東人の新居浜生活新居浜見聞録東方見聞録


東方見聞録

    
 1999年の年末から2000年の新年にかけて、東人一家は関東に帰省した。 
 新居浜に来てから6年近くなり、久々の関東にも新しい発見がありました。

東京駅 【新着】(2000/01/15)
地下道 【新着】(2000/01/15)
ヤレックポヴィフロフスキ 【新着】(2000/01/07)
Y2K対策 【新着】(2000/01/05)
後楽園遊園地 【更新】(2000/11/06)
カメラ 【新着】(2000/02/27)
富士山 【新着】(2000/01/19)


東京駅

 新居浜から特急「しおかぜ」で岡山に行き、新幹線「のぞみ」に乗り換えて東京に向かった。
 岡山から約3時間半で東京駅に到着した。

 泊まるホテルは新宿にある。1、2番線の中央線ホームへと移動した。
 ホームまで行くのにエスカレータができていた。エスカレータに乗ってからホームの位置が高くなっているのに気がついた。
 かすかな記憶では、以前、このホームの工事をしていたようにも思う。
 関東の人には当たり前のことになっているだろうが、久々に帰った東人には初めてのプラットホームであった。
 


地下道

  泊まるホテルは新宿の都庁の近くにある。新宿の南口から歩いていったが、最初は遠くに感じた。
 ホテルから外出して食事に出たが、近くに地下道への入口を見つけて入った。
 この地下道は新宿南口から都庁方面につながる長いものであったが、きれいで、明るく、安心して通れる通路であった。このような地下道ができていたとは知らなかった。
 
 平日の通勤時間帯なら、都庁や周辺の高層ビルに通う人達で混雑する地下道であろうが、年末年始であったため、ここを通行する人は殆ど居ない。
 この地下道の照明の費用も馬鹿にならないものだろう。もったいないとも思った。
 
 小学1年の娘は、この長い地下道をスキップしながら楽しそうに歩いていた。
 
 
 


ヤレックポヴィフロフスキ

 1999年の大晦日、新宿のホテルに宿泊した。
 夕食のため外出して、新宿の西口を通るとバイオリンの音色が聞こえてきた。
 音のする所に行くと、バイオリンを弾いている人を見つけた。
 これがヤレックポヴィフロフスキであることはすぐに確認できた。傍らに日本語でCDの説明が書いてあった。
 
 ヤレックポヴィフロフスキは、新居浜でもコンサートを開いた人である。
 1997年の12月12日に、新居浜のベルの会が招いてクリスマスコンサートが開かれた。
 ヤレックポヴィフロフスキはポーランド生まれのバイオリニストであるが、東京を中心とした地域でストリートプレイを続けているということは知っていた。
 
 実は、東人の妻が、新居浜に遷る前に銀座で演奏を聴き、カセットテープを買っていた。
 新居浜に来てからヤレックのコンサートのポスターを見て、その演奏家が新居浜に来ることを知った。
 妻が銀座で見かけたのは7年程前になるだろうか。ヤレックは今でもストリートプレイを続けていた。 
 昔はカセットテープを売っていたが、今ではCDになっている。
 曲の合間に、CDと曲目について流暢な日本語で紹介していた。
 短い時間であったが、多くの人がCDを買っていた。
 ストリートプレイとは言うもののCDは確実に売れているようで、それなりの収入が有るのだろう。
 新居浜にも縁のある演奏家のストリートプレイに巡り会えた。  


Y2K対策

 1999年から2000年に変わる時期に、コンピュータが誤動作して混乱が起きることが予想され、その対策がとられていた。 
 1999年の大晦日は、新居浜から関東に移動し、その晩は新宿のホテルに宿泊した。すなわち、ホテルで1999年から2000年の年越しをすることになった。
 
 ホテルのフロントでチェックインするとき、Y2K対策の説明を受けた。
 ホテルのエレベータは、31日の23:50から1日の00:05までの間運転を中止するとのこと。 
 ホテルの部屋に入ると、ミネラルウォータ、懐中電灯、使い捨てカイロおよびポリタンクが用意されていた。
 それ以外に注意書きでは、トイレ用の水の確保として、バスタブに水を満たすように依頼されていた。
 
 持っていったノートパソコンをインターネットにつなぎ、ニュースのページにて、一足早く2000年を迎えたニュージーランドにて大きな混乱は無かったことを確認した。
 そして、日本の2000年を迎えたが、何も起こらなかった。
 
 世間で騒がれていたような混乱は何も起こらず、新年となった。
 


カメラ

  
 東人の実家に帰省したとき、娘はキティちゃんの福袋を貰った。  中には、キティちゃんの入ったタオルや手帳などが入っていた。
 その中で娘が一番気に入ったのが、キティちゃんのカメラであった。
 そのカメラは、以前にも店で見かけて、娘が欲しいとねだっていたが買わなかったものである。 そのカメラがもらえたことで娘は喜んでいた。
 早速、東人が所有していたフィルムを装着した。
 娘は、いろいろと写真を撮っていた。
 これも、東人が出かけるときはいつもデジタルカメラを持ち歩き、写真を撮っていることの影響かもしれない。
 24枚取りのフィルムはすぐに使い切ってしまった。
 撮影したフィルムを現像すると、平塚の父母や帰省時に行った旅館の風景、その他、どうでも良い物の写真までが写っていた。  
   


富士山

  関東からの帰りの新幹線の窓から富士山が見えた。 娘にも富士山を見せて教えた。
 富士山を見て、娘が変なことを言い出した。 「富士さんはあるけど、マルヨシさんはないね」
 
 何を言っているか、すぐには判らなかった。マルヨシとは新居浜にもあるスーパーマーケットのチェーン店であるが・・・・。
 新居浜にある別のスーパーマーケットにフジグランがあり、「フジ」と呼んでいる。
 そうか!。新居浜で育った娘にとっては、「ふじ」は、富士山ではなく、スーパーマーケットの「フジ」を連想させるものであったのだ。
 娘はフジさんがあったら、マルヨシさんもあるのかと思ったのだろう。  
 


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