東人の新居浜生活新居浜見聞録新居浜再訪

台風21号

 
 2004年8月18日に続いて、9月29日にも台風21号の被害が新居浜で発生した。
 
 この日に、偶然にも新居浜に出張していて、豪雨を体験し、その直後の被害状況を目撃した。

 
 9月の末に新居浜への出張が予定されていた。
 沖縄辺りに台風が来ているようであるが、出張中に四国を直撃するとは思わなかった。
 9月27日から新居浜に入ったが、28日頃のニュースでは、台風が急に方向を変えて九州方面に向かいだした。このままだと四国にも上陸しそうなコースである。  
 翌29日は朝から大雨になっていた。建物の中にいるとなかなか分からないが、外を見ると凄まじい豪雨であった。
 
 夕方になり、豪雨の中、ホテルまで帰るのにタクシーを呼んだ。
 タクシーの到着も遅かったが、ホテルに着くまでも迂回をして、時間がかかった。
 一宮神社の前は昔から大雨で水が出ることがあった。しかし、迂回路も水が多く溜まっていた。
 ホテルに着いて、近くの善右衛門井戸の脇の川を見ると、水かさが増していた。
 
 
 夜になって雨が少し収まってから、外に出てみた。
 リーガロイヤルホテルの前から東方面の車線は交通渋滞となっていた。
 
 そこに、サイレンを鳴らした車が西方面に走っていった。
 警察のパトカーでは無く、国土交通省と書かれた車であった。
 後で、新居浜の西南部の大生院で高速道路の のり面で土砂崩れが発生して、死者が発生したことを知った。その現場に向かう車であったのだろう。
 
 前田交番前の交差点にある地下通路を通ろうとしたら、水が溜まっていて通れない状態であった。この地下道には排水設備は無いのだろうか?。
 
 また、イオンショッピングセンターの南側、キッズ共和国(旧メガマート)の前の駐車場にも水が溜まっていた。
 この駐車場に南の方から濁流が流れ込んでいたが、その出所は分からなかった。
 
 
 翌日の30日の朝は晴れていた。
 ホテルの周囲を歩いて、状況を見てきた。
 前田交番前の交差点にある地下通路は水が溜まったままであった。
 
 星越の方にも行ってみた。
 道路の所々に、泥が残っていて、冠水した跡であろう。
 昔住んでいた社宅の前には川が流れているが、この川も溢れたようで、泥が付着しているところがある。
 社宅の玄関前に架かる橋にも泥がついていた。
 
 昔、ここに住んでいた頃には、この川の水かさが増すことはあっても、溢れることは無かった。これより低い位置の社宅は床下浸水したかもしれない。
 
 30日も仕事であったが、その後別のホテルに移り一泊した。
 台風がなければ、仕事が終わってから新幹線を使えば帰れないことも無かったが、深夜の帰宅になるため、翌日は休みをとり、もう一泊することにしていた。 これが正解であった。
 予讃線は不通になっていて、帰ることはできない。
 ホテルは堺筋に面したところであるが、ここの歩道にも泥が積まれていて、冠水したようだった。
  
 翌朝、ホテルの窓から外を見ると、尻無川に架かる庄内橋が破壊されているのが見えた。
 

 ホテルをチェックアウトする際に荷物を預け、市内を歩いて様子を見た。
 尻無川の破壊された庄内橋から上流に向かって進むと、大きな流木の引っかかった橋を見かけた。
 このような流木が庄内橋でも溜まり、川を塞いでダムとなり氾濫し、最後には橋も壊れたのであろう。

尻無川に架かる庄内橋は破壊されていた。

庄内橋の上流の桜内橋は無事であったが、大きな流木が引っかかっていた。

 続いて新居浜駅まで向かった。
 帰りの切符は先に買っていたが、新居浜駅で払い戻しをしようとすると、ここでは払い戻しはできないという。
 同じJRでも、払い戻しは、その切符を買った駅でしかできないとのこと。
 新居浜駅では、切符に不乗車のスタンプを押すだけであった。
 
 新居浜駅からバスで移動しようとバス乗り場に行った。丁度その時、イオン新居浜ショッピングセンター行きのバスが来たので乗った。
 バスの車窓からも、途中の家から運び出された浸水した家財道具類がうずたかく積まれている光景を見かけた。
 イオンショッピングセンターに着いてから、住友別子病院の前のバス停まで歩いていった。
 松山や今治に行くバスは動いているようであった。
 バス停の前にある「せとうち観光社」の営業所に行き、動いている交通手段について相談した。
 空路の便には、まだ空きがあるようなので予約を入れて、バスで松山に向かうことにした。
 荷物を置いたホテルの近くでは、市役所前にバスが停まるとのことで、その時刻を確認した。
 
 住友別子病院前から別子銅山記念図書館の前を経由して、新居浜工業高校の横から東川に沿って上流側に歩いた。
 中須賀町付近で東側の岸壁が破壊されているのが見えた。
 また、金子橋では、橋と平行に架かっている配水管にまで、流れてきた草が引っかかっているのが見えた。この川も氾濫し、周囲も浸水したと聞いていた。
 
 東川のさらに上流の滝の宮にある歩道橋も倒壊したということを後で知った。
   ホテルまで戻る途中、久保田町辺りを通っても、人々が浸水した家の片づけをしていた。道の脇には浸水した家財道具が積まれていた。
 
 ホテルに戻り、預けた荷物を受け取り、市役所前からバスに乗って松山に向かった。

 
【2004/10/28】
 その後も、日本には二つほどの台風が上陸したが、新居浜での被害は小さかったようだ。
 
 また、10月23日には、新潟中越地震が発生し、連日、地震の被害のニュースが流れていた。
 
 10月27日、通勤時にラジオを聞いていると、NHKの松山支局からのニュースとして、新居浜のことが触れられていた。
 新居浜での災害復旧作業は、ほぼ見通しがついたとのこと。
 新居浜で災害復旧のために使っていたスコップなどの用具は、新潟中越地震の被災地に寄贈するために発送したというニュースであった。
 
 新居浜災害復旧のボランティアを受け入れていた「災害ボランティアセンター」も27日で閉鎖されたということをホームページでも確認した。