〜デューク高沢 vol.16〜


・オービス  デューク高沢

 カレンダーに書かれている日付、祝祭日は赤色で表記されますが、その赤色の日が年々増えているような気がします。数年後には7月に3連休ができるそうです。小・中学校に週休二日制が導入される話を知ったとき。自分も、あと8年くらい遅く生まれてくれば学校行かない日が増えるのに、と考えたものですが、今となっては、ますますアホがたくさん育ってゆくのではないかと、時折、かすかな不安が頭をよぎります。人間働き過ぎるるのもよくないけど、学校の休みをこれ以上増やして、どうなりますかな? 戦後教育という壮大な実験のひとつの結果は、7〜8年後のこの国の社会に垣間見ることができるでしょう。


・報道  デューク高沢

 小学校に乱入し刃物で人を刺して回った事件が発生してから、最近、刃物で乱入して他人を攻撃するのが流行のようであります。こうも似たような事件ばかり起こると、コイツらテレビ見て真似してんじゃないかと思いたくなります。地下鉄サリン事件のあったときも、事件から1ヶ月くらいの間は、電車内に催涙スプレーをまいて逃げた奴や、駅のトイレで不審な煙がたかれた事件がありました。世の中アホは数知れず。これらもまた、氷山の一角かもしれません。それにしても、テレビの報道もぬかりがあってはいけません。安易に真似したアホどもがたどる末路を、克明に描かなければいけません。「本日、買い物袋に包丁を入れてスーパーに入ってきた男が、店内の客を襲い、負傷者が出ましたが、現行犯の男は、付近の人々に袋だたきにあい、その場で去勢されました。」 やはりここまでキッチリ報道してほしいものです。(やや、ねつ造気味でありますが・・(笑)) 犯罪をやりっぱなしで、タダで済むハズがない。それを示すことも報道媒体の役割でありましょう。懲役刑とは、どんなことを服役するのか。犯罪の内容ばかりが報道されて、連日不愉快な思いをしているのだから、罪人のしかるべき受ける罰を、ありのままに映すのも一興かと思います。しかし、治外法権の刑務所で、囚人の家畜同様の扱いが世間に知られると、人権問題がどうのこうのと騒がれるのでしょう。考えてほしい、他人の人権を侵害したからこそ、それ相応の処分を受けるのであります。犯罪の抑止力を目的とした罰ならば、より一層多くの人に知られるべきなのですが、今の日本には、それを知る機会ほとんど全くありません。身の程をわきまえる学習機会が無くなるのだから、相変わらず意味不明な犯罪が後をたちません。知恵遅れの高齢化ともいいますが、それはすなわち精神年齢の低年齢化を意味するのであります。現代社会特有の病気でしょうか。


・マガジン  デューク高沢

 テレビでも話題になっていた小泉内閣メールマガジン、みなさん登録したでしょうか? 書いている内容の良し悪しはともかく、時間や場所を問わず、自分のメールアドレスがあれば、首相官邸から直接の声が届く。インターネットの利点のひとつでもある、好きな時間に情報を見られることを利用した実に面白いものだと思います。創刊号は、テレビでしゃべることとあまりかわんないな〜、と思っていましたが、第二号での小泉総理・坂口厚生労働大臣・森山法務大臣のコラムは、なかなか面白いです。思ってるよりもいけると思いますよ。いつでも配信を止めることができるので、まだ、読んでいない人もとりあえず小泉内閣メールマガジンに登録してみてはどうでしょうか。


・流れ  デューク高沢

 経済を人体に例えれば、お金の流れは血の流れといえる。血の巡りが悪くなったり、血が足りなくなると、人体が異常をきたすように、お金のめぐりが悪くなると、経済そのものに悪い影響をおよぼすことになる。景気とは経済の健康指標を示すといえましょう。結局、90年代のバブル崩壊から、もがきにもがいて10年たった今も、やっぱり世の中不景気の我が日本である。今、不良債権処理を少しずつ確実にこなし、構造改革をすねことが、景気回復への道のように叫ばれているが、はたしてそうなのであろうか? それだけで日本のお金の流れはよくなるであろうか? 考えればいたって単純なもっと根本的な原因があるような気がする。というわけで、このお話は次回に続きます。


・血行不良  デューク高沢

 不況のさなかの日本。税金の無駄遣い・官僚の天下り・銀行の不良債権、その原因と思われるネタが、今まで叩き上げられてきましたが、偏りすぎたお金の流れ、日本の不景気は単なる経済の血行不良なのでしょうか? そもそも銀行が融資をしていた理由は、銀行にはそれこそ腐るほどお金があったからなのだ。それが、急にお金がなくなった。融資をしてもらおうとしたところに、銀行が急にお金を貸さなくなった。銀行がケチになったが、どこの会社もケチになった。そして、働く人々の給料が安くなった。安い給料で生活するには、やはりケチにならざるを得ない。消費がにぶり、モノが売れなくなる。いたるところの商売が破たんした。借金をしてから始めた商売も返すお金が返せなくなる。すると、お金を貸したほうも、貸したお金が戻らない。これが世にいう不良債権である。ここまでの流れを見ると、結局、銀行が悪いことになる。しかし、よくよく考えると、銀行になぜ余るほどお金があったのか?ここが盲点なのである。このお話、ネチく次回につづきます。


・構造改革  デューク高沢

 会社にしても個人にしても、銀行にお金を預けておく口座があるように、銀行自体にも銀行のお金を預けたり出したりするところがあります。それが中央銀行であり、日本では日本銀行がこれにあたります。日本のお札に書かれている見なれた文字「日本銀行券」という言葉は重要な意味を持っています。さて、中央銀行をはじめ、日本の銀行を監督・指導し、金融政策を行なう行政機関といえば、いわずとしれた大蔵省。しかし、日本で使用する通貨を作って取扱ってるのは日本銀行です。日本経済の根本を支える血となり肉となるのがこの日本銀行券たる通貨です。今現在の、不況となるそれまでのお金のめぐりはどうであったか? 中央銀行がお札を刷って銀行に与えている。銀行で余ったものが、融資を目的として使われる。融資に使ってくださいと、ご丁寧に中央銀行が言ってくる。戻ってくる確信もないままお金を貸してしまった銀行が悪いというのは、確かにスジの通った話ではあるが、先に述べたようにして、銀行には余る程お金があったから融資をしていた。それがあるときを境に、日本銀行がお札の発行を減らし、信用統制を厳しくした。貸したお金が戻る間もなく、銀行はあるだけのお札でなんと銀行業務をやりくりしなければならなくなった。しかし、それにしても無理があった。中央銀行が各都市銀行・地方銀行に行なった一連の措置が、銀行を利用する側とされる側でのお金のめぐりを悪くしてゆき、不良債権がつもりに積もって、かくして、不況が世にはびこることとなりました。この長期にわたる不景気の原因のもとをたどれば、単にお札をたくさん作らなくなったからではなかろうかと考えられます。日本の不景気の原因はは、必要な分の血が著しく足りてないのである。しかし、表向きは銀行のせいになり、金融政策に落ち度のあった大蔵省が悪いことになりました。本来ならば、根本的にお金を扱う日銀に原因があって、必ずしも政府や大蔵省が悪いわけではなかったハズ。(笑) さて、この不況を打破すべく4年前に政府が行政改革の一環として言い出したのが金融ビッグバン。金融業界の再編・構造改革、その具体策に大蔵省の改編と日銀法の改正。それは日本銀行が金融政策の機関として独立し、一方で大蔵省にとって代わる政府機関を設置することであります。不況なのは、大蔵省と経済構造に問題があるからなので、それらを改変してしまうおうということです。そして現在、金融庁という行政機関がありますが、もはや事実上、銀行を監督するだけで、金融政策を立案しても、それを提唱するにとどまる機関でしかなくなりました。今、小泉内閣が「聖域なき構造改革」を掲げて一生懸命無駄をなくそうと努力しているのですが、それだけでは景気回復も日本経済の建て直しも成し遂げられません。というわけで政府は日本銀行に量的緩和を呼び掛けています。つまりお札をたくさん刷ってくれと頼んでいるのですが、政府が出来ることは頼むところまで。頼まれた日銀からの応答なし。ネチネチと語っておりますが、この話、もう少し続きます。(笑)


・真実  デューク高沢

 ロッキード事件とリクルート疑惑。政治家と企業の間で巨額の金が動いたこの事件が、世間に明るみ出た当時でも、日本は不景気知らずであった。このことは、政治と日本経済の動きは必ずしも一致しないことを暗に語っています。企業と政治家の間で行なわれる贈収賄とは、手段を選ばず双方にとって利益を追求する手段であり、結果として会社が富み、そこで働く人に恩恵があれば、会社にいる人間にとってはむしろ歓迎すべきことのハズ。しかし、富の著しい不均衡をもたらすのがよくない。それでも、日本が不景気にならなかったのは、十分な貨幣を市場に流通させていたからである。貨幣の出どころである日本銀行はそれを良しとしなかった。今のままでは、日本は豊かになるが、ぬるま湯につかったままでは、やがてふやけて腐ってゆく。だからこそ見直さなければいけない。当時、大蔵省の金融政策に従っていたが、銀行にお金を渡し、企業に融資を十分するように仕向けたところで、お金を出すのを止めた。タイミングよく金がなくなった銀行は信用の格付けが下がり、バブルが崩壊。急速に円高が進み、貿易黒字が減ってゆき、輸出によって利益を得ていた様々な企業での金回りが悪くなり、みるみるうちに事業縮小。リストラという名における、人員削減・経費削減が相次いだ。かくして起きた、不況に対して、迅速かつ円滑な金融政策を行なうために、政府が改革に取りかかった。バブルがはじけて不況となり、行政改革を橋本内閣が唱え、日本銀行は行政から独立しました。今、小泉内閣が構造改革を行なおうとしていますが、はたして何のための改革なのか?それは景気回復のためなのか?国民を豊かにするためのものなのか? やろうとしていることの目的は、行政の腐敗と無駄を排除するためのものでしょう。腐敗と無駄のなくなったその先がどうなるのでしょうか? 改革の成否に関わらず、少なくともここ10年で終身雇用が崩壊し、社会が変わった。政治の力よりも経済の力。かくして日本銀行券は日本の世を動かし続けている。今後も、政治の力だけで景気回復は成し遂げられず、今の高い内閣支持率も、ふとしたきっかけで急激に下がってしまうかもしれません。さて、ほんの少し触れた「日銀の独立」 これは国の財布が国の意志で使えないことを意味します。な〜んかイヤな予感がするんですよ〜。 と、一連の経済の話について、友人と1時間近く長電話をしてしまったデューク高沢であります。(笑) これらは、あくまで推論であり、一市民のたわごとに過ぎません。しかし、真実は日本銀行の中にある。と私は思うのです。