ライト兄弟

家族・父は教会の牧師。母は工作の上手な人。上の兄2人はウィルバーや オービルが飛行機の発明に苦労しても少しも助けなかった。 妹のカザカンはライト兄弟を熱心に助けた。 きっかけ・オービルが25才のとき、病気にかかり生きるか死ぬかを さまよっていたとき、ウィルバーが「空とぶ実験」という本を持ってきて、それをオービルのために読んだ。2人は空への憧れが強くなった。   6年の苦労の末、キティホークで空を飛ぶことができた。ラジオやテレビで大騒ぎ。ある日、フランス人とイギリス人の立派な人が「いくらでもお金をあげるから飛行機を売ってください」と言ってきた。 しかし、ライト兄弟は「私たちはアメリカ人です。飛行機はアメリカの軍隊に譲ります」と断った。その頃のアメリカの大統領セオドーア・ルーズベルトは科学雑誌を読んでライト兄弟を知り、陸軍長官に命じて飛行機実験をやらせた。こののち陸軍から飛行機の注文があり、そして会社を設立 社長となった。 ・ウィルバーとオービルは小さい時から機械制作に熱心で少年時代に2人は、印刷機を作って小さな新聞を発行した。1892年(ウィルバー25歳・オービル21歳)2人で自転車屋を開業し、自転車の制作や修理を始めた。1896年グライダーの研究家として、しられたリリエンタール (「空飛ぶ実験」を書いた人)が墜落したニュースが伝わると兄弟は飛行機に大きな関心を抱く。1900年(ウィルバー33歳・オービル29歳)グライダー1号機ヲ制作したが、試験飛行で失敗。翌年改良した第2号機でも失敗そこで2人は空気力の測定気流の観察などを行い、ついにひとつの翼形を見いだした。それは複葉(主翼が上下2枚のもの)の翼とその前方に補助翼をつけた翼、はば9、75mのグライダーで試験飛行はだいせいこうであった。兄弟は、動力として、その頃発明されたばかりのガソリン機関を使うことにし、1903年 夏、最初の動力飛行機「フライヤー」を完成させた。(重さ274kg翼はば12,3m)1903年の12月14日試験飛行は、失敗したが3日後の17日にオービルの乗った「フライヤー」は12秒間で37mの飛行に成功した。これが、人類最初に動力飛行機で空をとんだ゛記録である。この日兄弟は4回の飛行を行い、最後にウィルバーは260m 59秒の記録を作った。しかし、家族以外は誰も信じなかった。その後、飛行機を改良し、1908年 12月11日兄のウィルバーが飛行時間2時間20分飛行距離約125kmという記録をたてた。 その後、兄弟はアメリカン=ライト飛行機制作会社設立したが、1912年兄ウィルバーは結婚することもなく、専属の浴室がほしいというささやかな望みを果たすことなく、45歳でなくなった。ライト兄弟が発明した動力飛行機はのちにフランスで発達したが、第1次世界大戦が始まると各国で研究され、軍用として重要な役割りをもつようになった。


 
  調査した科学者
ウィルヘルムレントゲン
アインシュタイン
コペルニクス  
ダーウィン
トーマス・エジソン
ライト兄弟  
メンデル
ベル
ボルタ  
ガリレオ・ガリレイ
ノーベル
ニュートン 
コロンブス
アリストテレス
ワット 
オッペンハイマー

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