スペイン追想


 5.コンスグエラにて(10.16)

 スペインでの移動は〈バルセロ−ナ−グラナダ〉間を除いてバスによるものと なった。この国では高速道路が発達している。日本のように料金所があって、そ こから渋滞が続くこともない。これはスペインが日本に比べて高地は多いものの 平らな国だからである。このバスの車窓から見える景色と日本のそれとはかなり 違っている。とにかく広いのだ。私がグラナダで飛行機から降りた時、まっさき に「阿蘇より広い」と感じたのだが、この印象はバスでの移動の際も変わらなか った。また一方、気温はスペインも日本もあまり変わらない(特に九州とは)が 降水量が断然違う。スペインは乾いている。それ故に穀物を産する耕地は少な く、多くがオリ−ブなどの果樹園、ぶどう園などになっている。私が訪れた10 月には小麦も刈り取られ、一面に土地そのものの色がむき出しになっていた。関 東はともかく、九州では土地は黒か茶色と決まっているが、この国では土の色は 白か黄土色、もしくは赤となる。殊にアンダルシアを後にしてラマンチャ地方に 入ると、その色は極端に赤みを帯びてくる。「ラマンチャ」とは染みという意味 だそうだが、そう呼ばれるだけ濃い赤の地面である。

 ラマンチャといえばあのドン・キホ−テの活躍したところとして有名なところ である。我々はその物語の中でも最も有名な風車の話を味わうために、コンスグ エラの風車を見ることになった。風車といっても、今日は観光用に残されている だけで、実際には使われてはいない。観光地ではよくあることだが、一回100 ペセタで風車の中を見せるという男が我々のバスを追ってきた。片言の日本語で おばさんにも「かわいい、かわいい」を連発しながら、さほど広くない風車の中 を見せてくれた。100ペセタは日本円にして100円弱に当たる。他の人にと ってこの値段が安かったか高かったか分からないが、私にとっては十分もとの取 れる値段であった。というのも、その中で木で作られた歯車を目にすることがで きたからである。これは縦の回転運動を横に変えるだけの単純なものであった が、そこには機械の最も原初的な姿がはっきりとした形で示されている。ドン・ キホ−テが風車を巨人と思い、それに向かっていった話はあまりにも有名だが、 普通これは彼の単なる狂気を表す話としてしか見られていない。しかし、彼の狂 気は来たるべき近代を予感していたように思う。風車の歯車は単純だが、一定の 規則に従って運動エネルギ−を伝達する点では、原理的に今の機械と変わらな い。木の歯車は後に金属となり、より細かくなって精密な時計のような機械を生 み出すことになる。また、今日では半導体上の電気回路を制御するミクロのスイ ッチとなってコンピュ−タ−を動かしている。ドン・キホ−テの立ち向かった巨 人とは近代を可能にしたこの機械的なシステムであり、こよなく中世を愛するこ の騎士おたくは狂気の中でしかそれと戦うことができず、しかもその戦いも敗北 が宿命づけられていたのだ。

 スペインはレコンキスタによって近世に至ったが、まさにそのために近代に至 ることができなかった。「近世」も「近代」も共に英語にすれば「modern」だ が、その間には決定的な違いがある。というのも、近世は文明のインパクトによ る混乱が収拾され安定化が達成される時代であるのに対して、近代とは新たなイ ンパクトが生じる時代だからである。古代を通じて世界に広がった文明のインパ クトはその反動として中世の混乱を残した。この時期には、今までその文明の温 度差による運動エネルギ−(すなわち植民地支配による国の発展)によって維持 されていたロ−マ帝国のような古代社会が崩壊し、権力の拡散と共に文明のポテ ンシャルが拡散する時代である。この時期には、まだ権力的な統治システムがで き上がっておらず、たまにアブデラマンの治世のような繁栄を誇ることがあって も、統治者がいったん無能な人物になると、たちまちのうちに混乱し内部分裂を してしまう。スペインにおいては西ゴ−ト王国もその後のイスラム教国やキリス ト教国もこの運命を免れることができなかった。しかし、近世に至っては法律に よるそれなりの統治システム、とりわけ権力の継承システムが完成するので、こ のような混乱は少なくなる。戦国時代以降、江戸幕府がいかに巧妙な統治システ ムを築いたかを見ればこのことは理解されるだろう。だが、近代はこの近世を前 提としつつも、更にそのシステムを人間社会拡大の方向へと利用する。近世にお いては人口の増加も経済的発展も安定的であるが、近代においてはそれらは爆発 的なものとなる。それと同時に、かつてロ−マ帝国が多くの植民地を持ったよう に、近代に至った社会は他の周辺社会をその植民地としてインパクトの中に巻き 込んでいく。

 スペインは植民地は築いたが、結局そこからの富を生かすことができなかっ た。ヨ−ロッパで吹き荒れる宗教改革の嵐の中で、あくまでカトリックの国とし てプロテスタントの国々に対して再びレコンキスタを試みたからである。新大陸 からの金はこれらの浪費を通じて西ヨ−ロッパ全体に流れ込み、そこでの産業資 本の形成に一役買ったが、イベリア半島はその通り道に過ぎなかった。言ってし まえば、スペインという国そのものがドン・キホ−テ的だったのである。私はこ の地でまた読めもしない「ドン・キホ−テ」の原書を買ってしまった。これもま たドン・キホ−テ的かも知れないが、少なくとも飾りにはなるだろう。ちなみに 値段は4000ペセタ弱である。
 

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