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東方黒豹 - アジアン・ブラック・パンサー - |
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| 第五回 |
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3
ランタオ島には、緑色のタクシーが走っている。 香港市内が赤色なのに対して、この明るい緑色は郊外専用のマークである。しかもランタオ島のタクシーは絶対数が少ない。観光に出かけて、途中で拾うなんてことは、ほぼ不可能である。 ゆえにアイアン・李は、ランタオ島に着くなり無愛想に観光案内所へ押しかけ、受け付けのばあさんの鼻先にポリスカードを突きつけてタクシーを呼ばせたのであった。 やってきたタクシーに一番に乗り込む。もちろん、ゆったり座れる前のシートである。後ろでは、いかつい身体のマイケルと、見た目はそう大きくないのに実はLサイズのパオに挟まれ、普通人のフランクが悲しそうな顔をした。 それでも、だしぬけに憧れの人になった東方黒豹の隣に座れて、けっこう彼も満足らしい。マイケルに圧迫されながらも、パオの方へ負担をかけないよう、必死で足を突っ張ってこらえていた。 とにかく凄い道のりであった。 舗装はちゃんとしてあるのだが、とにかくカーブや起伏が多い。そこを時速七十キロで走るのだから、中の人間は空き缶に入れられて振り回されているようなものだ。まずマイケルが頭にこぶを作り、続いてフランクがつんのめって首の筋を違えた。アイアン・李は酔ってしまった。 パオ一人が平気なものだ。 「中国の道路と車は、もっと凄いですよ」 すぐお隣でありながら、神秘の国である。 警察総署へは三十分ほどで着いた。 ここでもアイアン・李のポリスカードがものをいって、一行は下にも置かぬもてなしを受けた。マイケル・周の顔も前回の調査で知られていたが、残りの二人は自己紹介もしない。見るからに普通の坊やであるパオと、チンピラ歩きの抜けないフランクを、署の人は首をかしげて見送った。 署内には、不気味な沈黙と、歪んだ興奮が漂っていた。いくら極秘とはいえ、内部で働く彼らには、刑務所で何かが起こっているとわかってしまう。どうやらそれが、ただごとではないらしい、ということも。 その証拠に、ほら。香港警察の英雄、アイアン・李が出馬してきたじゃないか。 ひそひそ話が署内の各所で交わされた。もし、後ろにいい子で従っている黒服の青年が、かの東方黒豹だと知ったなら、彼らの興奮はあっさり臨界点に達してしまったことだろう。 署長はオフィスで待っていた。 彼もまた、警務處長と同じく青い顔をしていた。いや、彼の方が謎の病気の膝元にいる分だけ、もっと深刻な顔つきだった。隣に控えている副所長も、事態を知らされていると見えて、アイアン・李を見て露骨にホッとした表情になった。 「よく来てくれた、李警部!」 手を取って泣きださんばかりだ。そして、続いて入ってきた人々を見比べて、困った顔になる。意図の分かったマイケルが、苦笑しながらパオを指した。 「彼が、東方黒豹ですよ」 「おおっ!?」 副署長は、きわどいところで失望を驚愕にすりかえた。密かに失望されてしまったスーパーヒーローは、そんなことまるで気にしていない様子で、にっこり微笑んだ。 「こんにちは。お招きいただいて、ありがとうございました」 どこか的はずれな挨拶に、署長も目を丸くして、黒づくめのこの若者を上から下まで検分した。パオは相変わらず、ニコニコ笑って立っている。 「君が、本当に……?」 「そんなことを詮索している場合ではありません」 自分もパオを疑ってずいぶん時間を無駄にしたアイアン・李は、署長とパオの間に割って入った。 「彼のことは、俺が保証します。それより署長、東方黒豹が来ることを、誰かに喋りはしませんでしたか?」 妙な問いだったので、署長は少し面食らった。だが、一同が真剣な顔で自分を見ているので、仕方なしに答えた。 「そりゃ、何人かにはね。ここにいる副署長はもちろんのこと、各刑務所の所長にも伝えたよ。彼らはこの事態に、押しつぶされそうになっている。我々は彼らに、希望を与えなければならなかったのだ」 アイアン・李はがっかりした。それでは、またしても容疑者の範囲が広がってしまう。この上、刑務所の所長がおのおのの腹心の部下に東方黒豹の来訪について語り、彼らがまた……と考えていくと、きりがない。 この方面から犯人探しをするのは、無駄のようだ。 「今後、我々の行動のことは、誰にも話さないでいただきたい」 遅ればせながら、厳しく署長に命令した。階級では下でも、こうなるとアイアン・李は迫力が違う。 パオもがっかりしていたが、すぐに顔を上げた。ずっと身を屈めたと思ったら、もう署長の前に立っている。あだ名の元になった動物を思わせるしなやかな動きだ。 「現在の情況は、この地図の通りですか?」 署長のデスクを指さした。 それで初めてアイアンたちも、地図が置かれていることに気が付いた。遅ればせながらデスクの周りに集まる。フランクも物見高くのぞきこんで、でしゃばるなと、マイケルに怒られた。 地図には、ランタオ島が色分けされていた。三箇所の刑務所が真っ赤に塗られている。最初に犠牲者の出た東区は濃く、南区は薄い紅色だ。 問題は、その周辺の地域のところどころに、薄い桃色で囲まれた部分があることだった。 マイケルが驚愕して署長の袖を掴んだ。 「一般住民には、被害は出ていなかったんじゃなかったんですか?!」 「君が調査に来たときは、確かにね」 苦しそうに、署長は答えた。 「一般市民に、例の病気と同じような身体のだるさや発熱を訴える者が出始めたのは、その後だ。今のところ、幸いにも彼らは、身体に青い発疹を生じているだけだ。しかし、やがてはかさぶたに覆われ、凶暴化することは目に見えている。伝染病の噂が広がれば、ランタオ島はパニックになる。我々は彼らを一か所に隔離する計画を進めているところだ」 「計画? まだ実行していないんですか?」 「仕方ないだろう! 秘密保持を第一にするよう、総督から特別命令が出ているのだ。そうおおっぴらに事を運ぶわけにはいかんよ。特に最近は、うるさいのが……」 「うるさいの?」 「いや、何でもない」 署長は慌てて手を振った。 「とにかく今回のことは正直いって、私の手に余る大事件なのだ。もう、どうしていいか私にはわからんよ。何ということだろう。誰かが政府を脅迫するため病原菌をまいている、などということが、もし世間に知れたら……」 署長は頭を抱えてうずくまってしまった。だらしない、と言ってしまえばそれまでだが、アイアンたちにも彼の気持ちはわかる。本来なら政府の厚生處にでも押しつけるべき仕事が、彼の両肩に覆いかぶさってきているのだ。しかもこれが、全香港どころか、世界を揺るがす事件にも発展しかねない。 ようやく責任転嫁できる相手が派遣されてきて、副署長も心なしか嬉しそうだった。 「さあ、これからどうなさいますか? どこへでもご案内いたしますが……」 「そうだなぁ」 アイアン・李は顎をひねった。 「とりあえず俺とパオは、本物の患者を見たことがないからな。刑務所へ行って、青い怪物とやらを拝んでくるか」 「私は桃色の地区に行って、感染経路を辿ってみましょう」 マイケル・周はてきぱきと荷物をまとめた。格闘場面では頼りないが、こうなるとさすがに医者らしいところを見せる。皆の返事もきかず、扉を開いた。 そこまではかっこよかったのだが、後がいけない。 「うわぁ!」 悲鳴をあげて、部屋の中へ戻ってきた。 「ど、どうした?」 すがりつかれてアイアン・李も驚いた。けれど、扉が自然に開いてみたら、マイケルが何に驚いたのかは皆の知るところになった。 そこには、女が一人、しゃがみこんでいたのである。 女といっても、まだ若い。パオやフランクと同じくらいだ。ご丁寧にこの女、片手にコップなど持って耳に当てていた。中野話を盗み聞きしていたことは歴然である。 それでも悪びれず、すっくと立ち上がったところなど、なかなか神経の太い女らしい。 「………ミス・袁!」 署長が女の正体に気づいて絶叫した。指さした腕が、ぷるぷると震えている。 「君はまだ、私をつけ回しておったのか!!」 言われて、アイアンたちも彼女の正体に思い当たった。この女こそが、さっき署長が苦々しげに言っていた"うるさいの"だ。彼女がなぜうるさいのかは、身なりですつわかる。肩から斜めにかけたニコンのカメラ、手にはしっかりボールペンとメモ帳。しかも腕には腕章まで巻いて、書いてある文字は"現代日報"。 「ふっふっふ。ばれちゃあ仕方ありませんわ」 女新聞記者は、変わり身も早かった。 「聞きましたわよ、署長! やはり伝染病は存在していたんじゃありませんか! しかもしれが、悪魔の如き何者かによって引き起こされている、人工の病ですって? こんな大変なことを隠しておくなんて、言論の自由は、民主主義はどうなるんですか!?」 「民主主義ってのも、大変そうですねぇ」 しみじみとパオが呟いた。 その声に、ビビッドに新聞記者は反応した。身を翻すなりパオにカメラを向ける。慌ててパオは顔を背けたが、出遅れた。顔を半分、手で隠したところを撮られてしまう。 「何しやがんだ、小娘っ!」 アイアン・李は礼儀をわきまえない当世の女が嫌いであった。 「勝手に人の写真を撮るのは、お前のいう民主主義ではプライバシーの侵害に当たるんじゃねえのか!?」 「おあいにく。香港では、肖像権はまだ認められていないのよ」 涼しい顔で、新聞記者は言った。 「それより、あなたがあの有名なアイアン・李? そして、この坊やが東方黒豹なんでしょ? すごいわ、香港始まって以来の難事件に敢然と挑むのが、香港と中国の英雄コンビだなんて。ぜひ我が社に独占取材権をいただきたいわ」 どこから盗み聞きしていたんだか、と一同は呆れた。警察の庁舎は盗聴装置への警戒はしているが、こんな原始的な盗み聞きには弱いようだ。 「ミス・袁っ!!」 署長は、もう泣きださんばかりだ。 「レナと呼んで下さって結構ですわ」 いっそ、鮮やかなほどの傲慢無礼さであった。警察署へ忍び込み、機密事項を盗み聞きした挙げ句の、この態度。ショートカットの似合う、ボーイッシュで可愛い美人だというのに、やることなすことすさまじい。パオなどは、感心の面もちで彼女を見物している。 「私を逮捕なさるんでしたら、無駄なことですわよ。すぐに訴訟を起こして、何もかもぶちまけてしまいますからね。それよりは」 と、にっこり微笑んで。 「私を捜査に同行させた方が、お得だと思いません?」 さすがのアイアン・李も、これほどあつかましい女には、出会ったことがなかった。あんぐり口を開けているうち、レナ・袁はちゃっかりパオに取りつき、腕など組んでしまう。 「さ、行きましょう。まずは刑務所ね」 「か、勝手なことをするなっ!!」 誰よりも先にフランクが切れた。 「俺だってまだ、黒豹さまと腕組んだことなんかないんだぞっ!」 しかも、論点がずれている。 レナは高笑いでフランクに答えた。見せつけるため、さらにぎゅっとパオの腕にしがみつき、胸を押しつける。純情なパオが真っ赤になっているのも、おかまいなし。 「ついてきたいなら、来てもいいのよ。ワンちゃん」 「俺のことを犬あつかいしてもいいのは、黒豹さまだけだぁっ!」 間抜けな闘いではあったが、しょせんレナは、気の弱いチンピラ崩れの勝てる相手ではなかった。ついていくのが関の山。しおしおと案内役になって、部屋を出る。 おじさんたちは、触らぬ神にたたりなし、ということわざを賢明に実行していた。 「いいんですか? 李警部」 「……いい」 アイアン・李は即座に計画を変更することにした。 「患者の様子をみたところで、俺にできることは何もなかろう。お前のレポートは読んであるから、十分だ。それよりは、新展開のあった地区を調査した方が、手掛かりはみつかるだろう」 「それじゃあ、私と一緒にいらっしゃるんですか」 マイケルは心配そうな顔になった。 「刑務所にはできるだけの防疫設備を設置しましたが、今から行くのは、普通の村の患者のところです。もしかしたらあなたも"青き死"に感染するかもしれません」 「馬鹿ヤロ。お前が平然と危険なところへ出かけていくのに、俺がしり込みしていられるかよ」 「しかし」 マイケルは真剣な口調で言った。 「もしかしたらこの桃色地域は、犯人の仕掛けたワナかもしれません。私たちがランタオ島に着いたら、必ずこの地区に出かけると思って、手ぐすね引いて待っているかも……」 「そうなったらこっちが奴を捕まえるだけのことよ! てっとり早くていいじゃねえか」 「軽々しいことを言わないで下さい!」 マイケルは怒った。 「あなたがいなくなったら、誰がこの事件を解決できるでしょう」 「なーに言ってやがんでぇ!」 称賛されることが苦手な照れ屋の英雄は、鼻の頭を赤くしてマイケルの背中をぶっ叩いた。 「俺がいなくても、東方黒豹が控えてらあ! つまんねえこと心配してねえで、行こうぜ!」 それでもマイケルはまだ、浮かない顔をしていた。 |
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