〜デューク高沢 vol.14〜


・厚底  デューク高沢

 本屋さんで、たまに通販カタログの無料配付してますが、これの中を見て、大爆笑したものがありました。それは「靴」です。それも、ただの履き物ではなく、異様に底が上げてある、いわゆる厚底ブーツというものです。こればっかりは、まるっきりサッパリその意図・用途が見えてきません。カタログ中にある厚底履いてるお姉さんの写真、大変失礼ながら爆笑を禁じ得ません。21世紀を先取りしたギャグでしょうか。(笑) さて、人の背丈を伸ばすのは、現代医学では、どうあがいても無理がある話。苦肉の策の果ての厚底ブーツは、おしゃれと融合して商品と化して世に出回りました。しかし、自動車の運転では、ペダルにつかえてブレーキが踏めずに事故を起こしたという事例もあり、素人目に見ても実用性はなさそうです。足下重量の増加にともなう運動性能の低下についても、予測するまでもなく明らか。大地震が発生すれば、ガレキの中から遺体のお供に出土されるのも定番まちがいなし。で、この厚底ブーツの有効利用方法を、自分なりに懸命に考えましたところ、ブレーキのついていないオートレース用バイクでブレーキ替わりとして使うのが適しているという結論に達しました。みなさんの斬新な有効活用術も随時募集中〜。


・医療事故  デューク高沢

 様々な医療事故が報じられてきている昨今の日本でありますが、医療事故による患者の死亡および後遺障害にともなう損害賠償の示談、そして支払う病院側ならびに当事者の負担もバカになりません。そんな折、医療事故による賠償請求を補償するという保険が最近になって出来たようです。正式名称は忘れてしまいましたが、この保険、看護婦さんや医師さんに好評で、当然ながら続々加入しているようです。さて、医療不信という言葉が聞かれて幾数年経ちますが、この手の医療事故は後を絶ちません。と、思われがちですが、そこは情報化社会。知られていなかっただけなのではないかと私は考えております。医療とは人間の修復・整備を行う事業であります。社会において、いやがうえにも需要のある商売です。が、それとはうらはらに、医療従事者の人員は明らかに不足しているのが現状。看護婦や医師とて人間。一人当りが受け持つ患者さんが複数にも渡り、さらに、休むことなく四六時中仕事をしていては、どこかしらで集中力・注意力が鈍ってきても不思議ではありません。そんな中で事故をおこして、賠償だなんてくれば、我が人生とはいかなるものか?と、おもわずビルの屋上に裸足で立ち尽くしたくもなるでしょう。(ホントか?) 1億総不健康時代と言われる現在の日本において、人の数だけ患者さんがいると考えても良いでしょう。となれば、診察・治療・処方・手術の件数だけでも、すさまじい数に登るのも察するにあまりあることです。そんな中で起きる医療事故、私が思うには氷山の一角ではないかと考えたくもなるのです。気分のいい話ではありませんが、生命があるからこそ病気がある。万に一つの医療事故に自分が巻き込まれる可能性を踏まえてもあえて医学にすがるか? 医療不信を抱いたまま病気の一切について医者に頼るのをやめるか? 報道される医療事故のひとつひとつを知るたびに、自らの生き方についてもまた考えさせられます。


・平凡  デューク高沢

 個性がない。やりたいことがない。自分の生き方に目標がない。熱中出来るものがない。生き甲斐とするものがない。そういう今時の若年層が「自分さがし」ということをしておるそうな。って、これホントのホントにマジな話なの? そもそも「自分さがし」という言葉自体、強烈に寒いです。自分の体験したことや、考えてきたことがその人の個性を形成するのであります。何をあらたまって自分をさがすと言うのでしょうか? 通っている学校・勉強の成績・テストの点数・住んでいる家・聞いてる音楽・好きな本、何をとっても自分はいたって平凡だと思う人へ。平凡なこと、人並みであることはまったく悪いことではありません。特技がなくとも、並外れた才能がなくとも、普段の生活に不自由しないのであれば、それはそれで結構なことでしょう。でも、そんなに没個性であることに焦っているなら、自分をさがす前に友達をさがしましょう。友達がいる人は、恋人をさがしましょう。恋人がいる人は、仕事をさがしましょう。世の中ナンボでもやることありまっせ。ていうか「自分さがし」ってギャグだよな。たのむ、ギャグだと言ってくれ(笑)


・格闘技  デューク高沢

 プロレスは格闘技でもスポーツでもない。と、先日、このページで申しました。が、実際にプロレスをする選手には「プロレスは格闘技だ」と考える人がいます。しかも最強であると唱える人もいます。「ロープに振った相手が戻ってくるのは何か間違ってる」「コブラツイストなんて技は実戦向きではない」「他流試合に通用するプロレスを」そう考えた人が、所属していた団体を抜け、自分の理想を掲げて新しいプロレス団体を設立する。打撃と関節技、巧みな寝技の攻防、真剣勝負、などなど。それがかつてのUWFという団体であります。やがて、この団体も所属している選手がそれぞれの理念をもって、団体を抜けて新たに自身の団体を設立と、その団体からさらに選手が抜けてゆき・・・という具合に、プロレス団体は細分化の一途をたどっております。さて、プロレスが格闘技を目指してゆくとどうなるか? 格闘技なので、試合中の無駄な動作やアピールはしません。ルールが3カウントフォールではなく、ノックアウトかギブアップによる決着。当然、場外乱闘もありません。ロープブレイクもありません。技に手心を加える(手加減する)ということもありません。要するに、ひたすら本気で相手を仕留めにかかるので、鍛え上げた肉体とはいえ、技をかけられて体を痛め、その後、当分試合ができなくなることもありえます。だから、この手の格闘技系の団体の選手は、関節技が決まってしまうと無理せず、素直にギブアッフします。真剣勝負なので、関節技が決まればほぼ一瞬で決着がつきます。その結果として試合時間が短くなりました。また、選手が万全の状態で試合に出られるようにと、次の興行までの期間を長くとります。そうなると、試合に慣れるということがなくなります。関節技の痛みに対するガマンがなくなります。派手な投げ技もなく、それに対する受け身の取り方も耐性もありません。試合時間が短いため、すなわち、長期戦でバテるようになる。投げ技に対して弱くなる。これはプロのレスラーとしてまったくの半人前であり、重大な欠落であります。格闘技としてのプロレスの可能性を追求する姿勢は悪いとは思えませんが、それがプロレス選手としての資質に欠いてしまった。結果としてそうなったのです。だからこそ、プロレスは格闘技とかなんとか言わずに、我が道を行くべきである。と私は考えるのです。


・判決  デューク高沢

 災難とは、忘れた頃にやってくる。忘れた頃にやってくるものは、なにも災難ばかりではありません。裁判の判決も忘れた頃にやってきます。判決が下され、それが公に報道されると、決まって「そんな事件もあったな〜」と思う。そのくらいこの日本では裁判に時間とお金がかかる。時間に関してはそれこそ年単位である。人が人を裁くことの難しさを感じます。いや、それ以前に弁護士・検察官などの慢性的な人材不足が、遅すぎる裁判に追い討ちをかけてます。医療従事者の人材不足とともに、法曹関係者もこの日本では全く足りてません。日本の全国民を弁護にあたると仮定すると、弁護士1人あたりで約1400人超の件数を担当させられることになります。日本ではそれくらい法曹人口の割合いが低いです。民事・刑事問わず裁判の第一審判決が下されるまで早くて1〜2年。最高裁判所まで上告したとなると判決が下るまで10〜16年。生まれたばかりの赤ちゃんも小学校卒業か、ヘタすれば高校入学である。公害問題による訴訟に関して言えば、被害者である原告側に高齢者もいるため、裁判で争っている間に次々と原告側が世を去ってしまう。そうすると、生きているうちにおとしまえを付けるための裁判にも、やる意味がまったく無くなってしまう。そこで和解というオチになる。これでは、加害者側のやったもん勝ちである。訴えなければ泣き寝入りのまま。裁判を起こしても、生きてるうちに望んだ結果が得られるかどうかすらも分からなくなる。実に理不尽である。それが人の世と言ってしまえばそれまでであるが、それにしても悲しすぎる。さて、法曹関係者の人材不足を打開するべく、法学院出身以外からも予備試験に合格すれば法曹試験を受験する資格を得られるよう制度の改正がなされるそうです。そうなれば、当然独学で学んでいる人にも弁護士・検察官・裁判官になるための道が広がるわけであります。ようやく日本でも重い腰が動き始めました。しかし、これらの措置が裁判の迅速な進行をもたらすまでは、さらに年月をかけることになりそうな気がします。これが法治国家の姿というものなのか。嗚呼、ニッポン・・・。


・後継者  デューク高沢

 偽造旅券を使って日本への不法入国を試みるも、バレて捕まったという男が、北朝鮮の指導者の息子であると名乗って、つい先日話題になったばかり。で、その男の姿が新聞に掲載されていましたが、あれはただのデブです。一体、何のギャグなのでしょうか? あんなんで、一国の主の息子? どう見ても、単なる太いオッサンです。で、身元が判別できず、中国へ追い返したそうな。身元がわからなければ、目的も不明。多分、見てくれはデブでも、金正日の息子なんでしょう。子供の頃から、食べて寝るだけで見事に肥満。やることないので、日本へ遊びにきたんでしょう。と、勝手に推測してみました。日記のネタがつまる頃合に、いつもちょうどよくネタになってくれるのが北朝鮮。2003年までミサイル開発を凍結すると言うものの、2004年からやる気マンマン。これで、あのデブが後継者だなんていったら、いよいよ北朝鮮も終わりでしょう。まだまだ、いろいろやってくれそうですよ、この国。(笑)


・無職  デューク高沢

 街頭で歩いている女性に声をかけようとしたら、変質者と察知した女性が驚いていたので、あわてて刺し殺したという事件。家族ぐるみで子供を虐待した挙げ句に死亡させた事件。児童虐待の容疑で一度は捕まったものの、釈放され、やっぱり虐待してたのでまたまた捕まった母親の事件。介護しているお年寄りを殺して、所有しているお金をかっぱらった介護士の事件。ここ近年発生している傷害・殺人事件の多くには共通したひとつのキーワードが浮かんできます。ズバリ「弱い者いじめ」であります。被害者となるのは子供・女性・老人。なんとも暗い世相である。やりたいことができない、言いたいことが言えない、本当はなんとかしたいのに、自分に自信がない、力がない、気が弱い。強い者に立ち向かおうとする勇気がない。そのかわりに、自分よりも確実に弱いと断定できる相手には遠慮なく攻め込もうという考え。これが根底にあるのではないか。私には、そう思えます。言うことを聞かない相手がヤクザだったら、手はおろか口出しすらしないくせに、シバいても何もされんとわかっているから幼児を虐待する。いくらヨモくれな男だろうとも、相手が女性なら返り討ちにされないだろうと考える。だから、女性を狙う。犯罪者の深層心理というものは、自分に言わせればクソ喰らえである。そういえば、女性を殺すような人には無職が多いような気がします。「無職」と書いて「ムショク」と読む。クを取ると「ムショ」となる。すなわち刑務所。無職とは塀の手前への第一歩。人を殺すヒマがあるならタウンワークを片手に仕事を探しましょう。やっぱり世の中アホばかりである。