マギー女史は、アメリカの天文学の先駆者であり軍の外科助手で、軍医療班の管理を任されていたサイモン・ニューコーム博士(1835-1909)の令嬢である。日露戦争中、マギー女史はアメリカで唯一、日本政府と赤十字社への個人的援助の申し出を認められた人物であった。フィラデルフィア赤十字社社長によると、彼女は熟練の看護婦団を率いて来日し、日本の軍事病院で半年間活動し、その看護団員はすべてボランティアであったという。彼女らは日本の国賓として大いに歓迎され、軍事病院の最重要ポストと、最高の医療機関としての栄誉を受けた。彼女は広島で数ヶ月看護を行い、1904年4月に2日間松山に滞在した際、ロシア兵捕虜のもとを訪れた。彼女たちの奉仕に対する感謝として、それぞれに勲章と、ロシア皇帝から記念の王冠が授けられた。これは非常に稀な光栄である。また、彼女は赤十字社連盟からも特別勲章を与えられた。
542 ニューコーム家家系図より参照
すべての写真は
1904年10月に出版された戦争雑誌"征露圖會(せいろずえ)"No.289
より参照
ニューコーム家について詳しく知りたい方は
http://www.geocities.com/Heartland/Acres/2957/index.html 

新橋港にてマギー女史を歓迎する
1904年4月22日
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