吉野川南岸の巨樹 ・・・ /4 


  

 

 国道192号線を渡り、高越山登山口に向かう途中、民家の屋根から抜き出た緑の樹冠が見える。


井田の大楠  目通り8.05m/樹高20m/枝張り35.2m/樹齢700年/山川町井上・井田権現神社


  

 細い路地に入って、その根元の異様に驚いた。根上の迫力に圧倒されたのは、既に紹介した愛媛県土居町

 にある「大川薬師堂の楠」とこの井田の大楠の二つである。丸々と肥えた主幹から、タコ足状に広がった浮根

  は、狭い神域をほぼ覆い尽くす勢いで、それでも止まらずに道路にまで這い下りようとしている。障害物が無け

  れば、延々と広がっていくのではと思ってしまう。根元あたりは、分岐する所が多いのでその成長も凄まじい。


 井田の楠を後にして高越山に向かう。高越山は別名を阿波富士と称し、標高1123mの山頂付近には、遠く

天智天皇の御代に、役小角が開いたとされる真言宗大覚寺派の高越寺がある。神仏両道の高越権現を祭

          り、大和の吉野権現とは一体を分かつ御霊であったいう事である。

  麓から参道まで道路は良く整備されて、観光施設も整いつつある。ただ霊域が近づくにつれて、やや辺りの

           木々や山の雰囲気がどことなく変わり始めた。


   

 奥野井という所に、国指定の天然記念物である「船窪のオンツツジ」群生域がある。ツツジといっても普通

 目にするあのツツジとは全く違う。高さが6mもある巨大ツツジなのだ。それが3.5ヘクタールにも広がって

  群生している。根周りも、大きい物は1m程はあるだろうか。樹下に入ると、まるで童話の世界に迷い込んだ

  ような樹のトンネルが長く続いている。そして5月になると、このツツジが一面に花をつけて彩られるというの

だから、是非一度は見てみたいものだ。                                      


 さて、いよいよ高越寺の参道である。ここからは、断崖に刻まれた危うい小道を歩いていくこととなる。もう

           下界の騒がしさは全く届かない。落葉広葉樹が繁茂した元の山の姿である。

  途中に大岩に根を張ったケヤキがあった。なぜかケヤキの大木には、このような状態のものをよく目にする。

 植生の競争に弾かれるのか。それとも、修験者のように自ら過酷な居場所を好むのか。岩上に座して未だ

           旺盛である。境内が近づいて、ふと前方の繁茂から、ブナ若葉を押しのけるようにして伸びる巨樹が目に入った。


高越山の杉  目通り7.06m/樹高15m/枝張り13.7m/山川町西山・高越寺参道


参道の少し上の斜面に、突き刺さるように生えた杉の巨樹で、奔放に生えだした枝々の荒くれた様である。

ただ、根元に小さなウロがあり、そこから落ちてきた細かい木くずが溜まっている。内部は空洞化して、何か

 の生き物が住み着いているのだろうか。外側の樹皮はいまだ艶やかで、力強い樹勢は感じられた。この杉も

もう何百年とここにいるのだろう。遙か下界の変遷を見てきたのか。それともなんら変わりない遠い山脈をの

          み見つめているのか。今でもこの参道を、大柴灯の護摩を奉じた行者が上ってくるという。


 

  高越寺に着いた。山門の向こうに鳥居をはいしたお社が見える。高越大権現を奉る神社である。寺の境内

  に神社がある風景は、現在では珍しい。権現とは、仏が神の姿をかりて現れるという本地垂じゃく説からの

           言葉だが、正にその事柄を具体化したような風景である。

           さて、この高越山第一の巨樹「一本杉」は、この門の前から左手に上る、荒れた石段の上にある。


高越山の一本杉  目通り7.16m/樹高20m/枝張り15.4m/山川町西山・高越神社


 

           急な石段を上った先に、ややうらぶれたような質素な神社があった。雑草が生えてお社も簡素である。

 杉は境内の端にあった。確かに大きな主幹だが、なんと枝葉が衰退して全く生気が無いではないか。樹皮も

所々はげ落ちて木部が露出している。これはもう既に立ち枯れに近い状態である。惜しいことだ。愕然とし力

が抜けた。樹を叩くと、あのしみ込むように重い重量感がない。内部もかなり空洞化しているのではないか。

          心なしか、その樹影までも霞んで見えた。神域が廃れたのはこの為か。

伝説では、香川の三木町に住む無妙という妖術を使う老人が、高越権現の札と大杉の絵を部屋に奉って

 いたとされる。その部屋には夜な夜な天狗が集まって酒盛りをしていたというのだ。明け方には皆散らばって

          この大杉にも戻ってきていたのだろうか。そろそろ天狗の影さえも霞んできた。


    

 高越神社の脇から細道を上るとすぐ高越山の山頂である。木々に囲まれて少し開けた空間には、弘法大師

の像が立っていた。神仏混有の教えを説いた空海が奉られているのは誠に納得がいく。しかし、この御大師

さんは、本当によく四国の各所におられる。一体どれほどの距離を歩いたのだろうか。また何を思って歩き続

          けたのだろう。

 もう一つの阿波の霊山である剣山系が良く見える。山の霊験はこの清々しさに尽きる。清しいもの、清らか

           なものを日本人は求め続けてきた。ただ、そればかりでは人は生きられないけれど・・・


 山を下りて、また吉野川へ向かおう。しばらく川岸を離れたが、どこからでもあの流れは良く見える。そして

           その吉野川が育んだ象徴とも言うべき大樹「加茂の大楠」に向かって再び南岸を進んで行く。