つい先日、全国版のニュースでも取り上げられるほど注目される中、ウワサの
プレステ2がお目見えしました。まあ家庭用をいっさい持っていない(&興味がない)ワシには何の関係も無い事なんですが、みんな、そんなに期待しているわけ?
売り文句の一つに「大幅に強化されたグラフィック」というのがありましたが
、それってゲーム本来の面白さとなんか関係あるんですかね。そりゃ、カセットビジョンとかと比べると、あの頃では考えられないほど緻密なキャラが所狭しと動き回り、オープニングやエンディングは映画に匹敵する程、ハードの技術は進歩していますよ。音源はCDを使えるんだから言わずもがな、ってやつですよ。でもね、しつこいようだけど「だから何なの」?そりゃあ中には、グラフィックの制限の問題で
実現出来なかった、そのゲームの中核を成すシステム的なアイデア、例えば1画
面中に表示できるスプライト枚数が多くなったから、めちゃくちゃな弾幕が実現したとか(笑)、より面白くなるゲームもあると思いますが、最近のゲームって、先ほどのようにキャラデータやイベント等、本当に「ゲームの面白さにはほとんど関係ない」ことばっかりに使われていませんか?いつ頃からか、シミュレーション、アドベンチャー、RPGの区別が付かなくなってきたような気がするのは気のせいじゃないと思うのですが、如何なもんでしょう?けど、こんな「中身はクソでもびゅーちふるなグラフィック(演出)」のゲームがバカバカ売れる時代なんでしょ、今って。ソフトメーカーといえど企業、とにかく「売れてくれない」ことには利益は上がりません、そうなると流行りの「倒産(笑)」が待ち受けています。泣く泣く「売れ筋のゲーム」を作っている会社もあると思いますが、ほとんどが「演出がよければ面白い」と、勘違いした連中ばっかりでしょ、多分。くだらん演出だらけのクソゲーを作っても、ユーザーはバカバカ買っていく、当然会社は儲かって大きくなり、待遇もよくなる、それを見たユーザーは「よーし、俺も!」と、やっぱり勘違いしたゲームを作るデザイナーになっていく...の、無限ループに突入している感がありますな。
古き良き時代は...などと、懐古主義を唱えるつもりは全然ありませんが、
映画とゲームが殆ど区別つかなくなっている今の状況から更に進んだ場合、「テレビゲーム?そういえば昔はそう呼ばれていたね」なんて時代がくるかもしれませんな。だって歌の業界でも「見てくれで勝負!」になってきてるんですから。「本当に必要な物は何なのか?」これだけは見失いたくないですな。
「捨てゲー」という言葉があります。まあ簡単に言えば「プレイする価値の
ないプレイを途中でやめる」ことですね。今更説明するでもなく、知っている
方も多々おられると思いますし、実際「捨てゲー」をやっている方も、これまた
多々いるでしょう。
さて、この「捨てゲー」本当に「捨てるべきプレイ」なのでしょうか?集計店などでは、例えばいわゆる「締め切り日」など、なんとしても繋げる!というのであれば、時間効率を考えると、のびる可能性のないプレイは切り捨てする、というのもひとつの考え方ですし、100回に1回ぐらいしか起きない凄くくだらないミスをした(キャラ選択ミスなど)のであれば、ポイするのもOKかもしれませんな。ワシはシューティングしかできないので「パターンミス=即死」という図式がいつもつきまとっています。そうなると当然、パターンをより正確に、確実に遂行出来るように「練習」する必要があります。じゃないと点稼ぎどころか、必須のALLクリアすらおぼつかなくなるからです。例えば、全10面(長いな..)のゲーム、5面までをノーミスで抜けるまでに5000円かかったとします。かたや5面ノーミス出来るまでひたすら「捨てゲー」してきた人、かたや死んでしまったら先の面を練習してきた人、ALLクリアを1つの目標にした場合、どちらが先にできるでしょうか?才能が同じなら、当然後者の練習をしてきた人だとワシは思います。早い話が「1プレイを大切に」という事です。1機死んでしまったら、それでそのゲームはもうダメなのでしょうか?確かに1機死んでしまった瞬間に気力が抜けてしまんよ!というのも分かりますし、実際ワシも「捨てゲー」をやっていた時期があります。けど、それって凄くお金がもったいないんですよ、ハッキリいって。高校生の頃、親に「参考書買うから」といってお金を貰って、それをゲームにぶち込んでいたとき、「捨てゲー」なんかしていたでしょうか?最後の1機になっても、諦めないで高次面を目指していたのではないでしょうか?何年か前、ワシの師匠にも「捨てゲー?そんなことしたらアカンよ。いろんな事(パターンなど)試したり、先の面の練習せな。いざっていう時につながらんで。それに、お金もったいないやん。」と言われましたし、事実、色々聞いてみますと、大抵のプレイヤー(含スコアラー)が、同じ事を行っているそうです。ある時の、たった1回のプレイを大切にしたければ、それまでのプレイも同じように大切にするべきでしょう。「日常」をおろそかにする者に、「特別」はやってきませんよ。
その昔「ゲームフリーク」なる同人誌がありましたが、アレの4コマ漫画
に「へたくそなあなたもマニアになれる方法!」というのがあって、その中に
こうありました。「ミスをしたら即座に席を立ちましょう(笑)。」まさか、
それ考えて実践してる人...いるの(笑)?
先日、仕事中に事故(?)があった。片側通行の状態で、ふとした弾みで 板が揺れて、つっこんできた車のドアミラーを粉砕(+傷少々)である。 さてこの車の運転手、女だったのだが、なにかと鼻につく話し方をする。 「事故証明を取りますから」よくよく聞けばなんでも旦那が警察官なんだ そうな。本当は言ってはいけないらしいんだけど、「こちら(ワシの会社)で 修理費は全額みますから」と、低姿勢で出ているにもかかわらずである。 さすがのワシもカチンときて「あのですね、別に事故証明取ったらウチの会社が 困るからっていうんじゃないんですよ。仮に警察呼んでも、人身事故や物損事故 などの刑事事件じゃないんですから、相手にしてくれないと思いますよ!」と のたまってやった。にもかかわらず、気がつけばパトカーが来てるんだよ これが(笑)。板持っていたのはワシじゃなかったから、持ってた人とその女は 事情聴取受けて、結果「ウチじゃあなんともできませんねえ」と言い残して パトカーは去っていった(笑)。 最後は保険屋同士の話し合いになって、そこから後どうなったかは不明だけど よく考えてみたら、あと一歩ずれていたら、板持っていた人はその車にはねられ ていたんだよこれが。んで、警察呼んだら間違いなく人身事故扱いになっていた はずなんだよね。ここが工事中というのはわかっているし、かなりのスピードで つっこんできていた(見ていた人曰く)らしいし。なんでこうバカな女は、 自分のしたことを棚に上げて、文句ばっかり言うんだろ? そういえば、今テレビでやってたけど、例の割り箸刺さってGO TO HEVEN!の男の子、医者にも確かに落ち度はあったけど、なんで母親は 「精密検査をして下さい」とか「CTスキャン撮ってみて下さい」と言わな かったのだろう?それで医者が断っていたら、完全に医者の落ち度だけど どうなんだろう。今どき精密検査っていう言葉知らないというのは通じないと 思うんだけどなあ。もっとも、「内緒にしている」可能性はあるけどね(笑)。 本当に自分に落ち度はないのか?それをよく考えてから発言しないと、その うち足をすくわれますぜ(笑)。
昔からの有名な言葉に「酒は飲んでも飲まれるな」というのがある。解説の
必要がないほど、酔いどれに対して用いられる言葉で、去年、東京で悪さやって
きたときもばっちりいただいた(笑)。早い話が「お酒を飲み過ぎて他人に迷惑をかけないように」と、飲み過ぎを戒める意味で用いられることが一般的でしょうな。
さてこの言葉、本当にそういう意味で作られた言葉なのでしょうか?最近ふと
考えるに、微妙に意味が違うのではないかと思うようになりました。というのも
普通に考えて、誰しも年を取ってきたら1日のアルコール摂取量は減ってくる
もの、あるタクシーの運ちゃんに聞くと、だいたい1/3〜1/2ぐらいになる
のだそうな。理由は肉体的な「衰え」と、精神的な「老成」で、「いつまでも
若い時みたいにバカはやっとれんのう」らしい。こう考えた場合、「衰え」と「老成」、この2つが成立しない限り飲み過ぎは当たり前なのです。暴れまわってクラブから叩き出されたり(笑)、スカトロプレイに及んだりするのも(笑)、起こるべくして起こったアクシデントであり、それもこれも、若い時にしか出来ない事なのです。だから、若い人間は何度も何度もヘロヘロになることが必須条件であり、それによって、自分の飲み方や好きなお酒、限界などを知る事が出来るのです。それをやってないと年を取っても「上手い酒」が飲めないというわけ。「酒は飲んでも飲まれるな」は、「いつまでも上手い酒を飲みたいなら、自分の体をよく知り、健康を害する(肝機能障害など)ような事にならないように」ということではないでしょうか。「飲まれる」というのは、「酒に体を壊される(病気になる)」という意味だと思うんですよ。だって酒の席、やりあげてナンボ?!でしょ。年取ってきたら、やり上げたくても出来なくなるんだから。
年取って、「そいえばあのとき...」と、みんなで昔話に花を咲かせながら
飲みたかったら、今のうちにどんどんやりあげておくべきですな(笑)。
伝説のない人って、つまらんでしょ(笑)。
先日飲み屋での出来事。ちょっとした口論から、その店のネーチャンと大喧嘩 になりました。どうやらその事でまだ怒っているらしく(ちなみに、ただの女友達。彼氏はワシの友人)、その理由というのが「私に手を上げそうになったから(ひっぱたこうとした)」らしい。 さて最近、体罰がどーのこーのとまた言われるようになってきたようですな。 ここで思うのですが「体罰」って一体なんでしょう?確かに、話によっては行き過ぎとも言えるだけの事をやっている場合もあるようですが「言っても分からないからぶん殴る」というのが、まあ普通でしょう。「お前はクサイから風呂へ入れ!」と、口を酸っぱくして言っても聞かない。「お願いだから、頼むから入ってくれ!」と哀願しても聞かない。そうなりゃあんた、ぶん殴るしか方法ないじゃないですか(笑)。それを「ぶん殴るのはやり過ぎだ!」というのは、何もわからない第三者の意見であって、もうそれしか方法が無いのですからやるわけです。 話を戻してネーチャンとの一件。簡単に言えば、ワシの嫌いな事を、例え酔 っていたとはいえワシの前で口にしたからです。だからひっぱたこうとしたわけです。ワシは男だろうが女だろうが本当に頭にきたらひっぱたきます。そんなもんに男女の別は必要ないわけです。同じ人間なんだから。偉そうに「男女均等」などとくだらないこと叫ぶ反面で、未だ「セクハラ云々」などと、白馬の王子様にもチ○ボが付いている事が理解不能、でもバスガイドはバックオーライ(意味不明)のようなクサレオ○ンコは言っているようですが、やめなさい、真剣に脳みそがボトルカラッカ なのが分かるから。おっと話が逸れた、で、ひっぱたかれた事があるから、その痛み、意味というものが分かるんです。だからひっぱたく必要のある人間、その価値もない人間、そんなことも分かってくるんです。その「ひっぱたく」という暴力的な部分にだけ目を向ける人間は、結局底が浅いんですね。よく「一を聞いて十を知る」って言われますが、それに近いんじゃないですか?やれやれ。
先日、家(部屋ではない)の片づけをしていると、押入の中からミョ〜な雑誌が出てきた。タイトルは...「OH! X 1990-6」!なんじゃこりゃ?!と、ちなみにあと10冊ほど同タイトルの遺物が発見されたが、最新号(?)のこれに目を通してみることにした。このころにはすでにX68が主流になっているらしく、かなりX68関係の記事が目立つ。かつてユーザーであった方(ちなみにワシもそうだった)はおわかりいただけると思う。「X68K SUPER HD」、売り文句が「ザ.ワークステーション」である(涙)。え〜と、この書き方からして...本体だけの値段かな?80「メガバイト」HD、スカジーつきで定価「498.000円」!なんと過激な値段だろう(笑)。CPUが68Kで10MH、メインメモリが2メガバイト等々、すごく悲しくなってくる(涙)。「すげ〜、X68K俺もほしい〜!」と、スペハリや沙羅曼陀とかをウハウハいいながらやっていた頃からはや10年あまり。内蔵HDはギガ単位になり、クロックも3桁 があたりまえ、しかし値段はディスプレイ込みで10万某である。とにもかくにもキーボードでパ コパココマンドモードで打ち込んでいた(もっとも、68にもSX-WINDOWなる怪しげなOSがあったが)ものが、今じゃあほとんどがマウスオペレーション。ただの贅沢品であったものが、へたすりゃ一家に1台必須になりつつある。パソコン通信からインターネットへ。すべては舞台が「地方」から「世界」へ変わったときに始まったと思う。世の中便利になったもんだ。もうワシもおっさんの仲間入りかのぉ〜...。でもこの前、秋葉原へ出向いたとき、あるパソコン屋の奥の方で「あれ、このSEは...」と振り向いた先に、グラ2のデモを流しているX68K(PROだったかな?)を見つけ、そしてそのまわりに「X1」や「88」がちょこんと乗っかっている姿を見つけたとき、「あ〜、こいつら生きてる〜!」と当時を思い出し、ちょっぴり涙ぐんでしまった(笑)。いい思い出をありがとう。そしてさようなら...(涙)。
あちこちで「謎」と評判(ホンマか?)の「ワシの私生活」の一部をここに公開 しましょう(笑)。今から10年ほど前から、ワシは父親と住んでおりました。兄弟は下に2人おり まして、2人とも関東方面に住んでおります。つい2週間ほど前、一番下は結婚しました。 ちなみに「仕込みはOK」の模様です(笑)。母親は...知ったこっちゃあありません。 どうやらまだしつこく生きている様子ですが、法律と倫理が許すなら一番最初に殺します。真剣 に(笑)。さて、去年の12月半ば、ワシもついに一人暮らしになりました。というのも、 約10年にわたる闘病生活の末、ついに父親が逝っちゃいまして。喪主はワシ(笑)。ちなみに、1 2月のパーティーの時は、まだ初七日も終わってなかったんですね(笑)。ラストの1年ちょっとは病院に常駐(入院)しておりまして。過去2回ほど危篤状態になったにもかかわらず、こっちに戻ってきまして(笑)、担当医が言うには「普通の人間ならとうの昔(5年前。第1回目のさよならチャンス(?))に死んでいる」という太鼓判付きでした。しかし、メインの病名が「糖尿病」で、10年前の段階で「末期」でしたから、悪くなることはあっても良くなることはなかったんです。その10年間に3大併発症(腎障害、視聴覚障害、壊死)+@を余すところなく引き起こし、結果的には左足、左目、左手の指二本等々を切除 ( 摘出)、視聴覚は低下、人工透析、インポ(どーでも)になりました。直接死因は「敗血(体内の毒を臓器が処理できず、血液に毒、細菌等が混じって全身に回ってしまう)」、最後は体内の血液が常人の半分の2リットルになっていたにもかかわらず生きていましたが、ついに心臓が負け、意識障害が発生して一週間後に息を引き取りました。テレビドラマよろしく、心電図がだんだんと弱くなり、そして一本の線になる瞬間は、そうそうみれるもんではないでしょう(笑)。意識障害が出たときに「あとどれくらい持ちますか?」という問いに対して「持ってあと10日でしょう」と宣告されていたので、これといった感慨はなかったです。灰になっても、涙ひとつ出ませんでした(いいのかなこれで(笑) )。しかし、その後の処理もまた大変で(笑)。福岡の本家筋へ単身骨壺を持っていったわ、 「負の財産」を残してくれてるもんだから、裁判所に相続放棄の手続きをしなきゃならないわ (不可能なやつもある(涙))、今後も法事等をしなきゃならんわ、なんせめんどくさいです(笑)。 まあおかげで、糖尿病とか金銭関係にはほんのちょっと詳しくなったし、貧乏生活には 慣れるし(?)、結構学んだ部分はありますわな(笑)。父親が息を引き取ったときに掛けた言葉が「おつかれ。ご苦労さん。」ワシって...(笑)。