「脱藩の道」周辺の巨樹 ・・・ 2/6
土佐市、佐川町、須崎市・・・
脱藩の道は、上記の地図に記したとうり、現在の国道33号線付近を、伊野町、佐川町と西進するルートであ
ったようだが、ここで又、土佐市を通る国道56号に少し寄り道をする。というのも、土佐市にはこの近辺では外
せない名木があるからだ。堂々たる楠の巨樹、蓮池の大楠である。
蓮池の楠 土佐市の中心部から西に少し走ると蓮池である。竜馬はこの蓮池の絵師に蘭学を学びに
来ていたというから、おそらくこの楠も目にしただろう。田園の中に忽然と盛り上がった社叢の最上部は大楠が
造る繁茂である。それを支える主幹は、境内の盛り土からゆるりと伸び上がった重厚な様で、目立った損傷の
ない立派なもの。やはり土地がいいのだろうか、人も樹も大物が育つ。またこの神社には県の無形文化財で
ある「蓮池踊り」が伝わっている。延元2年(1337)土佐南北の戦いに勝利した南軍が、戦勝祈願のお礼奉
納として行ったのが起源で、真剣を振りかざして踊る勇壮な舞い。楠は当時からもうあったのではないか。
目通り周囲8.5m/樹高39m/枝張り34m/県天/高知県、土佐市、蓮池、西宮八幡宮
本ルートに戻る。伊野町から仁淀川を渡って日高町、更に佐川町へと進む。日高町の小村神社には「灯明杉」
と呼ばれる杉の神木があるが、樹勢はやや不良である。
灯明杉 土佐二宮の小村神社にあり、大地震などの異変の前には、梢に霊火が灯ったといわれる霊
木である。参道の奥の神殿裏にあり、横にあるもう一本の杉は既に立ち枯れている。この杉も下枝が少なく
樹勢はやや不良とも見受けられた。
目通り周囲5.4m/樹高25m/枝張り20m/高知県、日高町、下分、小村神社
日高村から佐川に到る坂道を上って、小盆地とでもいうべき小さな町並みに入った。ここは先に記した牧野富
太郎氏の生まれた町である。西町から上る坂道の途中に牧野氏の墓があり、近くには佐川城の城跡がある。
ここから見る景色は、慎ましやかな町並みを一望して大変良い素晴らしい。
元土佐藩の家老深尾氏の城下町で、志士の筆墨を集めた郷土資料館青山文庫もこのすぐ近く。
県指定の大楠、佐川の楠は町の北側の荷稲(かいな)という所にあった。
佐川の大楠 町の中心部から少し離れた土讃線西佐川駅近くの山裾である。初めは地名をイナリ
と読み間違えて「稲荷はどこですか?」と畑仕事をするおばさんに尋ねた。 「イナリ?・・・」と困惑した表情。
「あの、大きなクスノキのある・・・イナリですけど」そこで初めてこちらの勘違いに気づいた様子で「ああ、カイナ
かい。それなら荷稲や。カイナはなあ・・・」 高知では南国市の岡豊(おこう)等のように、一般とは逆の読み
替えをする風習でもあるのだろうか?多少紛らわしいが、「うちは他とは違うぞ」というような気骨の現れとも思
える。教えられた通りにしばらく行くと、ふいに遠方の山裾に鮮やかな葉色をした一塊が湧き出してそこに留ま
っているような偉観が目に飛び込んできた。田園を前に、やや目を疑う程の巨体ぶりで、近寄りかけてまた一
旦足が止まった。境内奥の少し高い場所にあるため、更にそのそそり立つ大きさが助長されて、楠ではこれ程
の立ち姿を他に知らない。根元は大きく広がって、根周りも20m近いだろう。いかにも頑強な幹と、滴るような
青葉。枝張りこそそれ程大きくはないが意気盛んで、気宇壮大といえる樹影。
目通り周囲7.5m/樹高36m/枝張り28m/高知県、佐川町、荷稲、諏訪神社
佐川を後にして、次の葉山村に向かうのだが、当時のルートとしては佐川町の南部、斗賀野から更に川の内、
そして葉山村との境、朽木峠を通る山越えの道である。現在は国道が連結しており、海沿いの須崎市を経由す
る494号線で、先ずは須崎市に向かう事とする。
須崎市には楠の巨樹で示したように、四国最大の目通りである「大谷の楠」がある。
大谷の楠 この楠は既に楠の巨樹のなかでも紹介したが、やはりこの近くを通って見過ごす事が
できない存在なので再び取り上げた。この楠もまた更に繁栄していく事だろう。
しかしこうしてみると、土佐は杉の国とは言い難い程、楠の巨樹が多い。楠は平野部の王者とも言われるが
やはり暖地の平野部では楠にかなう者はないだろう。ただ海岸部を離れて山間部に入ると、今度は逆転して
巨杉の領域となる。土佐はまぎれもない山国なので、特に谷あいから上って土佐に入った時に、土佐からは
杉の国だなあ、と感じるのだろう。
目通り周囲17.1m/樹高25m/枝張り27.8m/国天/高知県、須崎市、多ノ郷、大谷、須賀神社
それにしても高知は大物が育つ。それに増す程のものは、かの西郷隆盛を出した九州という事なのだが、維
新でも薩摩の実力はまざまざと実証された。
須崎市には、上の大谷の楠、そして四国の銀杏・大特集で紹介した「円教寺の水吹き銀杏」と、もう一つ、少
し風変わりな神社の大杉がある。
山の神の大杉 須崎市の市街より国道56号線を越えて宮ノ川内に入ると、道はすぐ目前の山
に遮られた。谷川から直に隆起したような小山の頂に、混在一体となった杉の樹冠が望まれる。市内最大の
老杉は、この寂れたような日陰の神域で、長大な根を恐ろしげに蔦這わせて、複数幹を天に差し上げている。
根の異様、幹の巨大さもさることながら、その杉とは思えぬ繁茂の大きさには驚いた。その一因はすぐ横に
もう一つ大きな杉が隣立しているせいだろうが、この一本でも、三支幹に分かれた繁茂はかなり大きなもので
ある。枝葉が多すぎるためか幹に湿気が多く、下枝の枯れは目立つが、樹勢は概ね良好のようである。
目通り周囲8.5m/樹高20m/枝張り20m/高知県、須崎市、宮ノ川内、山の神
さて、道は再び本線に戻り、葉山村の姫野々という所である。ここからいよいよ、東津野村、檮原町と続く脱
藩の道のクライマックスを迎える事となる。ただ、竜馬自信のクライマックスは更にその向こうにあるが、同じ
く志をもってこの道を駆け抜けた那須伸吾や、後の天誅組総裁吉村虎太郎らが、いざ幕閣に切り込まんとす
る助走路、とでも言うべき坂道である。
この先の遙かな山里には、一体どのような風景があるのだろうか・・・