〜デューク高沢 vol.09〜


・空き缶  デューク高沢

缶ジュースの自動販売機のかたわらには、空き缶を捨てるゴミ箱やカゴがあったりしますが、これが設置されていないところを近所で見かけます。缶ジュースは、必然的にゴミが生ずるものなのに、売る側がその後始末の事を考えずに放棄しているようで、気に入らんです。例えるなら、トイレの数を減らせば、人が出すウンコの量も減るだろう、という考えに匹敵するほどに、勝手で一方的な措置です。空き缶以外のゴミが捨てられることを避けるためにというのもあるとは思いますが、缶ジュースの自販機には、空き缶入れもセットにするのが義務といってもいいでしょう。ティッシュのないセンズリ、キムチない焼肉屋、自販機にゴミ箱がない、こんな不都合はどないしてもアカンことです。とりあえず、自販機にはゴミ箱を置きましょう。む、今回は、ソフトで短かめコラムですな。(笑)


・休憩  デューク高沢

9月から仕事の時間が日中になり、休憩の時間になると、昼飯で、いきつけの飯屋に行って、いつもどおりの昼食メニューを注文している。今日もそんな日のことであった。少ししてから、となりのテーブル席に40代後半の背広を着た、いかにもサラリーマンのおじさんが座った。私がメニューを注文した後、メシが来るのを待っていると、隣の席に座ったそのおじさんが、ならやらブツブツと呪文を唱えだした。なんだろうと耳を澄ませたのだが、まったく何を言っているのか解読不能。いきなり異様なオーラが発せられてきた。こういう不審な人物を目撃すると、即座にその人の生い立ち、生活環境、家族構成、会社上での立場、家族関係でのトラブルなど、どんなものなのかを勝手に妄想してしまうクセがある。仕事での失敗が続き、そのことが頭から離れずに、頭の中で繰り広げられるリピート映像に対して、自分自身で言い訳をしようとして、あるいは、自分で自分が嫌になり、嫌悪感が理性を抑えきれず、言葉にならない言葉で、日頃から蓄積しているうっぷんが不審な呪文としてチョロンと出てしまったのかもしれない。家族でうだつがあがらない状況を打開するべく、自らを演じようと、一生懸命脚本の打ち合わせをしているのかもしれない。もしかすると独身で気が小さく、この歳になっても結婚相手がいないのはマズい!と、あせりだし、会社で女性を口説くために、頭脳を駆使してあの手この手と作戦を考えているのかもしれない。 などとまぁ、わずか3〜5秒間のうちに、どうしょうもないことで、想像力と集中力の無駄遣いを日々怠らずに駆使している男。それが、私、デューク高澤なのである。「天才と馬鹿は紙一重」が惜しくも紙百重くらいの差でバカになってしまった、いわゆる凡人である。(笑)


・豪雨  デューク高沢

さて、毎年、台風が訪れ、豪雨で水があふれ、多くの物が損傷したりなくなりもする。かたや、雨が降らず水不足で、生活に支障きたす事態だって予期せず起こりもする。火山だって噴火して、命からがら逃げざるを得なくなることもある。財産も住む家も一時放棄せざるを得なくなる。農業・牧畜をしていれば、仕事そのものすら放棄しなければならなくなる。途方に暮れ、先が不安になる。時には突然の地震で、家も家族も失うかもしれない。 そんな災害天国日本で、普段から生活の至る所で税金を取られまくっているのに、年度末の予算が余っても、繰り越したり積み立てしないとはどういうこと? この国のお金の使いどころは、災害のためにこそ貯蓄をして使うべきだと、つくづく思うんだけどなぁ〜。日本にとって最大の敵は、アメリカでも中国でもロシアでもなく、日本列島という地理がもたらす災害そのものだと思う。自衛隊の災害救助活動は、PKOなんぞよりもはるかに重要です。それと、これも言いたい! 在日米軍も近所に騒音ばらまいて、土地の女の子と交尾のひとつやふたつロリ根性モロ出しするようなら、災害が起きたときぐらい手助けしろやアホ!でなければ、さっさと帰れ! あ〜、頭の中が回転し出すと、もう止まらん!ガマンできん!出そうじゃ〜!出るっ!あ〜あ、もう〜、また出てしまったよ〜。おあとがよろしいようで。(笑


・オリンピック  デューク高沢

4年に一度のオリンピック、日本がメダルをいくつ取れるか? というのもいいのですが、自分の4年に一度の楽しみは水球の試合観戦であります。水球は、簡単にいえば、プールの中で行なうハンドボール。水中に球を沈める、ゴールキーパー以外は両手でボールをつかむ、などがファールとなり、相手ボールとなる特有のルール以外は、サッカー・バスケットボールなどに近いでしょう。しかし、動き回る場所は水の中。また、水深1.8m以上のプールで試合を行なうという水球独自の規定により、すべての動作には、立ち泳ぎが必須となる。試合時間は28分を4つに区切り、2クォーター目でコートチェンジする。7分もの間25mプールを全力で泳いで往復し続け、さらに急激な方向転換や・ボールをコントロールする技術もあいまって、きわめて過酷な肉体条件を要求する競技であります。一見地味ですが、一試合で体重が3〜6kgも減るといわれる(本当か?)すさまじい運動競技であります。で、水球のなにが面白いかというと、審判にバレなきゃ反則も全然OKというところでしょう。(笑) 審判はプールサイドから判定を行ないます。当然水の中の動作というのは、なかなか目で確認しずらいです。そうなると、水中ではクロールで相手とせりあうふりをして、どさくさまぎれに相手のパンツに手を引っ掛けてみたり、ディフェンスにボールを取られそうなそぶりをして、水の中では相手にケリを入れてみたりと、水面下ではエロチックなかけひきが展開される通称「水中の格闘技」でもあるわけです。そのため、水球選手は水着の下にサポーターというブリーフパンツを縮小したような股間保護着をはいています。(厳密には、それ以外の目的もあるとは思うけれど・・) 日本では、日体大が最強。つづいて中央大・明治大。世界ではハンガリーが国技として本場ですが、オリンピックではイタリアとスペインが強いです。他の競技の例にもれず、日本の壁と世界の壁とでは、その険しさの違いは格段であります。(笑) で、その世界一の水球の試合を見たいのに、なんかテレビでは水球という文字がさっぱり見えません。 日本人の活躍する姿を見るのも大いに結構ですが、私は水球が見たい! NHKさん、はやくやって!やれっ!やらんか!はよせいや!


・薬物  デューク高沢

日本ではテレビにモーニング娘という女子集団が登場する昨今、シドニー五輪ではドーピング娘が登場とあいなりました。ルーマニアの16才・女子体操選手。競技の1時間前に服用した風邪薬がひっかかってしまった模様。手段を問わず勝利を確実にするために意図した行動ではないのだから、見逃してやればいいものを、金メダルを没収されてしまうのは、他人事ながら、とことんついてないと同情してしまいます。当然ながら不服を申し立てるも、結局金メダルはく奪は変わらず。その理由を自分が思うには、薬物反応を検知しながら、その例外を認めてしまうと、今後の不正使用に対して弁解の口実を与えてしまう恐れもあるのだはないかと解釈します。同量で同じ薬を服用した選手が他に2人いるのに、よりによってただ1人つかまされ。とことん不運です。しかも、よりによって金メダル。 薬物を使用しようがなんだろうが、記録は記録であると考える自分にとっては、他人事ながらも、けしからんという義憤にかられてしまいます。(笑) 薬物使用を放任してもよいとは思いませんが、五輪に限らず、スポーツにはどうあがいても不健全な要素は拭いきれないものだというのが、私、デューク高澤の持論であります。次回は、このことについてネチく語り入れようと思います。


・メダル  デューク高沢

 金メダルを取った体操選手の風邪薬使用が、ドーピングとみなされ、メダルはく奪とあいなりました。薬物反応に例外を認めないという姿勢は、言い逃れの余地を出さないためかと思っていたのですが、西暦2000年のシドニー五輪では、開会式の選手宣誓で「ドーピングは一切しません」と公言してしまったため、ひっこみがつかなくなった事情があるようで、事由に関わらず検知したら失格ということにもつながった模様。風邪薬がアカンという話はさておき、毎回薬物使用による違反がオリンピックでは絶えないようです。そもそも4年に一度しかない世界的規模の競技大会で、選手にしろトレーナーにしろ、勝つことへの執着というものには尋常ならぬものがあるのだから、ドーピング無使用・完全排除というのはかなり無理がありましょう。主旨としては悪くないとは思うけど、理念が高すぎて現実的に成し遂げられないという一例でありましょう。「命を削ってでも勝とう」「オリンピックでの勝利こそが我が生命」と考える人もいるかもしれない。そういう人たちに聞く耳を持たせるのはかなりの困難であり、ほぼ不可能。しかしながら、五輪競技は、自らの五体をもってして競い合うのであって、薬が勝利を確実にするものではないことも、当然すぎるくらいに当たり前なことです。勝利を意図して薬を使っても、銅メダルしか取れなかった人だっている。はじめに肉体ありき、そして精神力なのである。そう考えると、スポーツとは率直に人間的であるといえます。で、そもそも人間らしさとは何か?となる。ドラマあり、感動あり、笑いあり、涙あり。それも人間的でしょう。その一方で、周囲の目を欺くこと、言ってることとやってることが違う、理解不能な様々な言動、矛盾をはらむ不可解さもまた人間らしさである私は思います。スポーツに限らず、人の関わるものにはこういった要素が少なからず含まれているでしょう。あえて規定から外れてでも、あえて違反してでも、あえて自らの寿命や事後の生活に支障をきたそうとも、あえて薬の力に頼ってでも、禁じられているとわかっていながらやってしまう。それもまた人の心がなせる業というものでしょう。4年に一度きりしか訪れない機会、そう思いつめて土壇場に追い込まれるやもしれぬ人の心が、どのような行動をもたらすか、そりゃあ薬を使いたい衝動も起こり得るわけです。健全たる正々堂々というのは大いに結構。しかしながらそれ以前に、スポーツとはきわめて人間的な競い事である。審判の目を盗んで反則もやれば、審判の判定が間違えることだってある。間違いがそのまま通ってしまうことだってある。それを抗議すると逆に退場処分にされてしまう。そんな理不尽もある。なんべんもこんな光景を見ていれば、スポーツは健全である以前に人間的である。そういう考えに至ってしまうのも自然の道理というもの。これが、私、デューク高澤の持論であります。なにはともあれ、オリンピックに参加した皆さんおつかれさまでした。といったあたりで、シメの言葉とさせていただきます。(笑)


・風邪  デューク高沢

 モロに風邪をひいてしまいました。今、風邪でもうろうとしながらこれを書いてます。(笑) 風邪をひいても薬に頼らないに越したことはありませんが、自分の場合、食事と睡眠だけで直すには、あまりにもヨモクレで1週間くらいかかります。仕事を休むわけにもいかず、やむを得ず風邪薬を使うわけですが、どんな種類の風邪薬であれ、1日の用法・用量がどうであれ、自分は寝る直前に1回分しか飲みません。薬は睡眠中が最も効きます。食後30分以内だという理由で、腹も減っていないのに無理矢理何かを食べて薬を飲むなんざ愚の骨頂であります。で、飲んで快方に向かったら、あとは食事と睡眠で直す。風邪を直すために仕事を休めない人には、最適な方法ではないかと思います。薬の効果は、何であれ繰り返し使ううちに慣れてしまい、効果が薄くなるといいます。少なくとも、風邪に関しては薬に頼り過ぎるのはよくない。とにかく寝る!食欲がないときは、腹が減るまで何も食べない!ということです。では、どうにも今日はアカンようなので、このへんにて寝ます。


・ブック  デューク高沢

 今年、なんとしてでもノートパソコンを買おうと決心して、3ヶ月ほど食べたいものも欲しいものも我慢をして貯金して、今年の4月末に、念願のパワーブックG3を手に入れました。ひと昔前のノートパソコンは、従来のデスクトップ型に比べて性能がはるかに劣るのに値段はずっと高いというのが常識でしたが、そう言われていた時代のデスクトップ機を圧倒的に凌駕する性能を、今のノートパソコンは持っています。ノートパソコンとは言っても、いくつかの種類に分類されます。性能や機能を削ってでも、薄くて軽くしたもの。そして、分厚くて大きくて重たくても、性能を重視したもの。私のパワーブックG3は後者に該当します。パワーブックG3も、3段階のモテルチェンジをしてきまして、現行モデルでは、厚さを削り、重量を軽減し、さらに省電力化をすすめた作りとなっています。そこで犠牲となるのが強度です。買う前からいろいろと情報収集をしておりまして、強度という点で、とてもモロいということがわかりました。これは、パワーブックに限ったことではありませんが、軽量化というのは、金属部分をいかに減らすか、いかに軽い材質のものを使うか、いかに寸法を縮めるかという問題になります。私のノートの場合、外に頻繁に持ち運びをするため、収納用品についても保護性・強度を重視したカバンを用意したのですが、それでも外傷性へのモロさというものが露呈しています。一番顕著に出るのが液晶画面です。現行のパワープックは、前のモデルと寸法は同じまま、液晶画面だけはひとまわり大きくなっています。それでいて厚さを削っているのだから、中身を保護したり、外圧に対してそれを支える部品強度も弱くなってしまうようで、液晶画面にそのツケがきます。つまり、表面がしなり発色にムラが生じます。液晶画面とは、見る視点によって色が違って見えるという現象がありますが、それが部分的に生じてしまいます。画面が比較的明るめの表示をしているときに見ると、その画面のはじっこ付近が黒ずんでいるように見えます。そもそも、どんなに発色性能が上がろうとも、液晶画面自体モロいというのは宿命的な欠点なので、ノートを買おうと考えている方は、それなりの覚悟と割きりが肝要です。あとは扱い方次第でしょうか。というわけで、1年としないうちに、私のノートパソコンは画面がボロボロなのであります。(笑) が、性能としては、本当に満足の行くものです。あと言い忘れましたが、G3のノートパソコンは、ものすごい熱を出します。膝上暖房などと笑っていると、やがて笑えないくらいに熱くなります。低音ヤケドなら楽勝な予感であります。しかし、そんな高熱でも平気で動いてます。リンゴマークのブック、やっぱスゴイです。(笑)