「脱藩の道」周辺の巨樹 ・・・ /6  

 葉山村から東津野村、そして檮原へ・・・


 

          葉山村から東津野村に向かう道。現在の国道197号線は、須崎湾に流れ込む新庄川に沿って走り、暫くは

          川沿いのなだらかな道である。少し前の朽木峠では、関所跡で茶湯の接待やふるまい酒等をする脱藩の道

          のイベントがあるそうだ。

          やがて道は徐々に上り始め、大川を越えてトンネルを一つ、二つ潜る度に坂道は急になってくる。その先には

          難所「布施ヶ坂」がある。別名を辞職坂といい、その昔峠の向こうに赴任を命じられた者が、あまりの険しさに

          臆して、職を辞して逃げ帰ったという。ただこの辺りの眺望はまた素晴らしい。

          「経ていく谷はどれも実に大きい。この谷々の大げさすぎるほどの大きさを見て、フランスからスペインに入る

          ピレネー山脈で見た谷を思い出した」と、司馬遼太郎が言っている。

          竜馬が歩いた道は、この国道を串刺しにしたような登坂の厳しい旧道だろう。こちらは天にも上るような気分

          で、カーブを楽しみながら上り詰めてしまった。


          布施ヶ坂を越え、東津野村に入った。長いトンネルを出て、舟戸という所に来ると、すぐ左手に大野見村へ

          到る分かれ道がある。この道は海側を行く国道56号線に連結し、又四万十川の源流沿いの道でもあるよ

          うだ。ここから村はずれの下桑ヶ市に向かう。


  

    下桑ヶ市のスダ椎 川沿いの道は、点在する民家と山際に開いた僅かな耕地ばかりで、日を浴

          びた若草の香りが、谷風にのってゆっくりと漂っている。神社は集落の入り口付近にあり、小高い場所にこん

          もりと茂った社叢には、県内でも窪川町、桧生原の大椎に次ぐスダ椎の巨樹がある。隣にこれよりやや小さい

          スダ椎があるが、どちらも見事な枝振りでかなり大きい。根元に損傷があり、枝の欠損も見られるが、主幹が

          明確で未だしっかりと葉を茂らせて活発な様子。


目通り周囲6.05m/樹高12m/枝張り25m/高知県、東津野村、下桑ヶ市、稲荷神社


          再び国道に戻って西に進む。沿線の民家が増え始めて、ようやく町役場のある三叉路が見えた。交差する

          道は仁淀村からくる国道439号線で、右折して暫く上ると、その他の巨樹/高知編で紹介したエノキの巨樹

          がある。またこの三叉路の北側に、同村出身の脱藩志士、吉村虎太郎の銅像が立っている。

          檮原町へは、まだこの197号線を直進して、山間の道をさらに進んでいく。前方には町境の野越峠があり道

          はまた暫く上りとなった。

          檮原町との境近くには、郷土の偉人中平善之丞縁の地がある。勃発した一揆を一命を掛けて成就せしめ

          た元檮原村の庄屋職で、国道からは少し北側に入った山道の角に儚く散った処刑場跡があった。

          近くの脇道から千枚田が見えた。手前には新調された茶堂がある。茶堂は彼方から来る客人(まれびと)

          を待遇する御接待の場所だとも言われ、これと同じような建物が、この先の檮原町や県境を越えた伊予の

          近辺にも多数ある。昔はこの場を行き交う旅人に、地元民が持ち回りで茶や菓子などをふるまったという、

          なんとも和やかな風景である。

          「耕して、天にも上る・・・」そんな表現がよく似合う風景で、山国で年貢を納めるということの過酷さを物語り

          逆にそれが思わぬ造形美としてできあがった。今は区画造成などで規模はかなり小さくなったようだ。

          又この山道を暫く行くと、道端に異形の大杉がある。


  

    折れ大杉 幹は巨大で大岩のように苔むしているが、上のように下部で折れて既に枯死している。

         繁栄時は四国でも五指に入る程の大杉だったと思われるが、最期に伸び上がった一枝も、枯渇湾曲して

         息絶えたようだ。この千枚田を見下ろす丘に、高々と伸び上がる杉の梢を思うと、大変残念な思いがした。


目通り周囲11m/樹高6m/樹齢800年/高知県、檮原町、神在居