スペイン追想


 6.トレドにて(10.16-17)

 前にも述べたようにスペインには遺跡が多い。高速道路を走るバスの中から も、また町の中にも、ロ−マの水道橋の跡やら、レコンキスタの砦の跡や城など を見ることができる。しかし、トレドは町そのものがこのような遺跡の感じのす るところである。無論、人が住んでいるのであるから、他の遺跡のように廃墟と いうわけではないのだが、何か時代に取り残されたような、しかしそれでいて美 しい町である。16日の午後、タホ川をはさんでこの町の全景を見た時、そのこ とを感じた。町は雑然とし、その中には大きな道路もないのだが、不思議と調和 したやさしい美をその中に見ることができる。翌朝、その町の中を歩いたのだ が、人のためだけに作られた中世の古い路地が入り組んでのび、時折すれ違う車 が、恥ずかしそうにゆっくりと人を避けてすれ違って行くのが印象的だった。

 この町は西ゴ−ト王国の時代の首都となり、その後、レコンキスタ以降カステ ィ−ジャ王国の首都ともなった伝統的な町である。しかし、そこは軍事上の防衛 には適しても近代的な国家の首都としてはあまりに小さく、フェリッペ2世によ って首都はマドリ−に移されることになる。これは現在の自動車のことを考えれ ば正解だったと言える。今の首都であるマドリ−でさえも交通渋滞に悩まされて いるのに、車の交通が例外的なこの町が首都であり得るはずがない。もし問題が あったとすれば、その遷都の時代が自動車が現れる以前であったとということで あろうか。今この町にはスペイン・カトリックの総本山が置かれ、スペインの伝 統の中心となっている。期せずして良きスペインが残ったというところであろ う。当然、我々はこの町のカテドラルを見学したのだが、その中で目を引いたの は、後にも触れる画家のエルグレコである。彼はもともとギリシャ人であった が、この町で人生を終えることとなる。最初はスペイン王家の宮廷画家を目指し たそうだが、あまりに宗教的な絵を描くので結局は雇われず、この町に流れ着い たらしい。このエピ−ソ−ドからも分かるように、ここでは時間が止まっている のだ。

 しかし、こんな町にも現代史を物語る傷跡がある。それはスペイン市民戦争の 銃痕の跡である。朝の路地を歩いている時、英国紳士風の現地のガイドさんがそ れを指さしてくれた。確かに道に面した壁一面に銃痕が散らばっている。セヴィ −ジャは当初からフランコの支配下にあったため戦火を逃れることができたのだ が、マドリ−に近いトレドはこの戦争の直接の舞台となった。スペイン市民戦争 については今でも多くのことが語られている。ファシストであるフランコに対す る評価はいぜん厳しいものがある。しかし、この戦争は社会主義者を中心とする 共和国側とファシスト反乱軍との戦いである以上に、近代戦としての性格を端的 に示している。以前の戦争においては市民を巻き込んだ全面戦争になることはま れであった。しかし、これは一般市民を巻き込み、近代兵器で殺し合いを行った という点で極めて現代的な戦争である。その後に起こる第2次世界大戦、更には いまだに尾を引いている旧ユ−ゴにおける内戦の原点がここにある。この戦争は 最終的にはファシストであるフランコの反乱軍が共和国政府軍を敗北させること で終わるのであるが、いずれが勝利しても全体主義という暗い時代を背負ったも のとなっただろう。というのも、一般に正義と見られている左派共和国政府軍が 勝ったとしてもソビエト的なスタ−リンニズムとは無縁ではあり得なかったはず だからである。この最悪の選択においてフランコ側が勝利できたのは彼らの方が スペインの伝統的なカトリックに親和的であったからに過ぎない。何故なら、こ の伝統なしには個性の強いスペインの各地域はことごとくバラバラになったであ ろうからである。スペイン・カトリックの総本山のあるこの静かな町で市民戦争 の跡を見たのは皮肉なことといえるだろう。
 

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