東人の新居浜生活新居浜見聞録 Part 13


子育ての環境

 娘の通う惣開小学校ではPTA会報「惣開」というものが1年に一度発行されるが、以前の「惣開」に校長先生の「子育てに思う」という記事が掲載されていた。
 この中では大人の接し方により子どもの育ちかたも変わってくることが述べられている。
 
 この記事の中で、ドロシー・ロー・ノルトの文章が引用されていた。
 

 批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。
 敵意に満ちた中で育った子は、だれとでも戦います。
 ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。
 ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。
 
 心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。
 励ましを受けて育った子は、自信をもちます。
 ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
 公明正大な中で育った子は、正義心をもちます。
 思いやりのある中で育った子は、信仰心をもちます。
 人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。
 仲間の愛の中で育った子は、世界に愛をみつけます。
ドロシー・ロー・ノルト作
 

 子どもの育つ環境の重要さは分かるが、ドロシー・ロー・ノルトの文を読んで大人の世界には「批判ばかり受けて育った人」や「敵意に満ちた中で育った人」が多いことを痛感する。 このような人が大人の社会ではアグレッシブと評価されたりもする。
 
 また、政治家のウソや居直り、非常識な暴言が横行し、国際関係でも武力で他国を攻めること(人の命を奪うこと)が正当化されることもある。
 
 このような大人の世界を見て育つ子供がどのような世の中を作っていくのだろうか?。
   


病院の待合室

 病院の中では、明らかに患者とは異なる、スーツを着て鞄を持った人達を見かける。
 婦人科の待合室でも男性が待っていたことがあると聞いたこともある。
 彼らは医療機器や薬品などのセールスマンであろうが、その数の多いことより、医療関連機器の売り込み競争の熾烈さを感じる。
 彼らの営業活動により、病院には最新の医療機器が導入され、病院のシステムもコンピュータ化が進み、手続き等が変わってきた。
 医薬分業で薬を待つこと無く、会計処理も自動的に行われ、支払までの待ち時間は短縮された。
 また、カルテもデータベース化され、診察中も医者がパソコンに入力するようになった。
 診察の結果、レントゲン等の検査が必要な場合でも、何の書類も持たずに診察カードさえ持っていけば必要な検査が受けられるようにもなった。
 
 このように変わった病院のシステムであるが、昔からあまり変わっていないところもある。
 病院で診察を受ける場合、受付の後、受診科の前で待たなければならない。
 診察前に呼ばれて問診票に症状を記入することがあるが、これは診察時に医師が症状を把握するためのもので、問診票の内容によって優先的に診察が受けられることはなさそうである。。
 患者としては、「○○さまぁ」と呼ばれるまで、呼び出しの声の聞こえる受診科の前の椅子で待たされる。何時呼ばれるかわからないので、席を離れるわけにもいかない。
 
 患者が多くて診察の順番を待たなければならないことは分かるが、受診科の前で待ち続ける必要は有るのだろうか。
 病院の診察に訪れた人の中には元気な人もいて、病院で出会った知人と世間話をしたりしている。
 本当に具合が悪くて病院に来た人にとっては、この待ち時間は苦痛である。 高熱が出たために病院に行って、診察までに長いこと待たされた時は辛かった。
 体調が悪いために病院に訪れた患者を長い間、椅子に座らせて待たせて良いのだろうか?。
 また、伝染の恐れのある病気の患者も、他の患者と同じ待合室で待たせるのも、どうかと思う。
 症状の重い患者や伝染の恐れのある場合は問診票の提出時に確認して、必要であえれば別室で横になって順番を待つようなことはできないのだろうか?。
 
 
 話は変わるが、セルフサービスの飲食コーナーでは、注文すると小型の通報装置を渡されるところがある。注文した料理ができると通報装置が鳴り、受取りに行く。
 同様なシステムを診察の呼び出しにも導入できないものだろうか。
 病院内では医療機器に影響しない仕様の携帯電話(PHS)が使われていると聞いているが、同じ仕様の院内専用のポケットベルを採用するだけで実現できそうだ。
 診察の順番が来たら、病院内の何処に居ても通知が伝わるようにし、元気な人は病院内の待合室や喫茶店等で順番を待ち、具合の悪い人は特別室にて横になりながら診察の順番を待つようにできないものだろうか?。
  、
 病院経営の効率化が優先され、患者のことを考えたシステムの改善が遅れているように感じる。 


プロの写真

   当家では、お茶やコーヒーなどに使う湯沸かしポットの水は西条の「うちぬき水」を使用している。
 18リットルのポリタンクで水を汲んできてポットに補給し、無くなればまた汲みに行く。
 3年ほど前になるかと思うが、娘と一緒に西条の弘法水で水を汲んでいた時、タウン情報誌の人2人が取材に訪れた。
 依頼され、娘がモデルになって「うちぬき水」の写真を撮った。
  
 弘法水は海の底から湧き出す水で、今ではコンクリートの通路で結ばれ、簡単な屋根が設けられている。
 屋根を支えるために周囲に細い柱があり、柱の間には横棒があるが、カメラパーソン(女性なので「カメラマン」とは表記できない)は、大胆にもその横棒の高い所までよじ登り、見ていても危なっかしい姿勢で写真を撮った。
 これには、同行していたライター(男性)も驚くほどであった。
 プロのカメラパーソンの逞しさを感じた。
 

 
 そのタウン情報誌が何という雑誌かは忘れ、時間も経過したため、そのことは忘れていた。
 最近になって、知り合いの人から「癒しのくに 四国」(エス・ピー・シー編、平成15年3月10日発行)という、四国のガイドブックをいただいた。
 その中に、娘の写真が掲載されているのを発見したためであった。
 
 確かにあの時の写真であった。
 上方のアングルから撮った写真は、あのカメラパーソンが、間違えれば海に転落しそうな姿勢で撮影したものである。
 


ゴミ投げ名人

 イオン新居浜ショッピングセンターの入り口には、リサイクルボックスが置いてある。
 ある時、空になったPETボトルとアルミ缶をリサイクルボックスに持っていった。
 PETボトルとアルミ缶のリサイクルボックスは並んでいたので、両方の蓋を開け、PETボトルを入れ、次にアルミ缶を入れていた。
 その時、隣のPETボトルのリサイクルボックスに何か投げ込まれる音がした。
 見ると、ストローの刺さった飲み物の容器が投げ込まれていた。
 振り向くと、二人の若い欧米系外国人女性(多分アメリカ人)が、知らぬ顔してショッピングセンターに入っていくのが見えた。
 仕方なく、投げ入れられたコップを取り出して、ゴミ箱に捨てた。

 直ぐ近くに人が立っているリサイクルボックスにゴミを遠くから投げ入れるなんて、マナーの悪い外国人だと思った。
 新居浜でも外国人を見かけることはあるが、英会話の教師か、仕事で滞在しているエンジニアとその家族が殆どであろうと思っている。 彼らはマナーを守って市民生活を送っている。
 飲み物の容器を投げ捨てるようなガラの悪い外国人は新居浜では珍しい。
 
 通路の真ん中を歩きながら、数メートル先の、しかも近くに人がいるリサイクルボックスに正確にゴミを投げ入れるとは、物を投げる腕前は、たいしたものだ。
 コントロールに自信がなければこのようなことはできないだろう。
 
 何かの競技の選手か、ナイフ投げ等の見せ物師か?・・・・そういえば、
 その当時(2003年5月17日〜6月29日)、新居浜ではポップサーカスが開催されていたが、その日は木曜日でサーカスは休みの日であった。
 休日はサーカスの団員も市内でショッピングなどすることもあるだろう。
 この「ゴミ投げ名人」はサーカスの団員だったのかも知れない。


ECO-POWER 桃太郎

   新居浜駅で貨物列車を牽引していた機関車の横に「?太郎」という文字が書いてあった。
 最初は、「梅太郎」と読んでしまったが、「桃太郎」であった。  
 機関車にも何かの宣伝を書くようになったのか、あるいは、機関車トーマスのように機関車の名前か?とも思った。
 気に掛かるので調べた結果、以下のことがわかった。

 この機関車にはEF210-110という記号がついていたが、EF210型の機関車には、全てこのマーク「ECO-POWER 桃太郎」が入っている。
 これは公募によりつけられた機関車の愛称で、EF210は配置区の岡山にちなんで「ECO-POWER 桃太郎」となったそうだ。

 
 その他、 EH500形式交直流電気機関車 には「ECO−POWER 金太郎」、
       DF200形式ディーゼル機関車には「ECO−POWER レッドベア」
の愛称がつけられているとのこと。

 EF210型の愛称ロゴ「ECO-POWER 桃太郎」は、100番台からはサイズが大型化され側面中央部に描かれているJRFマーク横に付けられるようになって、目立つようになった。
 鉄道ファンなら常識のことであろうが、知らない人が見たら不思議に思うマークである。
 


モーニング

 星越社宅に居た頃、家内に近所の人から誘いがあった。
 「今度、モーニングをご一緒しませんか?」とのことであった。
 家内は最初意味が良く分からなかったようだ。
 
 モーニング某とかいう歌手グループとは関係ない。
 「モーニング」という言葉も余所の人には通じ難いものだろう。
 喫茶店のモーニングサービスに一緒に行ってお話しませんか?という意味である。
 会社でも、夜勤の人が仕事の後に同僚とモーニングに出かけたという話を聞いたことがある。 
 喫茶店のモーニングサービスがコミュニケーションの場として利用されているようだ。
 
 新居浜付近の普通の喫茶店では、コーヒーの値段は\400前後で、モーニングサービスをつけても\500程度である。
 関東に出かけた時、喫茶店で普通のブレンドコーヒーに\700の値段がついていて驚いたことがあった。
 


電話番

 家内が近所の家に電話したところ、小学生の娘さんが電話に出た。
 
 家内 :「お母さんは?」
 娘さん:「おら〜ん
 家内 :「お母さんはじきに戻られますか?」
 娘さん:「わから〜ん
 家内 :「それでは、・・・・ということを伝えて下さい」
 娘さん:「んっ
 
 家内はこの娘さんの電話の対応に呆れ返っていた。 
 


楠正成と新居浜

  
 図書館に「天正武士の鑑  金子備後守元宅物語」(内藤雅行 平成6年8月1日)という資料があった。
 この資料には、豊臣秀吉による四国攻めでの新居浜地区の戦いである「天正の陣」について、太平洋戦争の頃の陸軍の資料に記載があったとのことが書かれていた。
 現存していない「陸軍工兵第十一大隊編郷土史」の中に、金子元宅の戦史があり、また、昭和20年2月の台湾の第十方面軍司令部での作戦会議でも、水際防衛作戦の参考として金子元宅の戦史が登場したとのこと。
 日本の戦史の中で、劣勢の中、玉砕するまで戦った例として、楠正成の湊川の合戦、真田幸村の大阪夏の陣と並んで、天正の陣も挙げられると述べられていた。
 
 ここで、楠正成の名前が出てきたが、天正の陣では、楠正成の子孫も戦に加わっていた。
 西条から新居浜の新田地区に遷ってきた塩崎氏は楠正成の末裔であり、天正の陣では塩崎正浪という武将が討ち死にしている。
 新田町の若宮神社は楠正成を祀った神社であり、新田町の太鼓台にも楠正成が描かれ、太鼓台のかき夫の法被にも楠正成の「菊水」の紋が描かれている。
 
 楠正成といえば、皇居前に楠公銅像があるが、これは明治23年(1890)、別子開坑200年記念に住友が寄贈したものである。
 何故、楠正成の像が選ばれたかについては明確では無いが、楠正成は幕末の志士達の理想像とされていたことによるようだ。
 楠公銅像は別子の銅100%でできている。
 
 新居浜の楠中央通り(通称、堺筋 もしくは 坂井筋)に楠が植えられているが、この楠は、神戸の楠神社の楠の子供だそうだ。
 
 さらに、大島・吉祥寺のご本尊である毘沙門天は、楠木正成家の菩提寺である「檜尾山観心寺」から奉迎されたものであることが最近わかったそうだ。
 吉祥寺の薬師堂屋上の宝珠台座には、楠正成の菊水紋が刻まれているという。
 (吉祥寺だより『祈り』(平成13年正月号)より)
 
 これらのことは偶然のことかも知れないが、新居浜と楠正成には多くの接点があった。
 


信号機

  新居浜の道路を走っていると黄色の点滅信号が多いと感じる。
 黄色の点滅でも徐行して通行する車は少ない。
 点滅している信号の反対側は押しボタン式か感知式である。
 
 また、歩行者用の押しボタンを押してから信号が青になるまでの待ち時間が長いと感じる。(特に住友病院前の横断歩道など)
 3〜5分ぐらい待たされているように感じる。
 
 東京などに出かけたとき、歩行者が信号を守っていない場面をよく見かける。
 前方の信号が赤でも、車が来なければ多くの人が横断している。
 新居浜では、車が来ないとわかっていても、歩行者、特に学生などは赤信号では絶対に横断しない。
 子供達の手本として、都会の大人も信号を守るべきではないだろうか?。
 
 歩行者としては信号を守っていた人達も、大人になって車を運転する場合には黄色や赤信号に変わっても交差点に突進していくようになることは考え物だが・・・。
 


セルフうどん

 四国の讃岐のうどんは有名であるが、愛媛の新居浜でもうどん屋は多くある。
 本場の讃岐でもうどん屋の形態は色々あるが、その極めつけがセルフうどん屋である。
 うどん以外の天ぷらなどのトッピングは自分で選び、後で会計するものである。
 うどんを茹でたり、だし汁も注ぐのも客が自分でする店もある。中には、薬味のネギを客が畑から採ってきて刻んで使う店もある。
   ちょっと遠出/香川/讃岐うどん 参照

 新居浜にはそのようなセルフうどん屋は暫くの間は無かったが、数年前からセルフうどんのチェーン店が幾つか進出した。
 うどんの種類と玉数(特大:3玉、大:2玉、小:1玉)を注文して茹でてもらい、その他の天ぷら等は自分で選び会計するもので、学食や社員食堂にも良くあるシステムである。
 店によっても違うが、うどんは、以下のような種類から選べられる。
  
かけうどん  
ぶっかけうどん  
おろしぶっかけうどん  
かまあげうどん  
ゆだめうどん  
ざるうどん  
冷しうどん  
しょうゆうどん  
肉うどん  
かやくうどん
梅とろろうどん  
キムチうどん  
なめこうどん  
山菜うどん  
カレーうどん  
山かけうどん  
肉みそうどん  
肉ぶっかけうどん  
かまたまうどん  
みそわかめうどん
 

 最近のニュースでは、このようなセルフうどん屋が東京の渋谷にもオープンして繁盛しているという。
 
 セルフうどんは全国に広まっても良いシステムかと思うが、うどんは水が命とも言われる。本場の讃岐のうどんも味わってもらいたいものである。
 
 うどん以外にもこのセルフのシステムは応用できるのでは無いだろうか?。
 例えばラーメン屋にて、麺は、札幌、喜多方、尾道、和歌山、博多などの太麺から細麺までを選択し、汁も味噌、豚骨、醤油を組み合わせ、トッピングも自分の好みで選ぶというように、自分独自のラーメンが選べるセルフラーメン店などもあっても良いのでは?。