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江南こうなんの春       杜  牧とぼく
千里鶯いて緑紅みどりくれないに映ず  
水村山郭さんかく酒旗の風
南朝四百八十寺しひゃくはっしんじ
多少の楼台ろうだい煙雨えんううち
江南

七言絶句(上平一東韻)紅・風・中


【語 釈】
★江南=長江下流の南の地方
★鶯=こうらいうぐいす。日本の鴬より大きく
黄色い。高い声で鳴く。
★緑映紅=木々の緑が花の紅に映り合って
いる。★水村=川のほとりの村。
★山郭=山すその村。中国では町や村は城郭で
囲まれている。
★酒旗=酒屋ののぼり。青又は白の布を旗竿に
つけて店の前に立てている。
★南朝=420年〜589年の六朝りくちょう(呉・晋・宋・
斉・梁・陳の王朝)時代、都を今の南京においた。
貴族社会の時代で、仏教が栄えた時代。
★四百八十寺=実数ではなく、多くの寺院があっ
た。★多少=多い。★楼台=たかどの。楼は二階
以上の建物で、ここでは、寺院の塔や鐘楼をさす。
★煙雨=霧・もや、のような細かい春雨。
【通 釈】
広々とした平野の、あちこちからうぐいすの鳴き
声が聞こえ、木々の緑と花の紅とが映じあって美
しい。水辺の村や山ぞいの村の酒屋の旗が春風に
たなびいている。古都金陵には、南朝以来の多く
の寺院が立ち並び、その楼台が春雨の中にけぶっ
て見える。
【解 説】
杜牧の詩は軽妙でセンスのよいのが特徴である。
この「江南の春」は江南地方の春をよみこんだもの。
前半は晴天の農村風景、後半は雨の古都のたたず
まいを詠っている。杜牧は、生涯の大半をこの江南
地方で過ごした。この詩は非常によく知られ、特に起
句の「千里鶯ないて緑紅に映ず」は、素晴らしい。
いきなり大きな景色をとらえ、千里四方鶯がさえずり、
見渡す限り緑と紅が広がる光景と、後半には雨に煙る
南朝(古都)の寺院を懐古の情をこめて詠っている。

【杜  牧】(803-852)
晩唐の詩人。陝西省長安県の人。眼病にかかっていた
四歳下の弟を見舞い、休暇の期限をこえたので役職を
免職となった。まもなく別の役職に招かれ、弟一家をつ
れて再び宣州におもむいた。杜牧の生涯は、三十代前
半までの、エリート官僚として踏み出し、江南で思う存分
遊んだ時期と、後半の、弟の面倒を見なければならなく
なり、苦難を味わった時期とに分けることができる。
 杜牧の詩は軽妙でセンスがよく、七言絶句にその才が
発揮された。杜甫を、大杜・老杜というのに対し、杜牧を
「小杜」との称がある。他に有名な詩に「山行」「泊秦淮」
等がある。杜牧は死期に近くなって、旧作の詩文を、十の
うち二,三を残して焼き捨てた。又、彼の心境を物語った
詩に「懐を遣る」がある。下に「懐を遣る」を掲げておく。
“江南に落魄らくはくして酒を載せて行く、
 楚腰繊細そようせんさい掌中に軽し。
 十年一覚揚州の夢、
 あまし得たり青楼薄倖はっこうの名”
まことに、杜牧の心境をよく詠った詩だと思う。

【鑑 賞】
たんたんとした、風景の描写と、細やかな懐古の情の、
コントラストが美しい。それに「煙雨」が一層印象深く感
じられる。第一句は、千里・・・と大きな景色とらえて遠景、
第二句で・・・酒旗風と近景。
 後半は一転して春雨にけぶる古都の風景。このように、
前半と後半と全く違ったものを詠っているのに気付くが、
それでいて、何の違和感も無く、矛盾も感じない。
「江南」は唐の人々にとっては、暖かい・明るい・田園・水
郷・山水・南朝の栄華等々がイメージされるのである。
唐時代の人にとって、南朝は“古きよき時代”なのであろう。
これは、わが国の“いにしえの奈良の都”を懐古の情で想う
のと似ているように私は感ずる。
 “いにしえの 奈良の都の八重桜 今日九重に
                   においぬるかな”
を添えてみた。

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