スペイン追想


 4.コルドバにて(10.15-16)

 1000年前より人口の減った都市というのは世界的にもそうないであろう。 滅びてしまい廃墟となった都市はあるにせよ、1000年もの間、町という形を 維持しつつ、なおかつ人口が減ったのではないかと思われる町はコルドバをおい て私は他には知らない。このようなことになったのも、この町が中世の地中海世 界においてコンスタンチノ−プルに次ぐ地位にあったからである。現在のコルド バの人口は30万程度だが、かつての人口は50万人、100万人とも言われて いる。確かに古い話なので、当時、本当に現在以上の人口があったかどうかを断 言することはできないだろう。しかし、当時の都市の大きさは世界最大級であっ た。私のような西洋哲学を学んだものにとってもコルドバは有名な土地である。 何故なら、中世ヨ−ロッパの思想の多くはコルドバを通じてイスラム世界の影響 を受けているからである。私は「マイモニデス」という名のホテルに泊まったの だが、この名が哲学者の名であることだけは知っていた。この人はユダヤ人で、 この町で生まれカイロでその一生を終えている。先に述べたように、彼は医者で あり、世界で初めて目の手術をしたことでも知られている。当時の哲学者は神学 と共に医学などの実践的な自然学をも探究していた。いまでこそ科学は専門化し ているが、当時の哲学者はあらゆる方面での学者であった。

 コルドバが当時このように栄えた理由はその寛容な宗教政策にある。イスラム 世界ではアッパ−ス朝によってウマイヤ朝が滅ぼされるという事件が起こるが、 かろうじて生きのびたウマイヤ朝の王子、アブデラマンによってこの半島は支配 されることになる。彼はダマスカスに対抗するために文化と秩序を大切にした。 宗教的寛容さはこの現れであり、それは後に失われてしまうが、今でもこの町の 誇りとして生きている。実は、スペインでは法律によって海外の団体旅行にはス ペイン人のガイドを雇わなくてはならないのだが、このコルドバを案内してくれ たイザベラさんの態度にそれがはっきり見てとれた。彼女は敬意を以てマイモニ デスを紹介すると共に、イスラム国際大学に案内してくれた。大学といっても中 世的な路地に沿った屋敷にあるものに過ぎないのだが、たまたまそこに来ていた ムスリムの団体の人々と共にそこに入れてもらった。イザベラさんも、ムスリム の人々の案内をしていたガイドさんも共に日本語が上手で、彼女は直接日本語で コルドバの町の案内をしてくれた。ちなみに、グラナダでのガイドさんも日本語 が上手であったが、彼女が朝早く並んでくれたお陰でアルハンブラの入場券を手 に入れることができたとのことである。彼らの多くは勉強家で、たとえ日本語は できないにせよ、少なくとも英語を話すことはできる。恐らくはドイツ語、フラ ンス語なども勉強しているであろう。

 ところで、この町はこの旅行において最も幸運に恵まれた場所であった。とい うのも、ガイドさんたちのストライキが16日にあるというので、観光日程が1 5日の午後に繰り上がり、16日の午前中に自由時間を得ることができたからで ある。この時間に、後で述べるメスキ−タでミサに参加することができ、更には 地元の本屋に寄ることができた。とにかく、ここで私はかつて紀伊國屋で注文し ながらも手に入れることのできなかったオルテガの「大衆の反逆(La Rebelion de las Masas)」の原書をはじめいくつかのスペイン語の本を手に入れることが できたのは幸いであった。今のところスペイン語はかなり忘れてしまっているの で、これらの本は読めないが、いずれ本気でこれらを読もうと思っている。

 このようなコルドバの地であるが観光の焦点は何といってもメスキ−タであ る。メスキ−タとはこの町をあらたなる聖地にしようとしたアブデラマンが建造 を始めたモスクの跡であり、今はその中に教会が造られている特殊な歴史的経過 を経た建築物である。アルハンブラ宮殿にしてもそうなのであるが、中世の建造 物は今のように一度に建てられることはまずない。たとえそのようにするにして も、何十年もかけてそれらは造られる。当然、その間に計画の変更がなされるこ ともあるし、たいていの建て物は数回の増築や修復を繰り返し今日に至ってい る。メスキ−タの場合、その中でも特別であって、本来壊されるべきモスクの中 に教会が立っている(当時はモスクを壊し、その跡地に教会を建てるのが常であ った)。しかも、その中身は歴史的にさまざまな時代の寄せ集めであって、最初 期の部分ではロ−マ時代の石柱をよそから運んできて、それをそのまま利用した りもしている。内部の一番新しい部分が18世紀に造られたそうであるから、い かにこの建造物が特殊であるかが分かるだろう。しかし、これは歴史が本当はど のようなものであるかを端的に物語ってくれているとも言える。何故なら、歴史 は多様なさまざまな要素が融合し重なり合ってでき上がるのであり、単純に直線 的に成長・発展するものではないからである。この意味で、近代は過去との断絶 の上に今を造ろうとした時代であった。かつての社会主義者の傲慢な理想に見ら れるように、多くの近代人は文明の力に頼んで、過去を清算し時代をまったく新 たに造りかえられると信じていた。しかし、それは多くの場合、単に伝統を破壊 し歴史を混乱させたに過ぎない。この近代の性格はその建築のあり様にも見てと れる。道路やビルの建造の際、時折、発掘が行われることがあるが、それは近代 の建築の工事によってそれまでの歴史的遺構が破壊されるからである。過去の歴 史においては、それぞれの建物がそれ以前の建造物の遺構の上に層を積み重ねな がら建っていくのだが、近代的な建築工事においてはそれが破壊されてしまうの だ。

 このようなわけであるが、この元モスクでのミサは私にとって幼稚園以来のカ トリックの行事となった。私はカトリック系の幼稚園に通っていたお陰で、かつ てカトリックの宗教的雰囲気を味わったことがある。ミサに参加したことはない が、それなりの宗教的感化を受けたのは確かである。今回ミサに参加して、再び かつての雰囲気を思い出すと同時に、その規模の大きさに驚いた。今までカテド ラルなどの教会を見てきたのだが、見るだけで、その音を感じる事はできなかっ た。その意味で、ミサに参加できたのは嬉しかった。そこではパイプオルガンも さることながら、人の声の響きが私の心を魅了した。イスラム教のクルア−ンの 朗唱もそうであるが、声が宗教的な音の中心にある。ここでは毎日ミサが行われ るとのことであるが、毎日ではないにせよ、毎週カトリックの国々ではミサが行 われ、そのつどキリストの物語が繰り返される。宗教とは人々に共通の神話をも たらすものだが、宗教的意識の乏しい日本では人々の物語の核となる神話をも欠 いている。日本人が何か物語を綴る時に、しばしばその骨格を失い、細かい心情 の描写にのみに流れてしまうのはそのせいであろう。(少なくとも、昨年話題に なった「エヴァンゲリオン」についてはそうである)

 ところで、私はこのミサの時、座席の右のモスクの側に座っていた。それは私 がカトリックの精神と共に、以前ここをモスクとしていたイスラムの精神にも敬 意を払いたかったからである。私はその神学上の差異にもかかわらず、この2つ の宗教が決して互いに対立すべきものだとは考えていない。先にも述べたよう に、キリスト教とイスラム教との違いはイエスを主とし、三位一体を受け入れる か否かにある。私は個人的にはイエスを主とすることはしない。その意味では、 イスラムの立場に近い。しかし、彼は十字架を通して神の意図を体現し、その救 いを証したと考える。かつての預言者もそうであっただろうが、特にイエスの場 合はその運命そのものが神の意図そのものなのである。このことを理解するには 仏教の論理が参考になる。一般的に知られているように、仏教では実体を否定す る。存在するのは現象としての出来事だけなのである。このように考えるなら ば、イエスのドラマは神を証かす出来事であり、それは神そのものの現れであ る。神もイエスも実体として考えるならばキリスト教とイスラム教の主張は矛盾 する。しかし、このように考えれば両者は矛盾しない。いずれにせよイエスもム ハンマドも信仰の原点に立ち返ろうとしたのであり、「キリスト教」や「イスラ ム教」と呼ばれる特定の宗教を創設しようとしなかったという事実は忘れられて はならない。今日横行している宗教的不寛容さはこのことに対する意識の欠如に よるものといえるだろう。
 

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