環境ホルモン汚染と「疎外」の論理


第4回


  人間を幸福にしない労働
 

 昨年は日本経済についての暗い話題が目立ちました。山一証券をはじめとした 大手金融機関の倒産はいまだに尾を引いています。思うに、金融機関の人たちは あれだけ残業をして働いているのに、どうして不況に陥っているのでしょうか? また、どうしてそこまでして不正なことをしてしまうのでしょうか?ここに「人 間を幸福にしない労働」の影が見えてきます。山一に限らず多くの企業や官庁は 自らの社会的組織を維持するために多くの仕事を必要とします。そしてその中に は、山一のやっていた「飛ばし」や総会屋対策のように会社のために必要であっ ても決して個人のためにならない、時には害をなす多くの仕事が含まれていま す。これらは会社のために必要である以上、賃金をもらう個人にとっても必要な 労働となりますが、決して「人を幸福にする」ことはないのです。

 マルクスは実はその点も指摘しています。「疎外された」労働は「疎外され た」フィードバックループを作り、その中に個人の意識をも巻き込んでいくので す。彼はこれを「物象化」と表現しているようです。今世紀においてその典型は 国家であったと言えるでしょう。ここでは国家は頼もしい家族のように見られ、 日本でも「お国のために」戦争が続けられたのです。しかし、これは一種の幻想 にすぎませんでした。すでに今世紀前半の社会学者は家族のような共同体と国家 や会社のように一定の法規則による官僚的社会とを Gemainshaft と Gesellshaft という言葉で区別していたのですが、一般にはあまり知られていま せん。それは多くの戦争や個人の犠牲にも拘わらず、それが経済成長を通じて 人々にモノの豊かさをもたらしてきたからです。

 かつてマルクスは「宗教は阿片である」と言いましたが、社会の拡大に魅せら れた人々には「国家や会社などが阿片である」と言えるかも知れません。ところ が、最近になって経済成長が飽和し社会の拡大とそれに対する期待に陰りが見え てきました。最近の中学生がよく「切れる」という言葉を使いますが、本当に 「切れて」いるのは彼らではなく、今まで国家や会社などの組織を信頼してきた 大人達のそれに対する期待、つまり「阿片が切れて」いるのかもしれません。
 

[←戻る] [次へ→]

[自然界のこと]