脱線防止レール

 下の写真を見て下さい。

 

 良く知られている「切り通し」の、写真です。
手前の線路に、注目して下さい。曲線の内側の線路が、二重になっています。
これが、脱線防止レールです。 
 実は、18年間、無事営業運転を出来た、裏の立役者でなかったのではないのでしょうか?


脱線防止レールとは、

 

 急曲線区間を走る車両は、転向横圧および、遠心力の為、外軌レール側に押し出されやすい。
よって、せり上がり脱線を招くことがある。
これを防止する為に、曲線内側のレール軌間の内側に敷設するのが、脱線防止レールである。
日本では、半径410m(貨物510m)以下の曲線に、敷設されていた。
しかし、2000年の日比谷線の事故を契機に、国土交通省は半径200m以下のカーブに設置することを義務付けた。


 別子鉱山鉄道・上部線は、その様な、現代の感覚を吹き飛ばす、スザマシイ路線でありました。
最小回転半径 15m
曲線数 112箇所
いくら、小型のクラウス社の蒸気機関車でも、脱線防止レール無しでは、無理だったでしょう。
 上部鉄道は、標高835mの「石ヶ山丈停車場」から、標高1100mの「角石原停車場」まで、
最大傾斜18分の1.最小曲線半径 50呎(1呎フィート=約30,48cm)
全長5532mの中に、橋梁が22箇所そして、カーブが112箇所。

 ほとんどの、線路に、脱線防止レールがあったと思われます。
そして、現代から見れば、低速運行でしたので、競りあがり(乗りあがり)脱線を防止で来たと思います。


 上の写真と同じ、「切り通し」ですが、手前(右下)にも、脱線防止レールが、見えます。


 終点の角石原・停車場ですが、ここにも、脱線防止レールが、見えます。

 1000mを超える山の中を、走っていたのですから、直線区間は余り有りません。
レールの敷設図面が有りませんので、断定は出来ませんが、
全線ほとんどに、脱線防止レールが敷かれていたのではないかと思います。