思い出の旅(11)ポンペイ
 ローマ帝国時代の都市が一瞬にして7メートルの火山灰に埋もれ,約2000年前の人々の生活がそのまま遺跡として残りました。
 ここが遺跡の入口です。ポンペイはローマ帝国時代に栄えたナポリ近郊の古代都市です。紀元79年のヴェスヴィオス山の噴火による火砕流によって一瞬にして都市全体が地中に埋もれました。ローマ人の休暇地として繁栄し、最盛期には人口が2万人に達していたと言われています。
 長らく遺跡の発掘は行われていませんでしたが、18世紀に発掘が始まり、現在では主要な部分の発掘は終わったとされており観光客に有料で公開されています。紀元前7世紀から集落があり、商業の盛んな港湾都市として栄え、ワインの取引が盛んでした。
 当時の商業施設が道路沿いに並んでいます。町は整然と区画され、住宅、劇場、公衆浴場、上下水道まで完備していました。ローマ市民の贅沢で享楽的な暮らしぶりを物語っています。道は敷石で舗装されていました。ワインを運ぶ馬車の車輪ですり減った敷石も残っていました。所々に横断歩道も造られていました。
 建物の柱の大きさから大規模な建造物があったことが想像されます。1748年ナポリ国王により発掘が行われましたが、組織的な発掘は1927年以降です。眠ったままで灰化された人体に石膏を流し込んで人体の形状を再現しているのを見ました。
 当時の人口の半分は奴隷であったといわれています。奴隷といってもアメリカで綿摘み労働に従事した人々とは異なり、当時ローマ帝国に滅ぼされた地方の人々が奴隷として連行されてきましたので、勤勉で労働意欲も高かったようです。子供の家庭教師をしたり、家計を取り仕切っていた人もいたそうです
 奴隷からローマ市民になる道も開かれており、主従関係はそれほど厳しいものではなかったと思われます。そのお陰でポンペイが交易都市として永く繁栄したのでしょう。
 右写真はバーのカウンターです。カウンターの穴にはワインの瓶が入っています。遺跡にはバーや娼館が多く見られます。ピザ屋には使いかけの石臼がそのままの形で残っていました。
 広場の池です。暑いときにはここで市民たちが水遊びをしたのでしょうか。右写真はゼウスの神殿跡です。四角い台は「生け贄」を神に捧げる台だそうです。柱状の物は日時計です。
 これは公衆浴場です。右写真は同所の洗面台です。洗面台には寄付した人の名前が刻まれています。当時は市会議員は選挙で選ばれていたので、「次の選挙にはよろしく。」という意味が込められていたそうです。
 娼館内部の様子です。沢山のモザイク画やフレスコが飾られています。右写真も同所の内装の一部です。
 当時の個人の邸宅を再現したものです。これを見ると当時の人たちの生活の様子が分かります。右写真は当時の下水道の施設です。