東方黒豹

- アジアン・ブラック・パンサー -

第12回

 屋敷は、広大なものだった。
 門から玄関まで、十五分はかかった。昔は門に守衛もいたのだろうが、今は荒れ果てて昔の面影はない。
 それでも、木々の中に隠れるようにしてそびえる洋館は、かつての威容を十分に感じさせた。伸び放題の庭木、からまる蔦が、かえっておどろおどろしさをかもし出す。
 パオの無言の指示に従い、一行は裏手に回った。
 百万ドルの夜景を見下ろすためか、二階からテラスが張り出している。コロニアル調の手すりは、大理石か。
 しばし距離を目測していたパオは、助走なしで、いきなりその手すりへ飛びついた。軽々と飛び乗り、内部へ侵入する。
「自分一人で行くなよ、勝手な奴め」
 文句を言いながら、アイアンも飛び上がって手すりを掴んだ。こちらの方は助走なしとはいかなかったが、ぶら下がって両腕で懸垂して、力任せに二階へ上がってしまった。
 困ったのはフランクである。
「うええん」
 非力な自分を嘆いていると、パオが戻ってきて、ロープを投げてくれた。パオは、このロープを探すため先に行ったらしい。フランクは無様にぶら下がって、引き上げてもらった。
 中へ入ったら、声をひそめるようパオが指示を出した。
 屋敷は、外から見たよりは荒れていなかった。家具は壊れ放題で掃除もされてはいないが、歩けないほどではない。窓ガラスも割れてはいないし、何とか住むことくらいはできそうだ。
 三人はゆっくりと、一つ一つの部屋を検分していった。
「しかし、ぞっとしねえな」
 最初に沈黙に耐えかねたのは、アイアンだ。パオも別に咎め立てはしなかったので、アイアンは喋り続けることにした。
「この家のどこかに、細菌兵器があるんだろ? 壊れて室内にばらまかれてたりしたら、俺たちゃ一巻の終わりだぜ」
「大丈夫ですよ。黒豹さまが、治療法は発見したって言ったじゃないですか」
 ヒソヒソ声で、フランクが答える。
「それが眉つばだ」
 アイアンはパオの背中をつついた。
「病気の元は知れたとして、お前、ほんとに治療法がわかってんのか?」
「僕にはわかりませんよ」
 怖いことを、平然とパオは言った。
「でも、犯人は知っています。知っているからこそ、こんな事件を計画したんです」
「だからその、犯人ってのは……」
「決まってるじゃないですか」
 パオは例の、猛獣に似た笑みを浮かべた。暗がりの中、黒づくめの彼が、いきなり二倍以上に膨らんだように見えて、アイアンは思わず目をこする。
「紛失した、とみせかけて、誰かが己の欲望を満足させるため細菌兵器を隠しておいた。その人物はきっと、世を去っている。しかし遺志を継いだ者がいたわけです。そう、レナのように。それは、別荘に細菌が隠されていたことを知っている人物。そのデータを元に治療法を見つけた人物。これをランタオ島という辺鄙な土地で、囚人に試すことのできた人物 -------- 」
 そのとき、部屋の向こうで何かがことりと音を立てた。
 三人は同時に顔を見合わせ、同時に駆けだした。五十メートル競走のような勢いで、その部屋に殺到する。アイアンは銃を構え、フランクは持たされていた懐中電灯を向けた。
「誰だ! 出てこい!!」
 アイアンは怒鳴ったが、懐中電灯の光に浮かび上がった人物に気がついて、へたへたと腰を抜かした。フランクもホッとして、大きな息を吐く。
「無事でよかった……」
 縄で縛られ、転がされたその人物。必死でもがいていた彼は、アイアンたちを見て喜びの声を上げた。
「李警部! よく来てくれました!」
 それは、誘拐されて久しく、その身を案じられていた ----- マイケル・周であった。
 縄を解こうと駆けだしたアイアンは、しかし、後ろから凄い力で引き戻されてたまげた。
 振り返ると、パオが堅い表情でマイケルを睨んでいる。
「何だよ、早くあいつを助けてやらなきゃ……」
 講義の言葉を、パオは片腕を上げて押し止めた。その腕をゆっくりと下ろし、マイケルを指さす。
「あれが、誰ですって?」
「何言ってんだよ! マイケル・周じゃないか。警察医の。忘れたのか?」
「いいえ」
 指さしたままで、パオは静かに首を振った。
「そこにいるのは、あなたの知っている警察医のマイケル・周ではありません。彼こそが ------ 」
 パオの言葉は、廃屋に響きわたった。
「”青き帝王”です。今回の全ての、黒幕です」

                        

 アイアンは狐につままれた顔のままでパオを見た。
 マイケルも弱り果てていた。何とか自由になろうと身体をもがかせながら、必死で釈明した。
「馬鹿なことを言わないで、早く縄をほどいてくださいよ! まったく……さらわれて、こんなところへ放り込まれて、ようやく助けが来たと思ったら、私が犯人ですって!? パオ君、冗談は、もっと呑気なときに言ってくれないと、ちっとも面白くないよ」
 だが、パオは厳しい表情を崩さなかった。アイアンがマイケルのところへ行くことも許さなかった。アイアンとフランクを自分の後ろへ下がらせて、自分はマイケルの方へ一歩、進んだ。
「最初にあなたを疑ったのは、海でのことだ」
「パオ君! いい加減にしないと怒るよ、僕は……」
「あなたはアイアンさんが泳げないのを知っていて、わざと自分も不慣れな様子をし、挙げ句に、サメの待つ海中へ突き落とそうとした」
「あれは、はい上がろうとして、偶然に……」
「そう。そう思ったから、僕も忘れることにした。しかし次に、刑務所に仕掛けられた爆弾を見つけて、僕の疑念は増した。関係者の中で、あれだけの爆弾を作る教育を受けているのは、理工大学を出てからカナダの医学部へ進んだという経歴をもつ、あなただけだ」
「ど、どうしてそんなことを……」 
 マイケルが目を見開いた。
 パオは薄く笑った。
「これらの経歴は、後からランタオ島の署長に調べてもらった。彼は申し分ない仕事をしてくれたよ。あなたが水泳の名手であることも、以前はランタオ島付きの検死官だったということも。そして、袁財団の、勘当された三男の一人息子だってこともな!」
 決定的な告発だった。
 さすがのアイアンも、何も言えなかった。
「あんたは父親から、極道な血を受け継いでいた。そして、自分たちが逃げだしたこの街を、我がものにするだけの力があることを、伝え聞いていたんだ。そこで、お前は実行に移すことにした。まずは囚人に細菌を注射して、効果を試した。潜伏期間の長い細菌だけに、あんたが疑われることはなかった。そうして、おもむろにあんたは、親父の計画を実践していったんだ。 -------- 最初は、一同の中のインテリが臭いと思っていた。該当するのはあなただけだ。もしあなたが犯人だと仮定すれば、そこから後のことは全て符号があう。あなたはアイアンさんをおびき出して誘拐した後、急いで刑務所へ回って導火線に火を点けた。時間的にはぴったりだ。そうして、自分は誘拐されたという恰好で自由を得て、計画を実行しようとしたんだ!」
 しばし、一同の間に沈黙が流れた。
 アイアンは愕然と、マイケルを見下ろした。告発に対して言葉を失ったかのような彼に、焦れて叫んだ。
「おい、マイケル! 何とか言えよ!?」
 ようやく、マイケルは口を開いた。
「 ----- どうして、ここがわかった?」
 その声に、アイアンは戦慄した。
 それは、彼の知る限りのマイケル・周の声ではなかった。地獄から這いだしてきたように、重くて暗い。そして、この世の全てを嘲るが如き、傲慢で高圧的な。
 パオはキッとまなじりをつり上げた。
「お前は、テレビ放送を聞いて慌てた。アイアン・李があれほど自信たっぷりに言うからには、本当に治療法が発見されたらしい、とあんたは思った。あんたのアジトは、ここしか考えられない。そして、自分が金をあやつっていて感染した場合を考えれば、同じ場所へ治療薬を置いておくのは当然の心理だ。僕の仲間にレナが加わったのを知っていたあんたの心は、穏やかではなかったはずだ。もしかして彼女が祖父の恥になる話をあえて僕らに打ち明けたとしたら ------- 僕らがこの屋敷を捜査して、治療薬を見つけたとしたら」
 パオはそれらを予測し、屋敷に見張りをつけてもらっておいたのだ。その報告によって、マイケルが網にかかったことを知り、決戦に赴いた。
「あんたは僕の位置を正確に辿れると思っていた。けれど、僕がフランクを連れ歩かなくなったから、それもわからなくなった。仕方がないので、あんたは発信器を調べるのもやめてしまった。そうだろう?」
「お……俺?!」
 だしぬけに話を振られて、フランクは素っ頓狂な声を上げた。パオはちらりとフランクを見て、気の毒そうに教えた。
「フランク。君の耳についてるピアスは、誰にもらったんだ?」
「え、これは仕事の前にアニキが前報酬だって……あっ!」
 ようやくフランクも気づいて、耳からピアスをもぎ取った。床に叩きつけて踏みにじる。パチッと火花が散って、中からグロテスクな機会が現れた。発信器だ。
「畜生!」
 フランクはわめいた。
「あんたはいつも、用意周到だった。襲撃が失敗した場合、僕が襲撃者を捕らえて同行させることも予測していた。フランク、君はずっと僕の位置を彼に教えていたんだよ」
 フランクは怒りのあまり、もはや言葉もない。悔しさに身を震わせながら、目の前に転がったままの男をねめつけた。
 パオはずいっと進み出た。
「さあ! いさぎよくしろよ、縛られてるふりなんかやめてさ!!」
 奇妙なことに、マイケルの返事は忍び笑いだった。
 さもおかしそうに、クックッと。
 次第にそれが哄笑に変わった。狂ったような笑いだ。もはや彼は縛ったような恰好で身体に巻き付けておいた縄が、解けることもいとわない。腹を抱えて笑い続ける。
「や……やめないか!!」
 たまりかねてアイアンが怒鳴っても、耳に届いた様子はない。いや、届いてはいるが、もう彼にとってはどうでもいいことなのか。彼は目をらんらんと輝かせ、笑いにむせながら陽気に叫んだ。
「たいしたものだね、東方黒豹! 名前だけの英雄かとあなどっていたのが、私の失敗だったよ!!」
「あんたもね」
 対するパオは、あくまで静かだ。
「あくまで自分を傍観者、被害者の位置に置く。見事だよ。あんた自身が病気を蔓延させ、自分で調べて、治療は不可能だと報告する。これほど完璧なことはない。皆、見事にだまされた」
「 ------- 黙れ!!」
 いきなり、マイケルはわめいた。
 弾かれたように身を起こし、立ち上がった。一八五pの身長と、それにふさわしい横幅をもつ彼の体格は、立っているだけで他の者を圧倒する。その彼が今や、尊大な怒りに顔を醜く歪めて腕を振り回しているのだ。
「東方、黒豹!! 貴様だけは、許さんぞ!」
「危ないっ!」
 そのとたん、フランクがパオに横から体当たりした。不意をつかれてパオはよろめく。その背中をかばって、フランクが覆い被さった。
 続いて響く、拳銃の音。
「おのれ、小僧!」
 マイケルの歯噛みする音がギリギリと響いた。そのまま、彼は身を翻して屋根裏への階段を登っていく。どうやら、上にも部屋があるようだ。すかさずアイアンが後を追った。
 残されたパオは、急いでフランクを引き起こした。
「しっかりしろ、傷は浅いぞ!」
「え……へへ」
 得意そうに、フランクは笑った。
「役に……立った、でしょ?」
 パオの代わりに銃弾を受け止めたフランクの背中からは、じわりと血が染みだしている。シャツを破いて、パオは傷を確かめた。
「フランク、タバコ持ってる?」
 胸ポケットから取り出した煙草をほぐして、傷口に当てた。フランクが悲鳴を上げるが、構わず、さらに押しつける。その上から、シャツを細くつないでギリギリと縛り上げた。
 命に別状はなさそうだ。パオは思わず、安堵の息をつく。
「ごめんね、フランク。奴に、僕が肉薄してることを教えようと思って、わざと君を連れてきたんだ。こんなことになるんなら、レナと一緒に待っててもらえばよかった」
「なに、言ってんですか」
 青い顔をして、フランクはひらひらと手を振ってみせた。パオの腕に支えられて、なんだか幸せそうだ。
「俺のことはいいから、早くあの野郎を追って下さい……。俺は、黒豹さまに疑われてなかったと、わかっただけでいいんです」
 がく、と首を落としたのは、単に感激しすぎて感極まったせい。この後すぐに医者に見せれば、心配はない。
 問題は、ここから無事に戻ること。
 マイケルがあれだけ自信満々で上がっていったからには、よほどのものが上の階にはあるのだ。恐らくは、形勢を逆転させるだけの何かが。
 パオは表情を引き締めて、立ち上がった。


back <<<
>>> next
TOP