文化と文明とについて(11)


 ー社会と信頼ー

「子貢、政を問う。子の日わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。 子貢が日わく、必らず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何れをか先きに せん。日わく食を去らん。古より皆死あり、民は信なくんば立たず。(論語 顔 淵第十二)」


 唐突だが、テロとクーデタどちらの方が危険だろうか? 普通ならクーデター の方が危険だと思われるだろう。確かにテロも恐ろしいが、クーデターが国家そ のものの転覆を図るのにたいし、テロによる破壊は部分的なものだからである。 しかし、少なくとも現代社会に限ってはこれは真実ではない。というのも、クー デターは国家の転覆を図るが、そのことによって新たな秩序の建て直しを図るの にたいして、テロは本質的に秩序の破壊のみを目的とするからだ。確かに多くの 場合、テロもその背景に政治的な要求を持っている。しかし、テロの場合、当の テロリストでさえそれだけで自分たちの理想が達成されるとは考えていない。せ いぜいそれは部分的な目的のための手段に過ぎないのだ。だが、現代のような複 雑な社会においてはテロは致命的な危険をはらんでいる。十年くらい前、世田谷 で地下ケーブル火災が起こったとき、一時首都圏の情報網は大混乱に落ち入っ た。現代社会にあってはあまりにも多くの事柄が情報を介してからみあっている ので、そのどれか一つが傷つけられても、その被害は全体に及んでしまうのであ る。もしテロリスト達が現代社会のこの弱点を突いて、単なる破壊活動に専念し たらどうだろう? 人々は一気に不安のなかに落とし入れられ、一方テロリスト 対策のために警察に過剰な権力が与えられることになるだろう。

 人の社会は人間どうしのコミュニケーションによって成り立つものである以 上、他者に 対する信頼とそれを支える秩序なしには維持されない。確かに法律 には罰則規定がある が、これはあくまで補助的なものであって、社会のなかに 信頼関係がないならば、いかなる社会も成立しないだろう。このことは最近問題 になった食管制度の限界をみても分かることだ。ところが、現代の犯罪のなかに はこの社会の信頼や秩序そのものの破壊を目的とするものが見られるようになっ てきた。単なる政治的な宣伝を目的としたテロもそうであるが、コンピュターウ ィルスやハッカーによるコンピュターの情報破壊はその典型であるといえる。

 今まで人々は孟子の言う「恒産なければ恒心なし」との考えから、食糧と職場 を保証すれば人間は社会の秩序に従って行動すると考えてきた。確かにこれは大 筋において間違ってはいない。少なくとも人民大衆が立ち上がって革命を起こす 場合、「恒産なき」ことがその背景にある。だが、その一方、「人はパンのみに て生きるにあらず」の言葉の示す通り、それだけで社会が維持されるわけでは決 してない。もし人々が自分たちの生存について満足できたにせよ、何の生きがい も見い出せないなら、社会もそして人間自身も自己破壊の道を歩むことになるだ ろう。歴史的に言えば、ここに「パンとサーカスの呪い」がある。かつてローマ 帝国は文明の発展によって多くの富をローマ市民に提供した。しかし、その一方 で文化の空白が生まれ、人間不信が進行していった。「不和に勝てるほど強固な 社会はない」とはキケロの言葉だが、これはローマ帝国自身の運命を以て実証さ れることになる。

 冒頭に掲げた論語の言葉は、孔子がこの人間どうしの信頼が社会そのものの存 立の根幹にあることを見抜いていたことを示している。確かに軍備も食糧も社会 にとっては不可欠だが、社会を社会たらしめているのは『信』なのである。とこ ろが、この文句は日本においてはあまり評判がよくない。特に食糧難を体験した 世代にとってはそのようである。私が大学生の頃、ある先生が軍隊時代の飢餓の 経験がきっかけで唯物論を信じるようになったという話をされた記憶がある。日 本人のすべてが飢えのためにマルクス主義者になった わけではないが、そのた めにアメリカに憧れ、経済成長に努力してきたことは事実だろ う。このような 人々には孔子のこの言葉がけしからんと思えても無理はない。だが、この言葉の なかで「已むを得ずして去らば」の句に注意しなくてはならない。つまり、ここ では社会を存立させている軍備・食糧・信頼の3つのうち「已むを得ず」一時的 に犠牲にするならばと解すべきなのであって、恒常的にいずれかを犠牲にすると いうわけではないのである。従って、ここでは軍備と食糧とは一時的に犠牲にさ れ得ても、信頼は一時的にも犠牲にされ得ないと考えるべきなのだ。

 実は、この『信』の大きさを物語る例が20世紀の歴史の中にある。それは第 二次世界大戦において最も悲惨な運命を被った都市、レニングラード(現サント ペテルブルク)である。この都市では300万人近くの人々がドイツ軍により包 囲され、1941年9月から44年1月までに63万人以上の餓死者をだした。 それ以外の犠牲者も含めれば死者は100万人を越えるだろう。だが、この町は 降伏しなかった。正確に言えばできなかったのかもしれないが、少なくともこの 極限状態の中で人々は生き続けたのである。この間のエピソードの中で最も私が 注目するのは街頭ラジオの話である。人々の心の支えは路上のスピーカーから流 れるラジオの放送だった。そこからはロシア民謡が流され、そうでないときは、 メトロノームの音が流されたという。この放送は包囲の間ずっと続けられていた のだが、実は数時間の間だけ放送がとぎれ、町が音を失ったことがあった。幸運 にもこの空白は数時間で終ったが、それがもっと長引けば人々は発狂しただろ う。私は『信』の重さがこのラジオの音に見て取れると思う。何故なら、この音 のあるかぎり人々は町が生きていると信じることができたからだ。

 『信』とは復活の力である。何故なら、物質的な危機に陥っても『信』があれ ば人も社会も蘇ることができるからだ。また、これは文化と文明との関係にその まま当てはまる。というのも、たとえ文明が衰えたとしても文化の底力が衰えて いないならば、文明は再建できるからである。だが、この逆はどうだろう?  『信』を失えば人も社会も崩壊へ向かう。文明がいかに発展しても文化が空洞化 するならば、文明はいずれは自分自身を破壊する。いかに堅固なものでも自らを 蘇生させる力を持たないならば、いずれは時とともに崩れ去るが、文化を欠いた 文明の場合、さらに文明の過剰な力がガン細胞のように自らを侵すのである。

 次回は、このシリーズの最後として、『信』によって媒介される情報の観点か ら文化と文明とについて語ることにしよう。

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