えた。
 まだ抜けない隣の乳歯が邪魔をして曲がって生えてきているように思えたので、歯医者に行かせた。
 
 歯医者から、これは全然問題の無いことだと言われた。
 上の歯は外向きに、下の歯は内向きに生えて、噛み合わせができるのだと説明された。
 
 改めて自分の歯の噛み合わせを確認すると、確かにそのようになっている。
 普段あまり意識していないことであったが、人間の歯は上手く出来ていることに気がついた。


ちびまるこちゃん


 娘と一緒に見ることのあるテレビのアニメに「ちびまるこちゃん」がある。
 この漫画は、東人の育った頃の年代を想定したもので懐かしいものも多くある。
 この漫画の登場人物には変わった人が多い。
 その中で、ちびまるこちゃんの友だちの「たまちゃん」のお父さんは、一見まともなサラリーマン風であるが、このお父さんがカメラマニアで、写真を撮ることになると前後の見境もつかなくなる。やはり変な人物の一人である。
 この「たまちゃん」のお父さんも、今の時代ならデジタルカメラを持ち歩き、写真を撮ってはホームページに掲載しているのではないだろうか?。
 
 そう言えば、・・・・。
 東人も休みの日に出かけるときには、必ずカメラを持ち歩くようになっている。
 普通のカメラ(CANON オートボーイ)とデジタルカメラ(富士フィルムのDS−7)を持ち歩いている。
 どこに行くにも、カメラを持参し、何か珍しいものを見つけると写真に撮っている。
 妻も、トンネルが通ればそこに行き、橋が開通すればそのを通るために出かけるということで、ホームページのネタ集めにつきあわされていることを察知している。
 
 今の東人は、「たまちゃん」のお父さんの現代の姿かも知れない。


二段ベッド


 先日、ホームセンターに買い物に行ったとき、二段ベッドを見て、娘が欲しいと言っていた。一人っ子なのに二段ベッドなんか必要では無いと思って聞き流していた。
 
 2000年の2月8日、娘が歯を磨いている時、「歯がグラグラしている」と言った。 歯の生え替わりの時期に来たようだ。
 娘の友だちも歯の生え替わりがすでに始まっていた。
 小学校のクラスには28人いるが、歯の生え替わりは娘が一番遅かったようだ。
 娘は友だちから「歯抜けぬババア」とも言われていた。
 
 7歳と12日目で歯の生え替わりが始まったようだ。
 これは目出度い。赤飯炊かなきゃ・・・オイオイ違うぞ!。
 
 娘は最初は喜んでいたが、その後に「赤ちゃんの歯のままでいたい!」と泣き出した。
 それまでは、乳歯を長く使えることは良いことだと教えていた。
 その乳歯が抜けていくという現実に、ショックを感じたのだろう。
 
 そのような泣いてる娘と一緒に風呂に入った。
 娘を風呂に入れながら、グラグラしている歯の下には新しい歯が出ようとしていることを教えた。
 娘は泣きやみ、理解したようだった。
 風呂から出ると、娘は妻の所に行きこう言った。
 「歯さんは、二段ベッドに入っているんだって」
 二段ベッドの話はしなかったが、娘はこのように理解したようだ。
 
 (2000/02/17)
 2月15日、娘が歯を磨いているうちに、グラグラしていた歯が抜けた。
 仕事から帰ると娘が出迎えにきてすぐに下の歯が一本抜けたところを見せた。
 机の上には始めて抜けた歯が置いてあった。
 
 昔の記憶では、下の歯が抜けたら屋根に投げ、上の歯が抜けたら縁の下に投げていたように思う。
 このようにするのは故郷の神奈川だけかも知れない。
 娘は抜けた歯はとっておきたいという。
 さて、どうしよう?。
 


豆まき


 2月初旬のある日、いつもより少し遅く帰宅すると、家内と娘が「帰りが遅いので豆撒きを先にしてしまった。」と言った。
 豆撒き?。今日は2月2日のはずなのに・・・。
 
 当家では、間違えて2月2日に豆撒きをしてしまったのである。
 外に向かって、大きな声で「鬼は〜外」と言っていたそうだ。
 近所の人と鬼は笑い転げていたことだろう。
 恥ずかしや、恥ずかしや。
 
 ということで、翌日の3日は帰りがけに豆を買って帰り、本当の豆撒きをした。
 2000年の節分は2回豆撒きをした当家であった。


女の字


 小学1年生の娘も漢字を習い始めた。その漢字の中に「女」の字があった。
 「く」「ノ」「一」と書く漢字であるが、昔は、「ノ」は「一」の上に出てはいけないと習った。
 「出る女は打たれる」ということで、漢字書取の時は×になった。  

 今の教科書では、「ノ」は「一」の上をはみ出している。
 「出ない女は打たれる」ことになったのだろうか?。
 女性が強くなり、漢字も変わったのだろうか?。


サンタクロース


 娘は今でもサンタクロースが居ると思っている。
 1999年のクリスマスプレゼントを何をするか迷ったが、娘の友だちも持っているローラーブレードというものをプレゼントにした。
 ローラーブレードという名前ではあるが、ローラースケートの一種である。
 サンタクロースは、ローラーブレードとヘルメットやプロテクタのセット(\3,000)を購入した。
 数年前から、サンタクロースはプレゼントに添えて手紙を書いていた。
 娘の成長に合わせて、使う文字もひらがなの手紙から、少しの漢字を含んだ手紙へと変化している。
 
 購入したローラーブレードは、娘にとっては少し大きかった。しかし、娘はそれを身につけ友だちと遊んでいる。
 その後、ローラーブレードで遊ぶのにつきあわされるようになった。
 今のところは、歩くほうが早い状態である。
 
 遊んでいて交通事故に遭わないことを祈っている。
 
 
 【2000/12/27】
 
 小学2年生の娘は、まだ、サンタクロースが本当にいると思っている。 しかし、少し疑問を持ち始めたようだ。
 
 娘が聞いた。
 「サンタさんて、本当にいるの?」
 「いるよ!」と自信を持って父が答える。
 「本当?」と確かめる。
 「探せば、三太さんという名前の人は絶対いる。」と答える。
 「そのサンタじゃない」と娘が言うが、その場は、何とかごまかした。
 
 今度のクリスマスに何が欲しいか、娘に確かめた。
 「トナカイが撮った、サンタさんの写真が欲しい」と娘が言う。
 やはりサンタクロースの存在を確認したいのだろう。
 
 クリスマスイブの時、娘は小さな紙を用意していた。それにはサンタクロースがサインする欄がついていた。
 この紙は無視することにした。
 
  クリスマスには、以前に欲しいと言っていた「リトルマーメイドU」のビデオを用意した。サンタクロースの写真については、インターネットで検索して、サンタクロースの写真を探してプリントしてプレゼントに添えた。
 
 クリスマスの朝、娘はプレゼントを確認して、サンタクロースの写真も入っていたので喜んでいた。
 今年はこれで何とか切り抜けられたと、ホッとする父であった。

 【2002/01/29】

 娘が小学3年生になった時のクリスマスプレゼントには苦労した。
 娘もサンタクロースの存在を疑いだしているようだった。
 友達から、サンタクロースの代わりにお父さんとお母さんがプレゼントを置いていったという話も聞いていた。
 そんなサンタクロースについて試しているかのように、今回のプレゼントは「世界中の人の幸せ」を望んでいた。
 そんなプレゼントなど、誰も実現できないものである。
 
 妻は娘へのプレゼントに、最近小さくなってきたパジャマを選んで準備した。
 父は、その他のプレゼントを探し回り、「大草原の小さな家」の本を贈った。
 
 クリスマスの朝、娘はプレゼントを見て喜んでいた。
 「世界中の人の幸せ」にこだわっていなかったようでホッとした。

 【2003/07/21】
 娘が小学5年生になったころ、「サンタクロースがクリスマスにプレゼントをくれるのはで無いことの証拠を見つけたよ!」と言いだした。
 
 娘もパソコンの操作を色々とできるようになり、父のこのホームページも見ているようであったが、とうとう、ここの記述を見つけてしまったようだ。
 
 クリスマスプレゼントはサンタクロースが持ってくる物で無いとわかっていながら、娘が母に聞いた。「あのローラーブレードは高かった?」
 母は「そんなに高くは無かったよ」と答えた。
 それを聞いた娘は、「引っかかった、引っかかった」と大喜びした。
 ローラーブレードは数年前のクリスマスプレゼントであり、サンタクロースが持ってきた物なら母が値段を知っているはずは無いということである。
 娘も段々と悪知恵が働くようになった。