| コーリャの罠 |
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作:神無月ふみ
(2000/11/23発行『ダブル・トラップ』収録) |
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――ああ、またこの場面か。 呉林は夢と知りながら、苦い思いで吐息を漏らした。 一人の男が歩いている。 白いセダンの前に立ち止まり、ドアに手を掛けた。 開けてはならない。 だが彼は無造作に開ける。 中には紙切れがあった。 『オメデトウ。キミハ運ガイイ』 次の瞬間、車とは全然関係ない場所が吹き飛ぶ。 CIAに協力していた者が、住んでいたところだ。 紙切れを見て誰かが車の中に入ったことを知り、男は車をチェックする。 キーを差し込んで回した瞬間に、爆発する仕掛けを見つけ、爆弾処理班を呼ぶ。 無線機を使った瞬間に、今度はCIAが極秘で借りていたマンションが爆発する。 もちろん男は、まだそのことに気づかない。 気づくのは、数分後。 同僚から無線で、爆弾テロが行われたことを教えられる。 そして起爆を促す信号が出たのが、ちょうど男の居た場所であることも。 そのとき、無線に聞き覚えのない男の声が聞こえる。 『初めまして』 無線に割り込みをかけた男は、コーリャと名乗った。 もちろん男は、コーリャの名前を知っていた。 「一連のテロ事件は、お前の仕業か?」 男の問いに、コーリャは芝居がかった調子で、ため息をつく。 『僕じゃないさ。すべてきみがやったじゃないか』 「ふざけるな!」 『ふざけてなんか、ないさ。――いいかい、きみが動くたびに、どこかが爆発する。これは忠告だ』 コーリャの言葉をよく聞こうと、男は無線機に手をやった。 次の瞬間、爆発音が聞こえる。中央広場のどこかが爆破されたのだ。 コーリャは楽しげに笑う。 『ほうら、言ったとおりだろう? うかつに無線機なんかに触るからだ』 男は、ゆっくりと無線機から手を放した。 「――何が目的だ」 『分かっているはずだ。僕らにとって、きみは――きみたちすべてが邪魔なんだ。消えてくれ』 激昂して、何か叫びそうになった。 だがそれより早く、コーリャの不遜な声が響く。 『うかつに動かないほうがいいよ。僕はあらゆるところに仕掛けをした。きみは何がスイッチになっているか知らないんだから、妙な真似はしないほうがいい』 コーリャは歌うように続ける。 『たとえばきみの同僚が、石畳を走って、きみの車に近づく。その石畳の一つが、起爆スイッチかもしれない。同僚が呼ぶ、きみの名前がスイッチかもしれない。大丈夫かと訊く、その言葉がスイッチかもしれない』 「……本当はどこかでこちらを見ていて、俺の動きに合わせて、起爆スイッチを押しているんじゃないのか?」 『だとしても、いつ爆発するか分からないという現状には、変わりないだろう? 同じことだよ』 男は慎重に周囲を見渡した。コーリャらしい人影はない。 『どうだい、僕が見えたかい? ――見つからなかっただろうね。見つかるはずがない』 男からコーリャは見えなくても、コーリャからは小さな動きまで、はっきり見えているらしい。 口の中が乾き、男は唾を飲み込んだ。 「……いいかげんにしろ」 『「いいかげんにしろ」か。そう言うと思ったよ』 次の瞬間、セダンが爆発した。男は吹き飛ばされて、石畳に叩きつけられる。 いいかげんにしろ――この言葉も起爆スイッチだったことに気づくが、もう遅い。 遠のく意識の中で、男は死神を思わせる声を聞いた。 『きみが生きているかぎり、誰かが死ぬ。もちろん、きみ自身も。――だからもう、息をするのもやめたほうがいいんじゃないかな? ミスター・スティーヴ・グラント。この世界のためにも、ね……』 ガラス越しに人の気配がし、呉林は飛び起きた。 無意識のうちに銃を取りだし、相手に銃口を向ける。 「うわ、何もしないから、そんな物騒なものをしまってくれよ。だいたい、人に見られたらどうするんだい」 コーリャ――いや、コーリャと同じ顔をした冨永亮司が、車の助手席側の窓の外で両手を上げていた。 「いや、車の外に出るときに、うっかりしてロックしちゃってさあ、中から開けてもらおうと思って。そうしたらきみが目を閉じていたから、寝ているのかなあと思って、コンコンってやろうと思ったら、いきなり銃をつきつけるんだもんなあ。びっくりしたよ、本当に」 「つまり、ドアを開けろと言いたいんだな」 「そういうこと。きみの分の夕ご飯も買ってきたよ。一緒に食べよう」 亮司は、邪気のない顔で笑った。 呉林は警戒しながらも銃をしまい、ドアを開ける。 亮司はコンビニの袋を抱えて、運転席側に入ってきた。 「ついでに周囲も見てきたんだけれど、特に異常はなかった。そっちは?」 「――異常なしだ」 呉林は時計を見た。 亮司が外に出てから戻ってくるまで、一時間ほどかかっている。呉林が夢をみていたのは、そのうちの五分程度だったらしい。 呉林はターゲットの泊まっているホテルに、目をやった。 人間が一人出ていったところで、ホテルの外観からは何も分からない。 しかしホテルの従業員に化けている、華之介から何も連絡がないところをみると、ターゲットはまだ中にいるのだろう。 呉林は正直言って、ターゲットの安否よりも、亮司の動向のほうが気になっていた。 亮司と一緒だと気の休まる瞬間がない。彼が横に座るだけで、いつもコーリャを思い出して落ち着かないのだ。 ゆえに彼が外出したとき気が緩んで、うたた寝をしてしまったのだろう。 CIA時代では、考えられないようなミスだ。 だが亮司は、呉林のうたた寝を意に介さず、マイペースで喋る。 「だいたい三人で護衛するっていうのが、無茶な話なんだよね。しかも護衛されている当人には内緒なんだろ? 上はターゲットが死んでもいいと思っているのかな」 「思っているかもな。……しかし任務は遂行しなければならない。俺たちはターゲットが殺されるのを、指くわえて見ているわけにはいかないんだ」 「そりゃそうなんだけどさあ」 亮司は不満そうに、買ってきた弁当を取り出す。 「三日もコンビニのご飯だと、嫌になるねえ。しかもホテル周囲には店がないし。だいぶ歩いて、ようやくローソンが一軒あるだけだもんね。……ああ、たまには別 のものが食べたいなあ。贅沢は言わないから、サンクスとかセブンイレブンとかの弁当も、食べられたらいいのに」 「庶民的だな。コンビニの飯でいいのか? ロシア時代は、いいところのボンボンだったと聞いたが」 呉林は、書類に書かれていた過去の話を、持ち出してみた。 「親は金持ちだったけれど、僕は違うよ。日本人とのハーフだったから、肩身が狭かった。正妻の子供ほど出世しなかったしね」 答えたあと、亮司は首を傾げる。 「きみは、よく僕のことを知っているねえ。やっぱりどこかで会ったことがあるのかなあ。ええときみの名前は『置物』じゃなくて、『文房具』じゃなくて……確か習字に関係ある名前で、『半紙』とか『墨汁』とか……」 「文鎮だ。呉林文鎮」 呉林は不本意な気持ちで答えた。 亮司は、ぽんと手を打って微笑む。 「ああ、そうだそうだ。文鎮さんだ」 「できれば名字のほうで呼んでほしいのだが」 「文鎮のほうが、覚えやすくていい名前だと思うけどなあ。ええと、名字はトンダバヤシだったっけ」 「……もういい」 呉林はダッシュボードから無造作に煙草を取り出し、一本くわえて火をつけた。 しばらく禁煙するつもりだったが、いまだけは吸わずにいられない。 吸いながら呉林は華之介の、にやにや笑いを思い出す。 三人でミーティングをしたときのことだ。 亮司は遅刻してきたうえに、平らな床を滑りこけ、何もしていないのに椅子から落ちた。 ――なあ、ブンちゃんよう。いくら顔が似ていても、ありゃ別人だぜ。 ミーティングのあと、華之介は笑いをかみ殺しながら言った。 ――人間ってのは、所属してきた世界の臭いが染みつくものなんだ。たとえば情報局の人間なら、情報局の臭いがする。軍人なら、軍人の臭い。人殺しからは血の臭いがする。……だが冨永氏からは、甘やかされたボンボンの臭いしかしない。誰かに守られ、大事にされてきた人間であって、諜報の世界に身を置いて、悪辣な方法で何人も人間を爆殺してきたように思えないんだ。書類にあったKGB出身っていうのでさえ、俺は信じられないぐらいだぜ――。 三日間、亮司と一緒に居た結果、さすがの呉林も華之介の言うことが正しいと、認めずにはいられなかった。 亮司は実に無防備で、あけすけである。 ターゲットを監視している時間、退屈なせいか、くだらない話題をずいぶん振ってきた。 おかげで呉林は、亮司がオリンピック放送のサッカーとアメリカのバスケットの全試合を見て、女子マラソンに感動し、前の仕事が長引いたせいで、シンクロナイトスイミングの決勝を見損ねて悔しい――ということが分かった。 「いま僕が恐れているのは、サッカーのアジアカップなんだ」 亮司はサンドイッチをかじりながら、大まじめに言った。 「今日から始まってしまうだろう? 気になってねえ。でもこんなところで張り込みなんかしていたら、見ることができない」 「試合結果なんて、新聞を見れば載っているだろう?」 「リアルタイムで観なければ、意味ないよ。せっかくテレビ中継するっていうのに、あんまりだ。……今日といっても、日本時間だと夜中にキックオフなんだよ。それまでに、仕事が終わらないかなあ」 「この仕事をやっていて、高給取っているんだから、諦めろ」 投げやりな呉林に、亮司はなおも真剣に訴える。 「あと、映画も見たいなあ。いまやっている、雪山が舞台のアクション映画。あれ、面白いのかなあ。凄くヒットしているじゃないか」 「原作が出ているんだから、本を読めよ」 「どうせだったら、映画のほうを先に観たいよ。だってさあ、原作が面白くて映画がカスってやつはいっぱいあるけれど、映画が面 白くて原作がカスっていうのは、あんまりないじゃないか。……例の雪山映画って、八月からやっているんだよねえ。いまは九月だから、もうじき終わるかな、終わるかな。終わったら、どうしよう」 「ビデオででも、観ればいいだろう」 「どうせなら、大画面で観たいなあ」 「ワガママばっかり言うな。少しは黙っていろ。弁当は静かに食え。あちこち食いカスを撒き散らすな。ソ連の学校では、テーブルマナーを学ばなかったのか!?」 亮司は憮然とする。 「それを言うなら、食事中に煙草を吸うのも、やめたほうがいいと思うよ。確か文鎮さんはアメリカ人だよねえ。公共の場所で煙草を吸うなって、厳しく言われなかった?」 呉林は煙草を乱暴にもみ消し、亮司に人差し指をつきつける。 「――そっちも黙って食え」 亮司は小さく肩を竦めたあと、黙々と食べ始めた。 呉林は自分が情けなくなった。 何故、このとぼけたお喋り男を、コーリャだと思ったのだろうか。 顔が似ているからだが、いまとなってはその記憶も怪しくなってきた。 実物のコーリャを目の当たりにしたのは、たった一度。コーリャが死ぬ直前だった。 CIAの監視カメラから起こした写真と、同じ顔をしていたコーリャを認めた瞬間、チャリナンに潜入していた米軍の特殊部隊が射殺した。 全身に銃弾を浴びたコーリャは、そのまま海に落下した。 のちに引き上げられた死体を見た者の話によると、まともな人間の原型をとどめていなかったという。 「顔はどうだった? 間違いなく、コーリャの顔をしていたのか?」 詰め寄る呉林――スティーヴに、検死官は言った。 「顔も蜂の巣さ。でも間違いなく、コーリャは死んだんだ。射殺された瞬間を、あんたも見ただろう?」 一度はその言葉で納得し、五年間、そう思い続けた。 思いたかった……。 呉林は、少し倒していた助手席のシートに、身体を預けた。 そして心の中の煩悶を吐き出すかのように、大きくため息をつく。 ――あのとき死んだのだ、コーリャは。 そして。 運転席に座っている男は、冨永亮司だ。コーリャじゃない……。 『おい、文鎮。聞こえるか』 無線が入り、華之介の声が聞こえてくる。 『ターゲットが車でホテルから出ていった。追跡してくれ』 華之介は続けて、ナンバープレートの番号を言う。 呉林は番号を記憶しながら、座席シートを元に戻した。その間に、亮司がエンジンを掛ける。 ほどなく、華之介の言っていた番号の車が、ホテルから出てきた。 ぴかぴかの黒のクラウンで、後部座席には真っ黒な遮光シールドが貼られている。 どこのコネを使って手に入れたのか知らないが、いかにも要人が乗ってそうな車だ。 車はしばらく一般道を走り、二十分後に高速道路に上がった。呉林たちも続いて上がる。 亮司は一定の距離を保って、車を走らせた。 数日間見ていたが、亮司は尾行の腕も悪くない。夕方の渋滞に巻き込まれたにもかかわらず、車二台の間をあけて、ぴったりとマークしている。 「もうじき暗くなるのに、どこに行く気かなあ」 「さあな」 「気にならないのかい? あいつは悪いことをしに行くのかもしれないよ」 「かもな」 呉林は冷たく言う。 「だが俺たちの仕事は詮索することじゃない。護衛することだ」 「へえ、全然興味がないんだ」 「興味があるのは、奴の生死だけだ。奴が何をしていようが、これからしようが、知ったことじゃない。いいから黙って運転しろ」 車は次のインターチェンジで下りるようだった。 どうやら海のほうに向かうつもりらしい。 ――海のほうに誰かいるのだろうか。 それとも小さな港から、こっそり日本を脱出するつもりなのだろうか。 日本から出国しそうなときは、どうするのだったか聞いてなかったなと、呉林は皮肉っぽく顔を歪める。 もともと穴だらけの任務だった。特殊公安庁としても、相手が死なれては面倒だから護衛をつけよう、ぐらいにしか思っていないに違いない。本気だったら、嘱託などに頼まず、もっと勤勉な警察を使うはずだ。 やっかいごとに巻き込まれて死人が出るとしても、嘱託の人間ならどうということはないとでも思っているのだろう。 はっきり言って、真面目にする価値のない仕事だ。 だが――。 自分たちの車がターゲットから離れてゆくのに気づき、呉林は考え事を中断する。 何故離れてゆくか、すぐに分かった。 ターゲットは高速道路を下り、この車はまっすぐ高速道路を走ろうとしているからだ。 呉林は顔色を変える。 「お、おい。何をしているんだ! 早く高速を下りろ!!」 だが亮司は、無情にもインターチェンジを通り過ぎてゆく。 「何やっているんだ、お前は! どうやって引き返すつもりだ、高速道路で!!」 亮司は困惑したように眉を寄せる。 「下りようとしたんだけれど、邪魔が入ったんだよ。横の車が車線変更させてくれなくて」 チャリナンから来た殺し屋が、邪魔をしに来たのかと思い、呉林は周囲の車を観察した。 だが見えるのは、普通のビジネスマンや家族連ればかりである。どう見ても諜報機関とも殺し屋とも関係ない、一般 車両だ。 渋滞しているので、確かにこちらが割り込めるだけの隙間はない。しかし割り込んだからといって、撃ち殺してくるような相手でもなかった。 「アホかっ。そういうときは強引に突っこむんだよ! KGBで習わなかったのか!?」 「僕のいた課では、そういう技術は必要じゃなかった」 「嘱託の一員なら、そのぐらい自力で覚えろ!」 「分かった、今度から気をつける」 「今度からじゃ、遅い。反省しているんだったら、とにかくいますぐ追いかけろ。夜になったら、探したくても探せないんだぞ」 「でも、高速道路では引き返せないよ。次のインターで下りても、見失っちゃったから、再び出会える確率は低いんじゃないかなあ」 亮司は腹が立つほど冷静だった。 だがここで納得するわけにはいかない。 「ガタガタ言わないで、お前は下りることだけを考えろ!」 呉林は無線機を掴んだ。 「轟、聞こえるか。ドジった」 数秒おいて、華之介の呆れたような声が聞こえてくる。 『なーにやってんの、ブンちゃん。間抜けな真似を、さらしてんじゃないよ』 「すまん。――お前は奴らがこれからどこへ行こうとしていたか、知らないか?」 『知らないね』 華之介は、あっさり言ったあと、意地悪く付け加える。 『――と言いたいところだが、分からないでもない』 「本当か? どこだ」 『奴のポケットに、発信器を入れておいた。追跡機はこっちが持っているから、位置をそっちのカーナビに転送してやるよ』 呉林がカーナビのスイッチを入れると、地図が表示され、赤い三角印が見えた。こちらの現在地だ。 置だろう。海沿いの道を走っていることが分かる。 『嘱託って、アホなもの作る奴がいるけれど、けっこう役に立つもんだな。――見えるか、文鎮』 「ああ。悪いな」 言ったあと、呉林は亮司を小突く。 「さっさと高速を下りて、あの点を追いかけろ。言っておくが、今回はお前のミスだからな。責任を取ってもらう!」 「分かっているよ」 亮司は不満そうに言いながら、アクセルを踏んだ。 | |
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