JAIFA 日印友好協会 ニューズレター

第3号

か  は 

平成11年12月17日 発行

[活動報告]

「えひめ国際まつりへ参加しました」

 10月24日(日)、愛媛県国際交流センター(EPIC)で開催された国際まつりに参加しました。今年で4回目となり、前回からの約400人分のカレーの仕込みも、随分と段取りよくできるようになりました。また今回はJAIFAのCI戦略(笑)としてムニさんの似顔絵を全面に打ち出し、チラシ、チケット、POPラベルシール等に使用して好評(?)を博しました。

 当日は、雨に祟られた昨年とは一変し、爽やかな秋晴れの下、チキンカレーと名水セット235名、チャイ101名の方に来店いただきました。また、インドの物産や、7種類のチキンカレー用スパイスセットも大好評でした。特にEPICの中村所長さんや田中さんには、食べ物の出店が軒を連ねる中、スタッフ用の昼食としてご贔屓にしていただき感謝しております。売上げは約12万円で必要経費を差し引いた残金の内1万円をユニセフに寄付させていただきました。(報告 鈴木靖彦)

 

[国塚一乗氏 講演会]

「印度独立に対して日本の果たした役割」

 去る10月17日(日)に、国塚一乗氏を神戸よりお招きし、愛媛大学学生会館にて、講演会を開催いたしました。国塚氏は、元日本陸軍中尉で、戦後カルカッタ、香港での長い海外生活を経て、現在は日印親善協会(JIGA、東京)の常任理事をされております。とても80歳を越えているとは見えない矍鑠とした大夫で、講演会前日は、道後のホテルにてインドでの体験談や人物評を楽しくお伺いすることができました。

 下の要約は、当日の講演会を和田実君が要約したものです。誌面の都合で短くなっていますが、ご参照下さい。興味を持たれた方は、国塚さんの著書『インパールを越えて』(講談社)などがJAIFA事務局にありますので、併せて参考にして下さい。

【今世紀最大のイベント】

 今世紀最大のイベントはなんでしょうか。インドのイギリスからの独立です。インドが独立したから、現在国連に185ヶ国もの国が存在しているのです。当時、インドがイギリスから独立するということは全く考えられませんでした。というのは当時のイギリスは、世界の要所をすべて押さえていたからです。またイギリス人の態度は、傲慢無礼でやくにさわってしょうがなかったです。

 イギリスはインドから大変な富を持ち出しました。「インドで一生働けば三代食べられる」と言われたくらいで、イギリスの富は全部インドから持っていったものなのです。そしてイギリスはインドを支配するために、大変な犠牲を払いました。だからイギリスはインドを死んでも手放すつもりはなかったのです。そのインド独立のもっとも功績があったのが、我が日本なのです。インドが独立したことをきっかけに、燎原の火のごとくインドネシアやベトナムが独立できたのです。

【インド人の日本観】

 インド人は日本人のことを尊敬しています。私はインド人が日本について歌った歌で「日本勝った日本勝った、ロシア負けた」という歌を聴いたことがあります。これは日露戦争で日本がロシアに勝ったときの歌です。インド人は片思い的に日本のことを尊敬していたのです。

【セバス=チャンドラボースとインド独立】

 セバス=チャンドラボース(以下ボース)はインド国民軍を率いて戦いました。

 彼はネルーやガンジーと並び称されるインド人で、インド独立に貢献した人です。彼はもともとドイツにいましたが、潜水艦を乗り継いで日本にきました。東京で東条英機に会いました。東条はすっかりボースに魅せられ、インド独立に貢献することを約束しました。

 ボースは確かに大人物でしたが、東条はそうではありませんでした。ボースの見るところは、日本には良い外交官がいないといいます。東条は確かに良い戦士ではあったが、良い外交官、良い政治家ではなかったといわれています。

 ボースは日本の力を借りて、インド国民軍を編成します。そして日本軍はインド解放のためインパール作戦を行います。この作戦は、東側からインドへ攻めようというもので、古今東西例のないものでした。結果、日本軍はイギリス軍に大敗してしまいました。ボースはこの作戦は成功しないと考え、敵の敵は味方という考えから、毛沢東の口利きで、スターリンと話をして、ロシアの側からインドへ攻め入ろうと考えたりもしました。ボースは私心がなくインドの独立のことしか考えてなくて、自分のものは身の回りのものだけでした。

【戦後】

 戦後、インド人で日本に協力して、イギリスに対して戦ったインド人をイギリス人は裁判にかけようとしました。そして死刑にしようとすると、全インドでデモが起こりました。イギリス人はこれを押さえることができませんでした。さらにインド水兵の反乱が起こったりして、結局イギリスはインドの独立を認めることになりました。とはいえ、この独立はパキスタンと分離して独立するというものでした。

 今まで私が話してきたことをインド人は誰もがよく知っています。インドの9億人が親日なのです。インドと日本が手を組んで、世界平和のために尽くすことが大事です。

[連絡]

JAIFA事務局から

事務局長 戸澤健次

 地球の温暖化が問題とされ久しいですが、冬はやはり寒いもの、海辺や畑で働く人々には特に厳しい季節となりました。

 JAIFAは、年末年始には愛媛大学の学生中心のインド文化研究会のインド旅行を後援しました。12月11日には愛媛大学山越合宿研修施設での合宿に、JAIFAの役員メンバーも加わり、楽しく有意義なひとときを過ごしました。学生たちは様々な思い出とともに帰国し、そのうち幾人かはJAIFAの理念や活動に賛同し、ボランティア活動に参加してきてくれることと期待しています。年が明けたら、一度「インドの食文化を考える会」を開催しようと企画しています。日程が決まり次第、「かけはし」に掲載するか、郵便でお知らせ致しますので、ふるってご参加ください。

[訪印団の紹介]

「インドに行って来ま-す」

 今年も、恒例のインド文化研究会が結成され、インドに出発することになりました。出発日は、12月18日(土)松山空港発、帰国は1月8日(土)関西国際空港着の予定です。ですので、この会報が会員のみなさんの手元に届くころには、ちょうどインド大陸を旅し始めているころです。

 今年の訪印団は、学生が多く、また女性が多いことが特徴です。戸澤事務局長より、美女多数との未確認情報を得て、われわれスタッフは、忘年会及び取材と称し、恒例の事前合宿に参加することに成功しました。

 いつものごとく、出発一週間前になっても、旅行計画がまったく立っていない様子に先輩の一人として不安を覚えつつも、戸澤情報の確かさを認めつつ、徹夜で語り明かしたのでした。

 下にあげた23名の皆さん(写真がなくて残念!)がインドに旅立ちます。応援してあげて下さい。帰国後、恒例の記録雑誌を作るようですので、できたら予約や購入などしていただくとなおいいと思います。(報告 山口修一)

氏 名

学 年

主な行き先

戸澤 健次       

カルカッタ         

渡辺 佐和子

4回生

アグラ、バラナシ

石川 攻

4回生

アグラ、バラナシ

今井 千尋

4回生

アグラ、バラナシ

笹岡 和記

4回生

アグラ、バラナシ

岡田 育子

3回生

カルカッタ

小城 真希子

3回生

カルカッタ

雑賀 友佳子

3回生

カルカッタ

藤原 聖士

3回生

チェンナイ

右田 小百合

3回生

カルカッタ

岩田 あやめ

3回生

アグラ、バラナシ

木付 志帆

3回生

ムンバイ

立花 有美

3回生

アグラ、バラナシ

戸田 智美

3回生

アグラ、バラナシ

別宮 直子

3回生

ムンバイ

矢野 美由紀

3回生

アグラ、バラナシ

宮武 千恵子

3回生

ムンバイ

古田 史

3回生

アグラ、バラナシ

雑賀 万規子

2回生

カルカッタ

高橋 寛代

1回生

チェンナイ

高須賀 美乃

1回生

チェンナイ

阿部 祥平

1回生

アグラ、バラナシ

村上 和恵

社会人

デリー、ムンバイ

(12月16日調べ、予定変更大いにあり) 


(編集部からのお知らせ)

1.編集部では、原稿・イラストの投稿をお待ちしております。題材はインドと読者とのつながり(かけはし)に関するものなら何でも。字数等は編集部にご相談ください。

2.住所変更の通知は事務局までできるだけ早くお願いします。

日印友好協会(JAIFA)事務局

松山市文京町3

愛媛大学法文学部 戸澤研究室(〒790-082)

電話:089-927-9245

FAX:089-927-9226

 

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