東方黒豹

- アジアン・ブラック・パンサー -

第七回

第二章 「ビクトリア・ピークの大決戦」


 所長と警備隊長から、大体の建物の構造を聞いたパオは、一計を案じると窓から飛び出した。
 思い切り跳躍して近くの大木に取りつき、鉄棒の要領で枝を軸に回転する。その恰好で一瞬にして地上の情況を読み取った。少し考えて、ぽおんと次の枝に飛び移る。同じ要領で、どんどん独房のある一画へと移動した。
 所長の館内放送によって、看守と職員は厚い鉄扉で保護された一般囚人の房へ避難した。皮肉な話だが、囚人を逃がさぬための設備が、怪物の進入を阻んで彼らの命を助けることになったわけだ。
 警備隊長と所長も、すぐに彼らの近くの房へ移動したはずだ。彼らの話によれば、怪物たちは普通のスチール扉くらいなら、体当たりで破ってしまうという。レナの面倒は彼らに一任した。彼女も強いて反論はしなかった。自称、凄腕の新聞記者でも、このような異常事態にはからきし意気地がなくなるようだ。傍若無人な彼女らしくもない殊勝さを思い出して、パオはクスリと笑った。
 独房は、さらに堅固な壁の中に存在していた。
 しかしその壁は今や、一角が無残に爆破され、うつろな穴をさらしている。
 自由を求めるのは、生き物の基本的な本能である。閉じ込められ続けた怪物たちは、雪崩をうって一般房の方へ移動したのだろう。本館の建物に通じるドアが、めちゃめちゃに壊されていた。
 パオはひょい、と爆破地点に下りた。
 建物の中からは悲鳴と怒号、そしてこの世のものとは思われぬようなわめき声と共に、壁や扉が何かに叩きつけられる轟音が響いてくる。攻撃性の旺盛な怪物たちは、房の中へ避難した看守たちへの憎しみを野獣化した心の奥底にまだ持っていて、欲望の命ずるままに攻撃を始めたのだ。
 もはや一刻の猶予もならないというのに、パオはまだ、爆破地点にしゃがみこんで、周囲を嗅ぎ回っていた。硝酸と硫黄の匂いをかぎ当て、ニヤリとする。
「たぶん、ここだ」
 両手を使って瓦礫の山を掘りだした。やがて、花瓶のかけらを発見して、満足の唸りを漏らした。まるで、大きな猫が喉を鳴らしているようだ。
花瓶の裏は、煤で真っ黒になっていた。パオは指でそれを撫でると、ぺろりと舐めてみた。
「石炭と硝石と硫黄。間違いないな」
 独り呟き、立ち上がる。ぽいと放り出した花瓶のかけらが地面に落ちるより先に、猛然と走りだす。だが、だらしなく壊された建物の入口には向かわず、横へ飛んで木立を蹴った。
 次の足で建物の壁を蹴る。そうして、また立木の幹。ジグザグに飛んで、三階の窓へたどり着く。人間業とは思えない軽々とした身のこなしは、見物人が誰もいないのが、もったいないほどだ。
 窓は防弾の強化ガラスだった。しかも、はめ殺しである。パオは少し困った顔をしたが、すぐに名案を思いついた。窓枠のゴムホースを爪で何とかひっかきだし、隙間を作る。隙間ができてしまえばガラスはもろい。継ぎ目の部分を爪先で何度も蹴られて、ボロボロに欠けてしまった。
 頃合いよしと見て、パオはもう一度、立木に飛び移った。からまった蔦をほどいて、縛りつける。
「せーのっ!」
 ターザンの要領で、ガラスを割って室内へ飛び込んだ。
 くるんと床で一回転して、起きあがるなりすぐ走りだす。廊下の両側の部屋では、囚人たちが鈴なりになって、この人間の形をした黒豹に見とれていた。
 各階の構造はどこも同じだと、パオは警備隊長から説明を受けていた。長い廊下が伸び、両側に四人部屋の囚人房が並んでいる。突き当たりに看守室があり、扉があって、外に職員控え室が隣接している。その向こうが階段である。エレベーターはない。脱走帽子の高圧電流のために、エレベーターの分まで電力が割けなかったのだと、これは所長が弁解がましく言っていた。
 狭い看守室には、十人ほどの看守や職員が避難して、恐怖に身を震わせていた。下の階からは、さらに派手な悲鳴や破壊音が聞こえており、怪物たちの狼藉ぶりに、建物全体が振動している。いつ階段を上がってくるかと、気が気ではない様子だ。
「開けて下さい、通して下さい!」
 パオが扉を叩いても、だから看守たちは首を横に振るばかりだ。中へは入れてもいいと言うが、そこから外へは出すわけにいかないという。
「どうしてですか?」
「この扉は電磁ロックになっていてね」
 恐ろしそうに身をすくませながら、初老の看守が言った。
「中から開けると自動的に電気ショック装置というのが作動して、建物の出口という出口は通り抜けができなくなる仕組みなんだ。各階の出口には心臓の弱い者ならショック死するほどの電流のカーテンが張りめぐらされる。そうすれば我々は、怪物たちと共に完全に閉じ込められてしまう。もし下から怪物たちが上がってきたとしても、逃げる場所がなくなるだろう」
「大丈夫ですよ。怪物は、上がってきません」
 パオは自信たっぷりに断言した。
 少年の面影を残したパオの、根拠のないその台詞は、当然のことながら看守の誰もが信用しなかった。パオは焦る気持ちを抑えて辛抱強く彼らに説明した。
「この中に、猫や犬を飼ったことのある人はいますか? いたら僕の言うことはわかっていただけると思いますが、野生の獣は、階段を上がることをたいへん苦手とするんです。一つずつ段を上がればいい、というのは人間の考え。足を片足ずつ、もうひとつ上の段に置く、というのを動物に教えるのは難しいことです。ましてや、脳が野獣化してしまった彼らが階段の上がり方を身につけるには、ずいぶんかかるはずです」
 十人の大人たちは、目を丸くしてこの青年を見つめた。彼の頭には見かけ以上のものが詰まっていることに、ようやく気づいたのだ。ただ者ではない。もしかしたら、自分たちの危機を救ってくれるかもしれない。看守たちの目に希望の火が灯った。
 パオは期待の視線を受けて、にっこり笑った。
「僕はあなたたちの言う、その電気装置を操作したいんです。コントロール室へはどうやって行けばいいんですか?」
 幸いなことに、一同の中に火気管制官が混じっていた。彼は命からがら逃げてきたという感じで、服は破け、あちこちから血を流していた。それを見て、パオは眉をひそめた。
「まさか、一階にあるんじゃないでしょうね?」
「その通りだ。俺は、とりあえず自動警戒装置を全てオンにしてから逃げたんだ。相棒は奴らに捕まって、噛み裂かれてしまった。コントロール室は一階の一番奥にある」
友人の無惨な最期を思い出したのか、彼は木の葉のように身体を震わせた。そして、不思議そうにパオを見上げた。
「それで君はコントロール室で何をしようというんだい?」
「決まってるでしょう。奴らをおとなしくさせるんですよ!」
 いとも簡単に、パオは言ってのけた。そして、制止をも振り切って扉を開け、一気に階段まで転がり出た。一瞬おいて、不気味な電気音と共に、見えないカーテンが張りめぐらされる。パオ以外の人間ならば、階段にたどり着く前に引っ掛かっていただろう。
これで、全ての階の入口には、電気の網が仕掛けられたことになる。後は、怪物たちを静めれば、建物内の一般人は安泰だ。
「口で言うと簡単なんだけどなあ」
 パオは跳ね起きると、一気に階段を駆け降りた。
 一階は無残に壊し尽くされていた。
 幸いにしてこの階には、囚人は入っていない。どこの建物もそうであるように、地上に面した部分には事務所や管理所などの部屋となっていたのだ。
怪物たちによって踏み荒らされ、ボロ雑巾のように転がった肉の塊については、当面のところパオは、見ないことにした。恐らくは逃げる暇のなかった、不幸な事務員たちの残骸であろう。
 それよりもパオは、怪物たちに目を奪われた。実物を見たのは、これが初めてである。
形は、人間と同じである。元が犯罪者であるだけに、いかつい身体つきをした奴が多いのはともかくとして、別に小山のような身体をもっているとか、毛むくじゃらの腕をふるっているとか、そういうことではない。それどころか、身体の全体は奇妙な青いかさぶたに覆われ、見るも無残な有り様だ。
 だが、その凶悪ぶりといったら、確かに人々が怯えるだけのものはあった。怒り狂ったゴリラだって、こんな無差別な破壊行動はとるまい。目につくものは手当たり次第に壊し尽くし、もう息の絶えた死体を引き裂き、喰い散らす。
「動物の中で一番残虐なのは、人間っていう話だからなぁ……」
 パオは妙に感心して呟いた。
 確かに、こんな病気が蔓延したら、この世は終わりだ。今さらのように、犯人の恐ろしさが身にしみる。この病気を開発したのか発見したのか知らないが、脅迫手段に使って権力を手に入れようというのは、狂っているとしか思えない。
 改めて、怒りがわいてきた。
 だが、犯人を捕まえるためには、まず不幸な怪物たちを何とかしなければならない。
 パオには計画があった。
 怪物の状態を見るまではためらいもあったのだが、彼らの身体が普通の人間と大同小異であることを確認して、成功を確信した。やり方は簡単。彼らをおびき出しておいて、入口の電気ショック装置へ突っ込ませるのだ。
 そのためには、電気ショックをいったん切っておいて、自分が彼らをおびき出すため外へ出た後、またスイッチを入れなければならない。怪物たちが自分の方へ向かってきたのを確認するや、彼らの目に止まらないように大急ぎでコントロール室へ戻り、スイッチを入れる。
 パオの素早さがなければ、とうてい成立しない作戦であった。
「もう一人いればなぁ……」
 スーパーヒーローだって、愚痴はこぼす。
 本当は看守の誰かに手伝って欲しいのはやまやまだったのだが、彼らの怯えようを見て、申し出るのをやめてしまった。いざというときに役に立たない相棒は、いても仕方がない。
 ヒーローの属性は、孤独である。
 だが、それをシニカルに考えるほど、パオは歪んだ育ち方をしていない。仕方のないことは仕方ないとあきらめて、さっさと仕事を始める。
 怪物たちは、幸いなことにパオには気づいていない。パオも、階段の暗がりに気配を殺して身を潜め、静かに移動する。まさに獲物に忍び寄る黒豹といった風情だ。
問題は、電気ショック装置が切れたときに、たまたま外の景色に気を取られた怪物がふらふら外へ出てしまうことだ。それを避けるためには、中の方に気を取られていてもらわなかれば困る。
 その問題は、簡単に解決することができた。
 まずパオは、コントロール室の場所を確認した。事務室と受付の間、扉は半分、壊れて外れかけている。それはあまりよくない。位置的にも、怪物の暴れている真ん中で、たいへんよくない。だが、出口には近いので、何とか外へ出てから引き返すことはできそうだった。
 パオはまず、黒の革手袋をはめた。一瞬の失敗が命取りになる作戦だけに、念のための滑り止めだ。指の部分が剥き出しになっているので、スイッチをいじるには影響ない。
 次ぎにパオは、服のボタンを一個、食いちぎった。そのまま口に含んで、ぐうっと全身の筋肉を収縮させる。さながら、山猿が走りだす直前に背を丸めたかのような風情である。
 脱兎の如く走りだした。
 近くにいた怪物たちが、パオに気づいた。一斉に歯を剥き出し、腕を振り回しながらかかってくる。それは好都合。こっちへ気を向けていてほしいわけだから、パオは平気である。ワッとつかみかかった腕を逃れて、天井へ飛んだ。蛍光灯にぶら下がり、反動と共にずっと先へ飛び降りる。
 獲物を逃した怪物が、怒りのわめき声を上げた。
だが、入口近くの怪物は、仲間の怒声に何の反応も示さない。動物ならば仲間の呼びかけに応えるものだが、人間というのは、とことん他人の動向には無関心になるれものらしい。
 それはちゃんと予測していたので、パオは彼らに向かって、さきほどのボタンを使った。ぷっと手の中に吐き出し、人差し指と中指で挟む。これを、親指と中指で打ち出した。びしっ、と鋭い音がして、怪物の一人が悲鳴を上げた。当たった肩から、だらだらと血が流れだす。
 少林寺の奥義といわれる、指弾である。
 本気でやれば、銃弾に匹敵する威力を持つ。だがパオは、今回は力を手加減し、的も急所を外した。目的は血を流させることであって、殺すことではない。
案の上、ひどい目にあわされた怪物は、怒りの声を張り上げてパオに向かってきた。周囲の連中も、血の匂いを嗅いでにわかに凶暴になった。入口に背を向け。パオを襲いに殺到する。
 ギリギリまで待って、パオはコントロール室に飛び込んだ。壊れた扉を無理矢理閉めて、当面の防御とする。ノブを回して開けることができない怪物たちには、これで十分だ。彼らはわめき騒ぎながら、ドアに体当たりを始めた。
 たちまち、スチール扉は中央部からひん曲がっていく。
 そのわずかな間に、パオはコントロール室を見回した。近代装置は苦手なパオだが、上の階で管制員に必要なことだけは聞いてきたので、うろたえずにすんだ。すぐに目的のレバーを探して、ぐんと押し上げる。
 肩ごしに、扉を振り返った。ガラス戸の部分から、凶悪な青いかさぶたの顔がいくつものぞいていた。さあ、後は彼らの囲みを破って外へ飛び出し、そして彼らが入口へ到達するより先に引き返してレバーを下げるだけだ。
 ついに扉が破られた。
 仲間たちに押されて、二人の怪物が室内へ転げ込んできた。その上を飛び越えて、パオは廊下に躍り出た。さあ、行くぞと壊れて開け放たれた入口の門を見たときだ。
 パオは一瞬、我が目を疑った。
 相手の方は、自分の目に何の疑いも抱いていなかった。パオの姿を発見し、喜びの声をあげた。
「パオ、やっとみつけたわ!!」
 甲高いレナの声は、怪物たちの咆哮を圧して、響き渡った。
怪物たちは一斉に向きを変えた。破壊の欲求よりも性の欲求の方が強い。人間は動物と違って年中が発情期だから、歯止めのなくなった彼らにとっては、異性の登場はまったくもって願ったりであったのだ。
「いやぁぁ! 何なの、こいつら!?」
 彼女のあげる悲鳴も、怪物たちの興奮をあおった。
 怪物たちは一目散に、レナへ ----- 外界へ向かって走りだした。



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